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2015年3月20日金曜日

文献紹介 イギリスの軍事力を支えた財政力


近代の国際関係でイギリスが大国として台頭することができた理由として、優れた海上戦力とそれによって獲得した植民地との貿易の他に、卓越した資金調達能力が挙げられることがあります。

戦時に政府が急増する軍事支出に対処するには、基本的に増税を実施するか、もしくは国債を起債する必要があります。
歴史的に見ると、イギリス国債はヨーロッパ列強でも特に低い利率であったことが指摘されてきました。これは他国と比較してイギリスの国債が市場から信用されていたこと、そして市場から軍資金を調達する能力が高かったことを意味しています。

今回は、イギリスを世界帝国の地位に押し上げたその財政能力について歴史的考察を加えた研究を紹介したいと思います。

文献情報
Brewer, John D. 1988. The Sinews of Power: War, Money, and the English State, 1688-1783, Cambridge, MA: Harvard University Press.(邦訳、ジョン・ブリュア『財政=軍事国家の衝撃 戦争・カネ・イギリス国家1688-1783』大久保桂子訳、名古屋大学出版会、2003年)

目次
序論
1.コンテクスト
2.軍隊:軍事力組織化の諸形態
3.文民政府:政府の中央部局
4.カネ、カネ、カネ:膨張する債務と課税
5.国家権力のパラドクス
6.戦争のパラメーター:政策と経済
7.戦争と租税:社会、経済、世論
8.公の情報、私の利害
9.結論

この著作の基本的なテーマは、イングランド(大英帝国成立以前のイギリスの旧来の呼称として、以下ではこちらを使用)では早期に議会政治が成立したこととが、国家財政に対する監視を著しく強化する結果となり、その財政システムが戦争を戦う上でイングランドに大きな優勢をもたらした関係です。

16世紀、イングランドはフランスとの戦争で敗北したことを契機として、それまでヨーロッパ大陸に維持していた領土をすべて失ってしまいます。

その後のヨーロッパ大陸で勃発した三十年戦争でフランスはその勢力拡大に努めていましたが、軍事支出によって長期債務を抱えるようになってしまい、公務員への給与の遅配が常態化しつつありました。フランスで官職や称号の販売によって資金の調達する慣習が広がったのは、こうした背景があったためだと著者は指摘しています(ブリュア、2003年、30-31頁)。

一方、イングランドではヨーロッパ大陸での権益を失っていたため、三十年戦争でも積極的に関与しようとはしませんでした。
むしろ、イングランドではピューリタン革命によってオランダ式の財政運営と議会政治が導入されたことにより、フランスとはまったく異なる財政システムが構築されつつありました。
この財政システムの優位こそがフランスの軍事システムの優位に対抗するための新たなイングランドの武器となったのです。
「16世紀から17世紀初頭まで、かりにイングランドが積極的な交戦国だったなら、イングランド国家も相応の負債を負い、寄生的な役人層がはびこることになったにちがいない。その意味で決定的に重要なのは、イングランドの財政=軍事国家が誕生したタイミングである。財政=軍事国家が資源動員に乗り出したとき、それを主導した体制は、オランダの財政手法を取り入れたばかりか、議会による監視をつうじて、売官制の悪しき事例を防ぐ手立てを講じた」(同上、36頁)
新しい財政制度は従来のように王権の下で管理されていた財務報告よりも高い公開性と透明性を保証するものでした。しかし、実際にこの制度を運用するには、議会に対して正確な会計報告を行うための業務を処理する膨大な公務員が必要となります。
事実、17世紀にフランスとの戦争が勃発すると、イングランドでは公務員の大幅な増員を行っているのですが、この時に最初に増員されたのは兵士ではなく、歳入関係の部署であったことが明らかにされています(同上、77頁)。

これは当時のイングランドで歳入の大部分を占めていた個別消費税を担当する徴税官が増員したことによるものですが、1690年から1782年までの期間におよそ4倍近いの増員が行われました(同上、79頁)。
当時の彼らの労働の実態を見てみると、それがいかに労力を要するものであったかが分かります。

著者はある徴税官の労務記録を紹介しています。その記録を読んでみると、1週間に6日間が公務出張で各地を転々と移動し、出張から戻ると15時間の連続勤務を経てその週の報告書を提出し、ようやく1週間の勤務を終えるという生活を送っていたことが分かります(同上、82頁)。

驚くべきことに、これほどの労働を日々こなしていたにもかかわらず、消費税査察官の給与は低く、大多数の役人が法律文書や行政文書を清書する仕事と兼業することで、何とか生活を維持していたとされています。
その過酷さからフランスの役人のように官職の売買や兼職を行う事例もなかったわけではありません。それでも、大多数の役人がその税務行政を適切に遂行し、イングランドの財政システムを忠実に支えていたと著者は評価しています(同上、82-85頁)。

イングランドの資金調達能力の高さは、戦争が長期化するほどに強みを発揮していきました。
17世紀後期から18世紀後期にイギリスは九年戦争(1689-1697年)、スペイン継承戦争(1702-1713年)、オーストリア継承戦争(1739-1748年)、七年戦争(1756-1763年)、そしてアメリカ独立戦争(1775-1783年)と相次いで戦争に参戦しています。

この時期にイングランドの議会が予算案として承認した軍隊の定員を調べると、着実に軍事力が増強されていたことが読み取れます。
九年戦争で動員されたイギリス軍の兵士は76,404名、水兵は40,262名、合計で116,666名でしたが、およそ100年後に戦われたアメリカ独立戦争で動員したのは兵士108,484名、水兵82,022名、合計190,506名となっています(同上、40頁)。

ブリュアは世界の大国として台頭するに当たり、イングランドの財政力に貢献した役人たちの功績について次のように記しています。
「歴史家がこの人たちを取り上げてこなかったのは、ひとつにはその仕事がいかにも魅力に乏しいからである。これほどたくさん書き残している人たちなのに、この人たちについて書いた記録がほとんど残っていないのは、驚くべきことである」(同上、80頁)
国家の安全保障は軍事力だけがあれば良いという問題では決してありません。
軍事力を建設し、それを維持するためには相応の資金が必須であり、それなくしては戦い続けることはできないためです。

KT

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