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2015年12月30日水曜日

攻撃ヘリコプターの編成と運用

現代の陸上作戦で戦闘力を発揮するためには歩兵や機甲などの兵科を組み合わせ、高度な戦闘力を発揮する諸兵科連合が重要となっています。その中でもヘリコプターが重要な任務を遂行するようになっています。

今回は、米陸軍において攻撃ヘリコプターがどのような役割を担っているのかを概観してみたいと思います。

攻撃ヘリコプター部隊の編成
米陸軍では攻撃ヘリコプターは攻撃偵察大隊(attack reconnaissance battalion)で運用されており、これは戦闘航空旅団の下に2個編成され、攻撃ヘリコプターであるAH-64Dだけで編成される場合と、観測ヘリコプターであるOH-58Dだけで編成される場合、そして両者を1個ずつ組み合わせて編成する場合があります。
米陸軍における攻撃偵察大隊の標準的な編成。
上がAH-24を配備した場合の編成であり、下がOH-30の場合の編成である。
(FM 3-04.126: 1-6)
AH-64Dを配備した攻撃偵察大隊について説明すると、まず1個の本部管理中隊(Headquarters and Headquarters Company, HHC)、1個の前方支援中隊(Forward Support Company, FSC)、そして3個の攻撃偵察中隊(Attack Reconnaissance Companies, ARC)、1個の航空整備中隊から構成されます。それぞれの攻撃偵察中隊には8機のAH-64Dが配備されることになるため、合計で24機のAH-64Dが配備されることになります(FM 3-04.126: 1-5)。
攻撃偵察中隊(ARC)・攻撃偵察隊(ART)の編成表。
攻撃偵察中隊(上)は2個の攻撃偵察小隊から編成され、AH-64Dが4機ずつ配備。
攻撃偵察隊(下)も2個の攻撃偵察小隊から編成され、5機ずつOH-58Dが配備。
(FM 3-4.126: 1-8)
以上で攻撃偵察大隊から攻撃偵察中隊、そして攻撃偵察小隊に至る編成の概要が分かったと思いますので、次に個々の攻撃ヘリコプターの運用に関して見ていきたいと思います。

攻撃ヘリコプターの運用について
攻撃ヘリコプターは純粋に技術的観点から見れば航空機の一種ですので、陸上で戦う陸軍に攻撃ヘリコプター部隊が編成されていることが不合理に思われる方もいるかもしれませんし、それはもっともなことです。
この事情を理解するためには、攻撃ヘリコプターは一般にイメージされるよりも、はるかに低い高度で運用されることがあることを念頭に置かなければなりません。
攻撃ヘリコプターが隆起攻撃(bump attack)している図。
地形に沿って空中機動ができるヘリコプターの特性を利用した運用と言える。
(FM 3-4.126: 3-70)
実際の交戦では攻撃ヘリコプターの武装は機関砲、ロケット、対戦車ミサイルなどを用いて敵の戦車や装甲車などの地上目標を射つ場面が多く、必然的に低高度以下の高度で活動することになります。その場合、段丘や稜線に身をひそめて行動するというような地形地物に適応した機動が必要となります。

つまり、複数の攻撃ヘリコプターで組む編隊についても、地形に容易に適用できるように柔軟なものでなければなりません。
編隊を組んで飛行する際に各機がとる間隔の目安。
尾翼から右方へ45度の方向に対し、回転翼の大きさで判断する。
回転翼の直径に対して2倍の位置、3から5倍の位置、6から10倍の位置、それ以上の位置に区分。
一般に各機の間隔を大きくとるほど部隊としての脆弱性は小さくなる。
(FM 3-4.126: 3-4)
編隊を組んで飛行する場合に各機が占める位置関係についても、原則となる考え方がありますが、その一つに長機(lead)に対して僚機(wingman)は死角となる真後ろ位置することを避けなければならないというものがあります。また敵と接触する恐れがある地域を移動する場合には、各機の間隔を大きくとって、脆弱性を最小限度に抑制しなければなりません。
編隊を組む際には長機に対して僚機は一定の距離を保持しなければならない。
つまり長機の視界を遮らず、かつ敵との交戦において直ちに射撃可能な位置を占める。
上の図でleadが長機、wingmanは僚機、maneuver areaは僚機が占め得る位置。
(FM 3-4.126: 3-5)
このような長機と僚機の交戦における連携にもたくさんのパターンがありますが、ここでは同時攻撃と連続攻撃について説明しておきます。
攻撃ヘリコプターは強力な火力を備えているものの、一カ所にとどまると敵の射撃目標となりやすいので、昔の騎兵隊のように一撃すれば敵の反撃を受ける前に離脱し、少し離れて態勢を整えた後には次の一撃を加えるという戦い方をとります。
左が長機と僚機の同時攻撃を加える際に実施する機動、
右が長機と僚機が連続攻撃を加える際に実施する機動の図解。
同時攻撃の場合、攻撃の間隔が長くなるが、火力を集中することが容易となる。
反対に連続攻撃の場合、次の攻撃までの間隔が短くなる。
(FM 3-4.126: 3-65)
同時攻撃(simultaneous attack)の特性は長機と僚機が同時に攻撃を加える点であり、次の攻撃にまで時間がかかる一方で、僚機が長機の援護射撃をすることができます。そのため、より正確に目標を撃破する必要がある場合には同時攻撃を実施することが適切でしょう。
しかし同時攻撃だと次の攻撃までに時間がかかるため、敵の部隊が態勢を立て直したり、または別の場所へと退避しようとする可能性があります。そのため連続攻撃(continuous attack)では長機と僚機がかわるがわる攻撃を行う場合があります。
なお、連続攻撃は同時攻撃よりも技術的に難しいだけでなく、敵の脅威が大きい場合、また敵を撃破するために必要な火力が比較的大きい場合には選択すべきではないことに注意する必要もあります。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-04.126: Attack Reconnaissance Helicopter Operations. Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.

2015年12月26日土曜日

論文紹介 ISとの戦いでアメリカの地上部隊が必要な理由

2015年12月現在、国際テロリスト集団のイスラミック・ステート(Islamic State)は、イラク北部からシリアの領域を武力によって支配し続けています。昨年と比べれば状況は改善しつつありますが、イラク軍、アメリカ軍は依然としてその勢力圏を瓦解させるには至っていません。

今回は、アメリカ陸軍の立場からISに対する軍事戦略について考察した研究論文を紹介してみたいと思います。

文献情報
Johnson, David E. 2015. "Fighting the "Islamic State": The Case for US Ground Forces." Parameters, Spring, pp. 7-18.

オバマ政権が打ち出した戦略の間違い
この論文で著者が展開している議論の多くはオバマ政権の戦略に対する批判です。
著者は、アメリカがISとの戦いを対反乱戦(counterinsurgency war)として捉えているが、むしろ戦争として捉えることが必要であり、この戦争に勝利するためには地上部隊の投入が欠かせないと論じています。

著者の見解によれば、そもそも現在の政権が実施している戦略は、ISとの戦いを誤った視点で捉えています。2015年2月11日にオバマ大統領は議会でISとの戦いで用いられるべき自身の戦略について説明しており、その内容を検討すると、基本的な目標とはISの打倒であり、その方法としてイラクとシリアにおけるISに対する体系的な空爆、その手段としてイラクに対する限定的な航空勢力、顧問団、支援を提供することである、とされています(Johnson 2015: 8)。
さらに、第一線で戦う地上部隊についてはクルド人、スンニ派、シーア派の民兵、そしてイラン革命防衛隊がこれを支援するものと想定していました(Ibid.)。これらがオバマ政権のISの問題に取り組む上で採用した戦略構想の概要だったのです。

このオバマ政権の戦略は、アフガニスタン、イラクでの戦争でアメリカが採用したものと本質的に同一のものだと判断できます。著者はそれが反乱に対する戦略に過ぎず、ISとの戦いでは不適切だと述べています。
「今日、航空勢力とイラク陸軍の限定的な作戦はイスラミック・ステートを弱体化させ、彼らが広漠とした地域に進出する際に危険を強いている。その対策として、イスラム国は市街地に拠点を移しつつある。アメリカ空軍中将David Deptulaは段階的に実施される航空作戦でイスラミック・ステートを撃破することができると論じたことがあるが、上述したことは地上で新たな状況を引き起こしており、もはや空爆だけでは解決不可能な問題が生じているのである」(Ibid.: 8-9) 
ここで著者が紹介した見解が正しいのであれば、オバマ政権のISに対する戦略は必ず失敗するとは言い切れません。しかし、著者はこうした航空作戦の考え方に問題があると考えています。

なぜアメリカ陸軍の能力が必要なのか
著者がオバマ政権の戦略で懸念しているのは、市街地における空爆が必ずしも有効ではないという点です。
「イスラム国の戦闘員は今や自らの存在を占領する地域や都市住民に紛れさせて掩蔽することが可能である。彼らはガザ地区のハマスやフエにおける北ベトナム軍と類似しており、イラクやアフガニスタンで我々が戦ってきたタイプの反徒ではないのである」とも指摘されています(Ibid.: 9)。
現地勢力を地上部隊として間接的に利用することに依存したオバマ政権の戦略では行き詰まりになる可能性が大きいため、著者としてはアメリカ陸軍の部隊を投入する必要が大きいと判断しているのです。

この見解の根拠の一つとして著者は最近の事例を挙げています。それは2007年にブッシュ大統領が実施したイラクに対する3万名の増派です。
この時の増派では5個旅団が投入されましたが、そのことによって治安回復に成功しただけでなく、イラクにおける治安維持部隊の訓練を支援し、独立した作戦行動が可能な水準にまで育て上げることができました。この能力構築の成果がなければ、そもそも2011年のアメリカ軍の撤退を実現することは難しかったと述べられています(Ibid.: 13-4)。

著者によれば、ISの現在の戦闘力を分析すれば、これはイラク軍やシーア派の民兵の手に委ねることができるような脅威ではなく、彼らの能力で対応することができるという考え方には根本的な疑問が残ります。イラク軍がもしもISに敗北するようなことがあれば、ISはその戦果を世界各地での人員募集活動に活用し、アメリカ国内または同盟国の国内に危険が及びやすくなることになるという可能性も軽視されるべきではありません(Ibid.: 15)。

日本の安全保障との関係性について
著者の議論で興味深い部分の一つが、このISに対するオバマ政権の戦略が東アジア情勢を考慮するあまり、中東情勢の優先順位が低く設定されているという指摘です。この論点については次のように説明されています。
「イスラミック・ステートによるイラクに侵攻すれば、国家安全保障戦略と部隊配置の大幅な見直しを余儀なくされる。ここでの中心的な問題とは、アメリカが陸軍を直接戦闘に参加させない立場を堅持することによって、中東とそれ以外の地域におけるISとの戦いで期待される政策効果が得られなくなるということである。これは部分的には中国の台頭に対抗するために太平洋でリバランシングを行うという現在の戦略の結果である。中国の問題は重要ではあるが、とはいえそのことによってそれ以外の世界から関心を失うべきではない」(Ibid.: 16)
著者はアメリカ軍の部隊をアジア太平洋方面に集中することによって、中東方面の戦略に支障が出ていると指摘しているのです。これはアメリカ軍の戦略が常に世界戦略として展開されていることを再認識させるものです。ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中東、アフリカ、南アジア、オセアニアなどで何か危機が発生すれば、アメリカ軍はこれに対応するために部隊を動かさざるを得ません。もしアジア太平洋地域でアメリカ軍が中国の台頭に備えようとすれば、それだけ世界の別の地域に配備できる勢力が低下するというジレンマがここで垣間見えます。

むすびにかえて
著者が指摘したように、ISの主力は空爆を避けて平野部から市街地に移動し、そこで地域防御の構えを見せているようです。このような防御者を撃破することが難しいことは確かにそうです。しかし、それが不可能であるかのように論じることは間違いであり、オバマ政権の戦略に対する著者の批判には問題があります。

市街地で敵がどれほど強固な防御陣地を構築したとしても、十分な規模の地上部隊があるならば、包囲網を形成することができます。一度このような攻囲を受ければ、外部からの増援と呼応しないと解囲は極めて困難となります。私は適切な規模の戦力と十分な時間をかければ、必ずしもアメリカ陸軍の部隊を投入しなくても、攻略することは可能であると考えます。
とはいえ、著者の最後の指摘は確かに重要です。結局、アメリカ軍の戦略は、いつ、どこで、どのようにアメリカ国民が戦うべきだと考えるのかによって影響を受けます。中東地域でのISに対するアメリカ軍の作戦も、東アジアやヨーロッパでの情勢と無関係ではありません。

KT

関連項目
論文紹介 NATO加盟国は対テロ作戦で団結せよ

2015年12月22日火曜日

論文紹介 航空母艦に将来性はあるのか

海軍の歴史を振り返ると、それは技術革新の歴史であったことが分かります。内燃機関の導入、砲弾の威力向上、軍艦の機能分化、装甲艦の一般化など新たな技術が登場すれば、それは海上戦闘の様相を一変させ、引いては国際政治の勢力関係を変えてきました。

今回は、20世紀の海軍史に大きな影響を与えた航空母艦を取り上げ、21世紀における将来性について評価した研究論文を紹介したいと思います。

文献情報
Rubel, Robert C. 2011. "The Future of Aircraft Carriers."Naval War College Review, 64 (4): 13–27.

この論文で著者は教義という観点から米海軍における空母の運用を考察した上で、現在の海軍を取り巻く技術的環境を分析し、両者を総合することで空母の将来性を評価しています。

空母の発達と主力艦としての運用
当初、米海軍における空母の運用は情報収集を主眼としたものでした。これは軍事目的での航空機の運用が(第一次世界大戦における)陸上作戦の航空偵察から始まったことが関係しており、いわば空母は海上で偵察機を運用するためのプラットフォームとして位置付けられていたのです(Rubel 2011: 15)。しかし、このような空母の運用は航空機の性能が改善されるにつれて変化していきました。

米海軍で空母が戦闘で決定的役割を果たすことが認識されるようになった契機は第二次世界大戦であり、日本海軍による真珠湾攻撃、米海軍によるドゥーリットル空襲で一撃離脱を基本とする空母の集中運用の有効性が確認されることになります(Ibid.)。
それまで海軍では主力艦(capital ship)という用語は主として排水量が大きく、砲力に優れた艦艇に対して用いられてきましたが、航空攻撃の威力が増大するにつれて空母も主力艦としての役割を果たし得るという考え方が広がり、主力艦の一種として見なされるようになります(Ibid.: 15-6)。

技術革新による空母の脆弱性の増大
第二次世界大戦が終結すると、空母の新たな役割として核攻撃のプラットフォームが追加されることになりました。核ミサイルを塔載した原子力潜水艦の運用が確立されるまでの間、空母は洋上から戦略爆撃機を発進させるという任務を担い、核抑止の実効性を担保することになりました(Ibid.: 16)。
とはいえ、弾道ミサイルを発射できる原子力潜水艦によってこの機能は完全に代替されることになったこともあり、敵のミサイルの有効射程に空母を近付ける危険が次第に米海軍の内部でも重視されるようになっていきます(Ibid.)。

その後、空母の役割は洋上の滑走路として以降していきました。1973年の第四次中東戦争で米海軍は三個の空母群をイスラエル軍の支援のために東地中海へと派遣しています(Ibid.: 17)。この事態への対応でソ連軍はそれら空母に対して航空戦力で数的優勢を占めるために5個の飛行隊を作戦地域に展開できる態勢をとりました(Ibid.)。
この時に米ソ両軍が直接交戦することはかなったものの、この時の経験は米海軍の空母の運用を支配する従来の教義に疑問を投げかけました。
空母の脆弱性は技術環境の変化によってますます増加する傾向があるにもかかわらず、第四次中東戦争で実施したような集中運用をとることが果たして望ましいと言えるのか、米海軍の内部で教義の再検討が進められることになります。

その結果、近年では米海軍における空母は『地政学的な駒(geopolitical chess piece)』として位置付けが重視されることになりつつあります(Ibid.: 17-8)。つまり、空母が持つ戦闘力を直接行使するというよりも、それを外交上のメッセージとして活用することに主眼を置くようになっているということです。

新たな海軍技術の動向と空母の運用への影響
著者の説によれば、将来の空母の運用に関する教義に重大な影響を与えうる新たな技術が開発されており、その動向を展望すれば空母の役割は今後ますます限定される傾向にあると考えられます。
空母の脆弱性を増大させる技術の一つとして著者が注目しているのが対艦弾道ミサイルの技術です。禁煙、中国が開発を継続しているDF-21Fはその典型的な事例であり、射程、威力、精度が改善し続ければ、それは「中国による台湾侵攻や中国の沿岸近くでの先制行動に対して米国が介入することを抑止することに役立つであろう」と考えられています(Ibid.: 19)。

その他にも、潜水艦、対艦巡航ミサイルも考察の対象とされています。確かに潜水艦が直ちに空母の運用を不可能にするというわけではありませんが、潜水艦の存在は空母の運用に不可欠な機動の自由を妨げることに寄与することは間違いありません(Ibid: 20)。
著者によると、米海軍の内部で実施されている兵棋演習では小型の空母を多数保有することによって、こうした脅威に対する空母の脆弱性を緩和できるのではないかという研究もなされたことがあるようです。しかし、その結論として空母の小型化により飛行甲板の面積が縮小され、艦載機の運用効率が低下するだけでなく、多くの空母を整備するための費用がさらにかさむようになることが判明しました(Ibid.)。

このほかにも、防空システムの発達、F-35Bのような垂直離着陸が可能な機体の開発、さらに無人機の普及が、空母を艦隊の中核として位置付ける必要性に疑問を投げかけています(Ibid.: 20-1)。こうした装備の性能が向上すれば、正規空母が果たしてきた能力を補完することができる可能性があるとも考えられるためです(Ibid.: 21-3)。

空母の将来性は疑わしい
著者は近い将来において空母の役割が完全に消滅するとは考えにくいが、空母が遂行できる任務は一層限定される傾向にあると評価しています。
「海軍の航空畑によって示された発想の柔軟性によっては、新たな教義の役割が出現するかもしれない。しかし、それら新たな役割が出現したとしても、非常に大きな(米海軍の)空母の保有量が正当化されることはあり得ないだろう。そして、海上勢力の最高権威として、そして艦隊建設の決定要因としての空母の時代は終わろうとしてるかもしれない」(Rubel 2011: 26)
著者の説に対しては賛否両論あるでしょうが、もしこの説を受け入れるのであれば、米国の覇権を支えてきた海上戦力の優位性が時間の経過とともに失われる可能性が考えられます。
これまでの国際政治において主導的地位を保持してきた米国は、世界各地に空母を派遣する能力を直接間接に活用してきましたが、今後この空母への対抗手段が発達すれば、空母の機能はさらに象徴的なものとなり、最終的には20世紀中葉に戦艦のような歴史を辿ることさえあり得るのです。

無論、この論文をもって空母の将来性の問題が語りつくされたわけではありません。次世代の海上戦闘の様相についてはさらなる研究が強く求められています。
海軍に関する技術革新の動向は、海洋国家である日本の安全保障に多大な影響をもたらすことに注意しなければなりません。

KT

2015年12月18日金曜日

論文紹介 中国の立場から見た在日米軍基地

日本にとって在日米軍が存在することは、中国が東アジア地域で自在に軍事行動を起こすことを妨げているため、中国軍としてその脅威を無視することはできません。
中国が在日米軍のプレゼンスをどのように判断しているかを知ることは、日本にとっても重要なことです。

今回は、中国の観点から在日米軍基地がどのように評価されているのかを検討した研究論文を紹介したいと思います。

論文情報
Yoshihara, Toshi. 2010. "Chinese Missile Strategy and the U.S. Naval Presence in Japan." Naval War College Review, 63(3): 39-62.
(https://www.usnwc.edu/getattachment/69198ee2-edc2-4b82-8f85-568f80466483/Chinese-Missile-Strategy-and-the-U-S--Naval-Presen)

在日米軍基地に対する中国の認識
中国がアジア太平洋地域における米軍基地の動向に重大な注意を払うのには理由があります
1996年の台湾海峡危機で米海軍が艦隊を派遣して予防展開した際に、中国政府はこれに対抗する手段を持っていなかったことが教訓となっているのです(Yoshihara 2010: 41)。
そして、中国は米国の海上戦力の圧力から自らの勢力圏を防衛するために在日米軍基地の価値に注目しているのです(Ibid.: 42)。

著者によれば、中国はアジア太平洋地域における米軍の基地のネットワークを分析した上で、そこに戦略的縦深を持たせた「三線配置」が形成されると見ています。
すなわち、その第一線は日本と韓国からインド洋のディエゴ・ガルシアに至る前方基地帯、第二線はグアムからオーストラリアまでを結びつける基地のネットワーク、最後の第三線はアリューシャン、ミッドウェー、ハワイ、アラスカを結ぶ線として表すことができます(Yoshihara 2010: 43)。
この「三線配置」において在日米軍基地はアジア太平洋地域における米軍基地ネットワークに属し、中国に最も近接した前方基地としての役割を果たすことになります。

つまり、中国がその国土の周囲で戦略的防衛線を構成するためには、この在日米軍基地の機能を低下させることが何としても必要となります。
中国軍の弾道ミサイルの射程を表した地図。
短距離弾道ミサイルDF-15の射程は点線で、
準中距離弾道ミサイルDF-21の射程は実線で示されている。
また中国軍の勢力圏の内部に位置する主要な日米の作戦基地が示されている。
(Yoshihara, T. 2010: 43)より引用。
中国の軍事戦略の特徴
さらに著者は、中国軍からの公認を受けた刊行物であり、中国軍の戦略について知ることができる貴重な資料である『軍事戦略の科学』の内容について検討し、そこから在日米軍に対して中国がどのような軍事戦略をとるのかを考察しています。

その著作によれば、中国は将来の戦争の様相について、高度化された技術をもって行われる局地戦を戦うことになると予想されています。そして、このような戦争で勝利を収めるためには、敵国の正面戦力を撃破することよりも、それを支援する作戦基盤を打撃することの方がより戦略的に重要となると考えられています(Ibid.: 47)。
つまり、敵と交戦する作戦地域を可能な限り前方へと推進することによって、我が方の作戦基盤が打撃を受ける危険を低下させると同時に、敵国の作戦基盤に打撃を加えやすくしなければならない、ということになります。

さらに著者は『軍事戦略の科学』からの引用として、「開戦後、我が方としては可能な限り遠方で敵と交戦し、戦争を敵の作戦基地、さらに敵の中核地域にまで導き、敵の戦争システムを形成する上で有効なあらゆる諸力を積極的に打撃できるように最善を尽くすべきである」という原則を紹介しています(Ibid.)。
これは中国の軍事戦略の在り方として、よく知られている接近阻止・領域拒否の考え方ともよく合致する議論です。

さらに、中国軍において最も権威ある刊行物の一つ『第二砲兵戦役の科学』では敵国の作戦基盤を攻撃目標とすべきだけではなく、その同盟国の作戦基盤についても重要な攻撃目標と見なすべきという考え方が示されています。
著者によれば、この文章では中国の敵国が中国周辺の同盟国の軍事基地を使用することがあれば、その軍事基地の機能を妨害するための打撃を加えることができる、とされています(Ibid.: 50)。

中国の戦略的思考を理解する重要性
これらの調査結果を踏まえるならば、中国は(例えば台湾有事によって)米国との戦争が始まったならば、その当然の帰結として、同盟国に対して武力攻撃を加える必要があると考えているものと判断されます。
著者は特に在日米軍基地に関する中国軍の見方を総合した上で、なぜこのような見解が形成されているのかを推測しています。
「中国の文書によれば、在日米軍基地に対する強制的な活動に対する反応を人民解放軍は受け入れたいと考えている複数の兆候が確認される。このようなエスカレーションをもいとわない傲慢な態度は、何によって説明することができるだろうか。第一に、これらの(中国軍の)文章は強制と抑止の理論が非常に未発達な段階にあることを示唆しているかもしれない。(中略)第二に、勝利することが極めて難しい近代的な戦争・危機に対する経験が乏しいことによって、エスカレーションを管理することは容易できると楽観している可能性がある」(Ibid.: 56)
中国の戦略家は欧米の研究者が考えているような戦略理論を共有していない可能性があるという指摘は、今後の対中戦略を考える上で重要な意味を持っています。中国がどのような理論に基づいて戦略を組み立て、解釈しているのか、さらなる研究が求められるところでしょう。

最後に、この論文で中国が在日米軍基地を最も重要な攻撃対象と位置付けているという分析を読んで、米軍基地の撤廃が直ちに必要だと考える方も一部にはいらっしゃるかもしれません。
しかし、在日米軍基地を撤廃した後に、中国が日本をより攻撃しやすくなったと判断してしまう可能性はどのように除去できるのでしょうか。台湾は中国の軍事的圧力に対してどのようにして自らを防衛すればよいのでしょうか。その後の東アジア地域の国際秩序はどのように維持管理すべきなのでしょうか。これらの問題を検討すれば、在日米軍基地の必要性を安易に否定することはできないのではないでしょうか。

KT

2015年12月17日木曜日

近代的国家の成立と軍隊の官僚化

政治学、社会学、宗教学に業績を残したマックス・ウェーバーの著作には軍隊の歴史に関する記述が数多く見出されます。ウェーバーは近代的国家の成り立ちに関心があり、その関係で国家と軍隊の関係を分析する必要があったためです。

今回は、ウェーバーの議論の中でも近代国家と軍隊の関係を説明した部分を紹介したいと思います。

ウェーバーの近代国家論
ウェーバーは古代、中世、近世を経て近代的な国家が誕生する過程を概観し、近代の国家の最大の特徴に官僚制を挙げました。
その官僚制は、法令によって明確な権限が規定されていること、上級官庁による下級官庁の監督という階層制が確立されていること、そして職務の執行が全面的に文章によって定められており、文章主義が徹底されていることなどによって特徴付けられます(ウェーバー、2012年、221-225頁)。
このような官僚制の導入が成功するためには、その国内で貨幣経済が先行して成立していること、そして行政事務の拡大と複雑化も導入の要因となります(同上、237-255頁)。
このような官僚制国家の形成こそがウェーバーの考える近代国家の成り立ちでありました。
「官僚制構造は、首長の手中に物的経営手段が集中するのとあいたずさえて発達する。この物的経営手段の集中は、私的資本主義的大経営の発展のうちに周知の典型的な仕方で見られるのであって、大経営の本質的特徴はまさにその点に存している」(同上、269頁)
軍隊の歴史における官僚化の過程
ウェーバーはさらに、この官僚化こそが近代的軍隊の成り立ちで重要な側面であったことを論じています。つまり、古代や中世までの軍隊の多くが武器や糧食の多くは兵士たちの個人的、私的な負担で調達されていましたが、近代以降の軍隊(そして近代以前にあった官僚制的特徴を持つ軍隊)だと公的支出によって負担されるようになったのです。
「しかし、公共団体の場合にも、事情は同様である。官僚制的に指揮されたファラオの軍隊、ローマ共和制後期及び帝政下の軍隊、とりわけ近代の軍事国家の軍隊は、農業部族の土民軍、並びに古代都市の市民軍及び初期中世都市の民兵隊、また一切の封建的軍隊に比べると、次の点で特徴付けられる。すなわち後者にあっては軍役義務者の武装自弁と糧秣自弁とが常態であるのに、官僚制的軍隊にあっては、装備と糧秣は首長の倉庫から支給されるのである。ちょうど工業における機械の支配が、経営手段の集中を促進したのと同じように、機械戦としての現代の戦争は、この後者を(装備・糧秣など戦争経営手段の集中)を技術的に絶対不可欠の手段とするのである」(同上、269-270頁)
所要戦力の増大が官僚化の要因
軍隊の官僚化が進行した理由についてウェーバーは必然的なものがあったと考えており、それは経済的に武装を自己調達することができる市民階級だけでは国家の防衛に必要な戦力を整えることが不可能になったことが関係していると説明しています。
「これに反し首長によって装備をほどこされ、糧秣を与えられた過去の官僚制的軍隊は、経済的に武装自弁の能力を持つ市民層が、社会的及び経済的発達の結果、絶対的にか相対的にか減少し、こうして、市民の数をもってしてももはや、必要な軍隊を配置するのに不十分となるにいたって、発生した場合がほとんどである。少なくとも相対的に、つまり、国家制度に必要な兵力の量に比べて、(市民の数が)足りなくなったときに成立したのである」(同上、270頁)
つまり、安全保障上の要求として所要戦力が増大し続けると、武装を自弁できる貴族階級だけで軍隊を整えるわけにはいかなくなったので、武装を自弁できない平民階級を動員し、かつ彼らに武装を与えるための行政機構の強化が必要となったということです。
この歴史的変化を理解する上で興味深い事例としてウェーバーが挙げているのが軍服の歴史です。

軍服の着用と近代的軍制の関係
ウェーバーは古代から中世までの軍隊では兵士の多くが武装に関する費用を自己負担していたがため、全軍的に標準化された軍服というものが視られなかったと指摘しています。つまり軍服とは軍隊の官僚化が一定の段階になってはじめて可能となるのです。
「戦争経営の官僚制化は、他のどのような産業とも同様に、私的資本主義の形をとることもあろう。形はごくまちまちであるが、私的資本主義による軍隊の調達と管理は、特に西洋の傭兵軍において19世紀初頭に至るまで通例のことなのであった。三十年戦争時代には、ブランデンブルクでは兵士の多くはなお、自らその職業の物的手段である武器、馬匹、被服の所有者であった。もっとも、国家がすでに、いわば「問屋」としてそれらをほとんど供給していたのであるが。降って、プロイセンの常備軍においては、中隊長が右の物的戦争手段の所有者であったし、国家の手に頃手段が終局的に集中されるようになったのは、ようやくティルジットの和約以後のことなのであり、これと同時にはじめて軍服の着用が全般的に実施されるのに至ったのである」(272頁)
ティルジット条約は1807年にフランスとプロイセンで締結された講和条約でした。
プロイセンはナポレオンが指導するフランスとの戦争に敗れてこの条約を締結し、そのことを一つの契機として本格的な軍制改革を開始しています。ウェーバーが指摘しているように、この軍制改革を通じてプロイセン軍は軍隊の指揮系統を国王に一元化させ、一挙に官僚化を推進することになったのでした。

今回の議論の要約
ウェーバーは近代的国家の成立が官僚化にあり、軍隊の歴史においても近代以降には官僚化の過程が確認されることを指摘しました。これは政治史の観点に基づく軍隊の歴史として非常に興味深い分析であり、さまざまな軍事制度の成り立ちを説明することができる説です。
特に、軍隊の官僚化の一つの帰結として、武器、装備、被服を兵士が自己調達することがなくなり、国家の公的負担によって調達されるようになったため、全軍的に標準化された軍服が導入されたのだというウェーバーの説明は、この視座が軍隊のさまざまな側面に適用可能であることを示しています。

軍隊の歴史は軍事的文脈だけで考えがちですが、政治的文脈から捉えることによって、新たな側面を見ることができることを示唆する興味深い研究だと思います。

KT

参考文献
マックス・ウェーバー『権力と支配』濱嶋朗訳、講談社、2012年

2015年12月15日火曜日

いかにイギリスは急増する火薬の需要に対応したのか

ヨーロッパにおける戦争の歴史において白兵戦闘から火力戦闘への移行はちょうど15世紀に進み、16世紀になるとその軍事的重要性が幅広く認識されるに至っていました。
この動向は火薬という歴史的に見て新しい軍需を創出することになりました。しかし、ヨーロッパ列強の君主は増大する火薬需要に対して国内に生産基盤を整備することに大変な苦労をしなければなりませんでした。

今回は、近世ヨーロッパ列強でも特にイギリスが火薬の供給を確保するために実施した取り組みを紹介してみたいと思います。

ヨーロッパで貴重だった硝石
そもそもヨーロッパにおける火薬の製造の歴史は14世紀にまでさかのぼることができます。諸説ありますが、火薬を製造する技術は9世紀の中国大陸で見出すことができ、十字軍によるイスラム世界との接触を通じて1300年代にはヨーロッパに伝わっていたと考えられています。
しかし、ヨーロッパ人はこの火薬の知識を得た後でさえも、火薬を効率的に生産する技術を直ちに確立できたわけではありませんでした。なぜなら、ヨーロッパの湿気が多い気候では火薬を製造するために必要な硝石を入手することが技術的に難しかったためです。

14世紀の硝石の製造法として硝石丘法が一般に知られていましたが、これは生石灰、藁、土を丘のように重ねた地層に、動物や人間から採取した尿を投入し、その土を容器に入れて沸騰させ、冷まして結晶化するという工程を繰り返し行うというものでした。
この分野の研究によれば、硝石丘法は「産出量は低く、大量の土と尿を必要とした。最高に生産できて、45キロの土から0.4キロ足らずの硝石がとれるくらいだった」と述べられています(ポンティング、2013年、136頁)。
ちなみに15世紀におけるフランス軍の砲兵隊が一年に消費した火薬はおよそ20万トンと記録されています(同上、141頁)。
さらに15世紀から16世紀にかけて戦場における火薬の消費量が増大し続けたため、ヨーロッパ列強の君主は硝石の供給を確保するための施策を講じざるを得なかったのです。

イギリスにおける硝石不足の問題
この火薬の需要増加と硝石の供給不足という問題は、1641年に清教徒革命が発生し、内戦が激しさを増した際に一挙に表面化しました。
当時、国王と対立した議会は火薬庫の備蓄を使い果たして味方の部隊に火薬を供給することができなくなり、緊急の措置として各地の公安委員会に硝石を集める権限を与えました。公安委員会から指示を受けた硝石採掘人は一般個人の所有地である「ハト小屋、家畜小屋、地下室、地下貯蔵室、からの倉庫、ほかの離れ屋、中庭、および硝石がつくれる土がありそうな場所で硝石を探し、掘り起こした」とされています(同上、139頁)。

1656年に内乱が収束した後、イギリス政府はインド産の硝石に注目するようになります。
先程も述べた通り、ヨーロッパの気候は硝石の製造に適していませんでしたが、インドにおける現地調査が進むとインドが硝石の製造に都合がよいほど暑い気候であり、土壌に天然の硝石が多数存在することが分かってきました(同上、140頁)。
18世紀、インドを支配するムガル帝国の勢力が低下する中で、イギリスは勅令企業である東インド会社に軍隊を組織させ、インドにおける勢力拡大に乗り出します。

硝石の名産地だったインド
このイギリス人の侵攻に激しく抵抗したのがデカン高原一帯を支配するヒンドゥー教徒のマラーター勢力でした。
彼らはオスマン帝国を通じて火力戦闘の重要性をよく理解しており、硝石の生産に必要な軍需工場を自前で所有していただけでなく、東インド会社軍との戦闘では大砲とロケットを投入して長射程からイギリス人の戦列に損害を加え、マスケットを装備した歩兵で攻撃を加えてきたのです(同上、103-107頁)。

さらに加えてイギリス人のインド侵攻にはマラーター勢力だけでなく、フランス人も対抗しました。
当時のフランス軍もインドから輸入される大量の硝石に火薬の供給を依存していたことから、インドをイギリスの勢力圏とさせてはらなないと判断したためです。

しかし、1750年以後にイギリスがマラーター戦争での勝利によってインドでの支配権を強化すると、フランスは政策転換を余儀なくされ、国営の火薬硝石公社を設立して自給自足する路線を模索します。しかし、結局はフランス革命戦争・ナポレオン戦争で急増する火薬需要に対応うることができず、1793年に全ての国民の地下室、家畜小屋から硝石を収集することを義務付ける法案を議会で成立させることになりました(同上、142頁)。
このようにしてイギリスは他のヨーロッパ列強が不足に喘ぐ硝石を自国だけ大量に確保することを可能にしたのでした。

結びにかえて
硝石の不足という問題は近世ヨーロッパ列強の間で幅広く認識されていました。イギリスはいち早くこの問題を解決するためにインドの価値に着目し、マラーター勢力との戦争に勝利して豊富な硝石資源を獲得することに成功しました。
一般的にはイギリスがインド産品として注目したのは綿織物だったと説明されます。しかし、ヨーロッパにおける戦争の形態の変化、それに応じた新たな火薬需要、そしてインドで豊富に産出される硝石資源に歴史的な関係性があったということも興味深い歴史の一側面だと言えるでしょう。

KT

参考文献
Ponting, Clive. 2005. Gunpoweder: An Explosive History. Chatto & Windus.(邦訳、クライヴ・ポンティング『世界を変えた火薬の歴史』伊藤綺訳、原書房、2013年)

2015年12月12日土曜日

市街戦における歩兵小隊の攻撃について

現代の安全保障環境では二つの理由から市街戦がその重要性をますます高めています。第一の理由は人口の増加と都市化の進行によって市街地の面積が増加する傾向にあることであり、第二の理由は経済発展に伴って不正規戦争、ゲリラ戦争、テロリズムの有効性が増大していることです。

今回は、市街戦における歩兵小隊・分隊の基礎的な運用について取り上げ、特に攻撃に関する問題を中心に説明したいと思います。

市街戦での建物に対する攻撃の実施要領
あらゆる作戦はその活動の形態から攻勢作戦と防勢作戦に分かれますが、市街戦の部隊行動にも同様に攻撃と防御があります。
市街戦で実施する攻撃も、その他の地形の場合と基本的な要領は変わりませんが、市街戦で攻撃の目標となるのは建物であるため、それに応じた攻撃の手順を考えなければなりません。
攻撃する建物の周囲を取り囲み、外部から敵の増援が進入できなくした状態の一例。
左右両翼の小隊と戦車が敵を警戒するため建物を挟む道路に対する射線を確保。
この状況で残る歩兵小隊が建物に対する強襲を実施することが可能となる。
(FM 3-21.8: 7-38)
まず市街戦における歩兵小隊の攻撃は必ず他の小隊の支援を受けて実施しなければなりません。ある建物に対して攻撃する際にも、その建物に隣接する建物や道路から敵の増援が出現すれば、そのまま部隊がその建物から移動することができなくなってしまう恐れがあるためです。
そのため、先に挙げた図のように、攻撃の際にも支援に当たる小隊と、強襲に当たる小隊で役割を分担することが重要となるのです。

建物への突入と突破口の確保
建物に対する突入の部隊行動を分析すると、突破の攻撃機動の方式と強い類似性が認められます。敵の陣地で弱点となっている地点を見極め、そこに火力を集中し、一挙に敵の陣地に進入して突破口を拡張しながら前進するのです。
しかし、最初に突入する地点が狭いと有効な援護射撃ができないため、どのような装備で最初の突破口を形成するかを適切に選択する必要があります(Ibid.: 7-39)。手榴弾などは閉所に対する突入で最もよく使用される武器の一種です。

さらに建物の攻撃を考えると、地上階から突入を行う場合(bottom entry)と屋上から行う場合(top entry)があります。
前者の場合、既存の扉や窓ではなく、壁を爆破して突入する方が敵の意表を突くことができるために望ましいとされています(Ibid.: 7-39)。
後者の場合、屋上や屋根に対して接近できることが前提条件となりますが、より効果的に建物を攻略することができます。屋内に入る際には階段を下に見下ろすことができますし、敵を建物の外へと圧迫誘導し、建物の周囲を取り囲んでいる他の小隊に撃破させることも可能となるためです(Ibid.: 7-39)。

部屋の確保と通路の移動
部屋に突入する際の部隊行動の要図。
1番は進入と同時に直ちに左右どちらかに移動し、2番の射線を確保する。
2番は1番の反対の方向へと移動し、3番の進入を誘導する。
3番は入口の付近から少なくとも1メートル以上移動し、その間に1番と2番は壁沿いに部屋の奥へと移動する。
最後に4番が部屋に突入して3番と反対の方向に沿って1メートル以上移動し、1番と2番は部屋の最深部まで移動する。
(FM 3-21.8: 7-42)
ある部屋に突入する際には4名で実施し、上に示した図の通りの部隊行動をとります。こうした教練を有効に実施するためには各自がそれぞれの役割を熟知していなければならず、班長は部隊としての行動を統制しなければなりません。
また部屋を確保した際に非常に重要なこととして、必ずその部屋から他の建物の屋上や屋根に移動できるかどうかを確認することが挙げられます。敵がその部屋から脱出していないかどうかを確認するためです。また一度確保した部屋についてはその旨を標示しておき、他の味方にも分かるようにしておくことも重要です。
屋内で通路を移動する際の隊形。
菱形隊形(左)とV字隊形(右)
(FM 3-21.8: 7-43)
建物の内部で部屋から部屋へと移動する際には、狭い通路でも射手が有効な射撃ができるように指揮官が隊形を選択しなければなりません。
また通路で移動する際に重要な要領も以下の二種類があります。
通路の連結部を通過する際の基本的な要領。
1番と3番が警戒に当たり、その間に2番と4番が通過する。
(FM 3-21.8: 7-44)
狭いT字路で左右に曲がる際の要領。
左右の両方に対する警戒した後、隊形を菱形に切り替えている。
(FM 3-21.8: 7-46)
通路で移動する場合でも敵に対して優勢な火力を指向するという原則的な考え方は変わりません。しかし、狭い通路で全ての射手が射線を確保することは難しいため、どの場所に誰が位置して援護射撃をすべきなのかを判断することが必要です。
階段を移動する際の部隊行動の要領。
1番が階段の外側、2番が内側から踊り場を警戒し、3番は最初の地点で上階の方向を警戒する。
(FM 3-21.8: 7-47)
また建物の内部で危険性が特に大きい場所に階段があります。特に下階から上階へと移動する際にはどうしても大きな死角が生まれるため、射撃と運動の基本に基づき、交互に躍進しながら警戒することがどうしても必要となります。
また階段は室内で罠や障害が仕掛けられることが特に多い地点でもあるため、指揮官は階段に部隊を進入させる前に地形をよく観察することを欠かしてはなりません。注意しなければならないのは階段に突入する場合には部屋に突入する場合とは異なり4名よりも3名の方が望ましいとされていることです(Ibid.: 7-47)。

結びにかえて
屋内における交戦の要領は極めて複雑であり、常に教練通りといかないのが普通です。
米軍の教範でも「屋内での交戦のために考案された特別な教練があるが、強襲全般は作戦であり、教練ではない。計画立案の間、分隊レベルの指揮官は自らが担任する部屋の窓(隙間、穴、銃眼)を見つけなければならない」と述べられています(FM 3-21.8: 7-38)。
特に建物に対する攻撃が一旦始まると、その後の戦闘の推移は兵士一人ひとりの地形判断と戦術能力に頼るところが極めて大きいと言えます。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-21.8: The Infantry Rifle Platoon and Squad, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

2015年12月10日木曜日

論文紹介 海洋戦略の観点から見た日本の島嶼防衛

現在の日本が採用している防衛戦略は、武力攻撃に際して米軍が早期に来援できることが前提となっているため、沖縄に位置する米軍基地を敵から防護し、増援部隊が速やかに沖縄に展開できる状況を創出することが重要です。つまり、南西地域の島嶼部を防衛することが自衛隊の任務となります。

今回は、海洋戦略の視点からこの南西諸島の防衛に当たって日本がとりうる戦略を研究した研究ノートを取り上げ、その要点を紹介してみたいと思います。

文献情報
Sayers, Eric. 2013. "Coastal Defense in Japan's Southwestern Islands: Force Posture Options for Securing Japan's Southern Flank," The Project 2049, Futuregram, 13-001, pp. 1-8.

海洋戦略から見た日本の防衛戦略
近年、中国が海洋への進出を活発化させていることを受けて、2010年に日本はこれに対抗するために南西地域を防衛の重点地域に定めたことはすでによく知られています。

この論文はこの問題を考察するためにティル(Geoffrey Till)という海洋戦略の研究者の説を参照しています。
ティルの研究によれば、海洋に面した国家がその国土を防衛する上で考慮すべき事項として、第一に抑止、第二に沿岸防衛、第三に沖合防衛、第四に水際防衛が挙げられています。戦略上の防衛線を海上から段階的に陸上に移行させながら抵抗するという考え方が求められるということです。
著者はこのティルの多層的な防衛線の考え方を応用し、日本が南西地域を防衛するための戦略を次のように分類して考察しています。

(1)トリップワイヤ的抑止戦略
(2)非対称性「モスキート艦隊」戦略
(3)包括的「領域拒否」戦略

トリップワイヤ的抑止とは
(1)は、南西諸島それ自体を防衛線とする案として位置付けることができます。すなわち、洋上監視能力の強化と離島に配置する地対艦ミサイルを組み合わせることで、島嶼部に進出する敵艦隊の接近を早期に察知すると同時に、これが東シナ海からフィリピン海に進出することを地上から妨害するという構想です。
南西諸島の地勢図。
九州と台湾の中間に連なり、東シナ海とフィリピン海を隔てる列島。
Sayersは南西諸島それ自体を防衛線とする案、南西諸島の近海を防衛線とする案、そして南西諸島からさらに前方の海域に進んで防衛線を構成する案をそれぞれ考察している。
(Sayers 2013: 2)
ただし、著者はこの案を取る場合、トリップワイヤ的抑止が十分に機能しない可能性があることについて考察する必要があると指摘しています(p. 3)。
「与那国島には小規模な陸自部隊が配置されているだけであり、またより面積の大きい宮古島、石垣島にも守備隊を創設する準備に着手しなければ、日本として十分な備えが行われたとはいいがたい」(p. 3)
つまり、これは抑止の信頼性にかかわる問題です。これほど防衛線を下げてしまうと、危機的状況が起きた際に中国軍がこれら島嶼部に対する攻撃に伴う費用を小さく見積もる可能性が出てきます。この案の利点はその費用が小さいことですが、それだけに中国に日本の意図を伝えることは難しくなるという関係にあることが言えます。

「モスキート艦隊」とは

モスキート艦隊というのは著者の比喩であり、ネットワーク化された陸海空各戦力を広域に分散させて戦う統合作戦の構想のことです。この構想について著者は次のように説明しています。
「近代的技術をもって日本は『モスキート艦隊』の一種を構築可能であり、それはミサイルと機雷を搭載した高速ミサイル艇、ディーゼル型の攻撃潜水艦、短距離ミサイル、攻撃ヘリコプターもしくは戦闘攻撃機の統合されたネットワーク機能を有する艦隊である。具体的には、海自の「はやぶさ」型のような対艦ミサイルを搭載した高速ミサイル艇、宮古島や石垣島の沖合で活動が可能なディーゼル型攻撃潜水艦から編成された艦隊である」(p. 3)
さらに著者は、陸自の地対艦誘導弾やAH-64Dのような攻撃ヘリコプター、そして沖縄に配置された空自部隊を組み合わせることによって、海上作戦を遂行する上で欠かせない航空優勢を獲得することもモスキート艦隊の構想には欠かせないと論じています(pp. 3-4)。
確かに、小型の艦艇の運用を考えた場合には火力、情報において航空優勢に頼るところが大とならざるをえません。

ここでも著者が特に考慮しているのは日本の防衛予算の制約の問題であり、限られた資源で効果的な海上戦力を構築するためには、統合運用に主眼を置き、しかも機動的な運用が可能な艦艇を運用することに重点を置くべきだと考えています。
先程のトリップワイヤ的抑止と比べれば、防衛線は南西諸島よりもさらに前方に推進されており、海上戦力の活用が重視されています。とはいえ、可能な限り小型の艦艇で艦隊を編成するという著者の考えには、日本近海の荒天、特に冬季の運用性の問題が考慮されていないため、議論の余地が残されているでしょう。

包括的領域拒否とは

さらに著者は防衛線を南西諸島の周辺海域からさらに前方に推進し、東シナ海にまで及ぶ広大な防衛圏を構成する包括的領域拒否の戦略も考察しています。

この戦略では航空戦力の運用が特に重視されており、(F-35Aではなく)垂直離着陸の機能を有するF-35Bを調達し、ヘリコプター護衛艦で運用することにより、局地的な航空打撃能力を保有することを検討するように述べています(p. 5)。そこで意図されていることは、中国海軍と東シナ海上で戦闘を遂行する能力を準備するということです。
この戦略が先程の二つの戦略と決定的に異なっているのは、自衛隊の部隊で中国軍の侵入阻止領域を構成するために、南西諸島に対して攻撃ヘリコプター、地対艦ミサイル、航空機を活用し、CH-47やV-22といった輸送機で島嶼部に対する機動的な戦力の展開を支援するという点です(p. 5)。

この包括的領域拒否は中国軍がそもそも南西諸島に脅威を及ぼすこと自体を不可能にすることを狙った構想と言えます。その意味で、ワイヤトラップ的抑止やモスキート艦隊よりも強力な武器装備が日本として整備しなければならないことは当然のことですが、それだけでなく米軍と自衛隊の共同運用の重要性が一層重要となる点も強調されています(p. 6)。
「領域拒否戦略の最大の長所は南西諸島を周辺、遠方両方の海域で段階的に防衛することを可能にすることである。中国海軍の戦闘部隊は南西諸島に接近すると壊滅的な損害を受けるであろう強力な自衛隊の阻止領域に進入しなければならない。これは情報・監視・偵察や海上管制などの伝統的領域だけでなく、島嶼部に対する米陸軍部隊の展開というようなより積極的領域においても統合された米軍による支援を受けることになるだろう。領域拒否戦略は列島線における抑止力を大いに拡大させることになる」(p. 6)
結びにかえて
この論文で示された見解には個々の見解に疑問点が残るものの、海洋戦略の観点から防勢作戦を考える上で重要な論点を提示し、自衛隊が有する装備の運用方法について積極的な提言を含むものとして評価することができると思います。

特に重要な論点の一つが、日本の対中防衛線をどこに位置付けるべきかという部分です。
著者はトリップワイヤ的抑止、モスキート艦隊の構想で示唆した通り、最小限度の防衛力で済ませようとするならば、防衛線は南西諸島の陸上か、それともその海岸に位置付けられることになります。これは武力攻撃に際して国土が戦場になることを想定した戦略となるでしょう。
これを避けるために防衛線を前方に推進して海上に設定しようとすると、包括的領域拒否の構想の中で示されたような海上打撃力が必要ということになります。これは現状の防衛予算で達成することは難しく、しかも専守防衛という従来からの日本の基本的な戦略との兼ね合いが難しい選択肢です。

この論文はあくまでも著者として海洋戦略の立場から白紙的に日本の取り得る防衛戦略を考察したものであり、特定の方法が絶対に正しいと論じているわけではありませんし、防衛線をどこに位置付けるべきかという問題は予算の配分が関係するため、軍事だけでなく財政、経済の観点からも国民的な議論が求められるでしょう。

KT

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2015年12月5日土曜日

事例研究 作戦線から見た太平洋における米軍の対日作戦

太平洋方面における米軍の作戦を指導したマッカーサー(左)とニミッツ(右)。
戦略学の分析概念の一つに作戦線(line of operation)というものがあります。
これは作戦部隊と作戦基地を結びつける交通手段のことを意味しており、戦域の各方面で展開する部隊は兵站上の理由からその本国と継続的に連絡できる状態を維持しなければなりません。
作戦線を検討すると、さまざまなことが分かるのですが、ある作戦線を特定することによって敵が将来実施しようとする作戦のパターンを予測することができる場合があります。

今回は、太平洋における米軍が1943年以降にどのような対日戦略をとったのかを理解するため、作戦線に着目して考えてみたいと思います。

1942年、米軍が選択可能な戦略
1941年に日米が開戦し、日本が太平洋、アジアの両方面で順調に勢力圏を拡大しつつありましたが、その攻勢の勢いも1942年の時点には衰えつつありました。そこで米国としては日本を降伏にまで追い込むための反攻を計画し始めることになります。

まず、日本を打倒するためには東京を米軍の勢力圏に入れる必要がありますが、東京に対する航空攻撃を実施するために確保すべき作戦基地を考えると候補地は二つあり、一つは北海道、もう一つはルソン島・台湾(中国沿岸)・沖縄の地域でした。
どちらの目標に向かうのかという論点でも議論が分かれますが、さらにこれらの目標に向かうためにどのような作戦線を選択するのかという論点でも議論が分かれます。したがって、戦略案は大まかに次の五通りの意見に分かれます。

第一案、アラスカから出発して北太平洋のアリューシャン諸島を軽油し、北海道に侵攻する戦略。
第二案、ハワイを起点とし、ギルバート諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島、そしてルソン島、台湾、沖縄を目指す戦略。
第三案、オーストラリアを起点としながら、ニューギニア島、ハルマヘラ島、パラオ諸島、ミンダナオ島を順次経由してルソン島、台湾に侵攻する戦略。
第四案、インドから出発し、ビルマから中国に入り、広東省、香港、上海という順番に攻略していく戦略。
第五案、同じくインドから出発しますが、これはマラッカ海峡を通過して南シナ海から台湾(中国沿岸)へ進攻する戦略。
(Coakley and Leighton 1989: 397)より引用。
第三案をガダルカナルで実行に移した米軍
この記事では、それぞれの戦略案の優劣について詳細に検討することは差し控えますが、1942年にオーストラリア、ハワイ、アラスカ、インドの各方面で日本軍の進攻が一段落したのを確認すると、米軍は最初の反攻をガダルカナルで実施し、この時の戦果によってガダルカナルに部隊を進出させることに成功します(Ibid.: 396)。つまり、米軍としては第三案が有利だと判断したということになります。

この米軍の戦略的反攻の開始時期は日本軍が想定していた1943年中期以降という見積よりも相当に早かったこと、ガダルカナル島の戦略的価値が十分に理解されていなかったことなどから、日本軍は初期対応を誤りました。
ガダルカナル島とツラギ島への米軍の上陸が始まった時、大本営はこれを米軍の偵察上陸であると判断し、これが本格的侵攻に発展したとしても現有勢力で奪回することはさほど困難ではないだろうと予想していました。
この判断が下された背景には、ヨーロッパ方面の戦況で米軍が手一杯だという認識があったことも関係しますが、それ以前に日本の側で米軍が反攻で使用するであろう作戦線の研究について重大な不備があったことが示唆されています。

米国のハワイからオーストラリアまでを最短距離で結ぶとおよそ7500キロメートルで、今のバヌアツの北側、ソロモン諸島の南側を通過することになります。
ソロモン諸島を占領する日本軍の存在はこの航路の安全を脅かすため、オーストラリアに対する援助ないしは米豪の共同作戦を考えた場合に、真っ先に排除しなければならないのがソロモン諸島の日本軍という考え方になります。米軍のガダルカナルに投入した部隊の規模が小さいものであったとしても、ソロモン諸島を作戦の目標としていることが判明したならば、ガダルカナル上陸の背後にはオーストラリアとの連携によってフィリピンにまで西進するという遠大な戦略があること、したがって事態は重大な局面に入っていると判断することは可能でした。

事実、昭和天皇はこの米軍のガダルカナル上陸の第一報を受けて事態が極めて深刻であると判断していました。当時の昭和天皇は滞在中だった日光から急遽東京に帰還し、現地の部隊の状況を掌握しようとしたのですが、これに反対する立場で軍令部総長は事態を過大に重視することはないと述べ、予定通り日光での滞在を続けるように説得した上で、最終的に帰還を思いとどまらせています(服部1965: 329-30)。

結論的考察
戦略を研究する上で作戦線に着目するアプローチは非常に強力です。
なぜなら、作戦を進めるために利用可能な基地や交通手段というのは地理的に限られるため、ある戦略陣地に対して敵が攻撃をしかけたとすると、そこを起点として将来予想される作戦のパターンを絞り込むことができるためです。
後の研究者は太平洋方面における米軍の作戦計画には多分に機会主義(opportunism)の傾向が見られたと指摘していますが(Coakley and Leighton 1989: 395)、それでも米軍は作戦線を基本とした戦略から大きく逸脱した作戦を選択しておらず、仮にそのような作戦が実施されても成果を上げることはできなかったでしょう。
あらゆる作戦は兵站によって支配される以上、戦略家は敵の作戦線とそこから引き出し得る含意について詳細に研究することが求められます。

KT

参考文献
服部卓四朗『大東亜戦争全史』原書房、1965年
Coakley, Robert W., and Richard M. Leighton. 1989. Global Logistics and Strategy 1943-1945, Washington, D.C.: Center of Military History.

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作戦線を失った部隊は戦略的に敗北している

2015年12月4日金曜日

国家の「中核地域」をいかに考えるべきか

政治地理学の研究者たちは国家の中でも政治的、経済的な中枢として機能する地域があり、それを「中核地域(core area)」と呼んできました。
中核地域の特徴として挙げられるのは高い人口密度、多くの天然資源、充実した交通手段、高度な資本集積などです。
これらの特徴から中核地域は純粋に地理学の観点から重要であるだけでなく、戦争において最重要の攻撃目標としての価値があると判断されます。

とはいえ、中核地域は少し漠然とした概念であり、その重要性を示唆するものの、何をもって中核地域と見なすべきかは研究者によって意見が異なります。
今回は1960年代から80年代までの政治地理学のいくつかの文献を参考にした上で、中核地域の定義とその解釈を巡る論争を紹介したいと思います。

学説1 中核地域とは国家の歴史的起源である
地理学者のパウンズとボールは国家の中核地域について歴史的な観点から考えなければならないという立場をとっていました。
彼らの説によると、中核地域は形成されてから間もない国家が最初に領有している領域のことに他なりません。例えばフランスの歴史でいえばパリが中核地域となり、イギリスの歴史でいえばロンドンが中核地域を構成するということになります(Pounds and Ball 1964)。

さらにパウンズらは中核地域はその国家がその後にどれだけ拡張可能であるかを強く規定していると主張しています。例えば、もしその国家が初期に保有する中核地域の生産力が他の国家のそれよりも優れており、そのために余剰生産物をより多く供給することができるとすれば、それだけその国家は軍備をより素早く整備し、自国を防衛し、さらには他国を征服しやすくなると考えられます(Ibid.)。
つまり、その国家が大国へと飛躍するか、中小国のままで終わるかは最初にその国家が有する核心地域の優劣によって大部分が決定されてしまうと考えられるのです。

学説2 中核地域は国家の歴史的起源とは限らない

しかし、パウンズらの議論を批判的に考えると、中核地域が自然環境によって制約される度合いを過大評価している可能性があるようにも思われます。
ヘクターなどの研究者は、パウンズらの議論を受けて、スペイン、ポルトガル、フランス、イギリスの中核地域に関する調査研究を実施しており、それらの中核地域では強力な統治機構が整備されているという共通した特徴があることを明らかにしました。
それは都市部に居住する商人と農村部に居住する地主の間の利害関係を調整し、均衡させるための組織でした。ヘクターらは中核地域が形成されるためには自然環境だけが重要なのでなく、複雑な利害関係を処理して都市と農村の共存を可能にする統治能力の優劣もまた必要であることを指摘したのです(Hechter and Brustein 1980)。

学説3 中核地域の定義は一通りではない

中核地域を巡る議論が展開される中で、地理学者ブルクハルトは中核地域が明確に定義された概念ではなく、少なくとも三通りの意味に整理することができるということを論じました(Burghart 1969)。

・領域の拡大がその周囲に近代的な領域国家を形成する胚域としての「中心的中核地域」。
・領域拡大に失敗した胚域としての「起源的中核地域」。
・ある国家が現在において政治的、経済的に最も重要な領域としての「現代的中核地域」。

こうして考えてみると、一つの国家にも複数の中核地域、それも機能や重要性がそれぞれ異なる中核地域があってもおかしくありません。いわば、その国家の形態によって中核地域の成り立ちや政治的、経済的、軍事的機能も変化してしかるべきです。
また、ブルクハルトが指摘している事項として、これまでの中核地域の分析は西欧の国家の事例が中心に展開されており、非西欧の事例に適用可能かどうかが不明確であるという問題がありました。

結論、安全保障における中核地域の問題

こうした中核地域の議論を振り返ってみると、それは国家の成り立ちやその形態によって複数の中核地域があり得ると考えるべきだと分かりました。しかし、安全保障の観点からこれをどのように理会すべきなのでしょうか。少なくとも次の二つのことが言えます。

まず、我が方にとって中核地域はその国家の有する国力の源泉であり、それは国家の安全保障において重点的に防衛すべき戦略陣地を形成しています。
首都はもちろんですが、首都以外の中核地域についても陸海空各戦力を継続的に配備するだけでなく、中核地域を結ぶ交通・輸送手段についても特別な軍事的注意を払う必要があります。
次に敵にとって中核地域を攻撃されることは国力を最も効率的に破壊されることです。したがって、特に長期的な武力紛争が予想される場合には早期からこれらを戦略上の目標に設定し、効果的な攻撃を加えるか、中核地域としての機能を奪うように孤立化させなければなりません。

中核地域の概念は単に政治地理学の研究で重要なだけでなく、このような軍事地理学の分析でも援用することが可能であり、例えば核戦略のような領域では対都市攻撃の計画で、核弾頭の配分問題を考える際に中核地域の分析を活用することができます。

KT

参考文献
Hechter, M., and Brustein, W. 1980. "Regional Modes of Production and Patterns of State Formation in Western Europe," American Journal of Sociology, 85: 1061-94.
Burghartdt, A. 1969. "The Core Concept in Political Geography: A Definition of Terms," Canadian Geographer, 63: 349-53.
Pounds, N. J. G. 1963. Political Geography, New York: McGraw Hill.
Pounds, N. J. G., and Ball, S. S. 1964. "Core Area and the Development of the European States System," Annals, Association of American Geographers, 54: 24-40.

2015年12月2日水曜日

モーゲンソーが考える世論対策の重要性

政治学者ハンス・モーゲンソーは国際関係論の古典『国際政治』の中で国力の一要素に「政府の質」が含まれることを論じましたが、具体的には国力を形成する資源と達成すべき政策目標の調整を行う能力、各種資源の間の均衡を図りつつ調整する能力、そして対外政策を推進するために必要な民衆の支持を獲得する能力の三つに注目していました。

今回は、政治的能力として民衆の支持を得るために世論を指導する能力が重要であるというモーゲンソーの議論を紹介したいと思います。

民主主義における政策決定
モーゲンソーは政府が政策を遂行するために各種国力を動員しようとしてもできない状況というものがあり、これは特に現代の民主主義において重要な問題であると認識していました。
「政府は、その対外政策に対する自国民の承認と、国力の諸要素―これが政策を裏付ける―を動員するためにもくろまれる国内政策への国民の承認を獲得しなければならないのである。このような作業が困難なのは、ある対外政策に対する民衆の支持が得られる条件が、対外政策を首尾よく追及できる条件と必ずしも同一ではないからである」(モーゲンソー、157頁)
つまり、対外政策で成功を収めるためには、国内政策で国民の支持を失わざるを得ないという状況があり得るということです。

世論が重視する短期的利害
このような状況が生じる背景には情報の非対称性があるとモーゲンソーは説明しています。つまり、政策決定に関与する政治家とその政治家を評価する民衆の間には判断基準において大きな相違があり、共通の視点から国益を考えることを妨げるということです。
そのため政治家は対外的必要性と対内的必要性の両方を同時に判断し、政策決定においては両者の妥協点がどこにあるのかを見極めなければなりません。
「民衆の気持ちは、政治家の考えが優れた特性を持っているのだと、ということに気付かず、たいていの場合、絶対善とか絶対悪とかいった単純な道義主義的かつ法万能主義的な観点からものを判断している。政治家は長期的な見方をとり、ゆっくりと遠回りして進み、大きな利益を得るために小さな損失を支払わなければならない。すなわち政治家は、曖昧な態度をとったり、妥協したり、よい時機を待ったりすることができなければならない。民衆の気持ちは早急な成果を求める。すなわち、今日の表面的な利益のために明日の本物の利益を犠牲にしようとするのである」(同上、158頁)
モーゲンソーはこのような政治的妥協を達成する上で決して用いてはならない二つの手法を述べています。
一つ目は自らの政権こそが国民の世論を最もよく代表すると主張し、国家の長期的な国益を短期的な成果と引き換えにすること、二つ目は有権者の批判に対して政府が頑強に現行の政策を維持することでかえって世論の反発を拡大させることです(同上)。

政府による世論指導の必要性
さらにモーゲンソーは適切な政策決定のためには世論を指導することが欠かせないとして次のように述べています。
「政府は世論の指導者であって、その奴隷ではないということを自覚する必要がある。すなわち、世論は、植物が植物学者によって発見・分類されるように、世論調査によって発見・分類されるような静態的なものではないということ、つまり世論は見分の広い責任あるリーダーシップによって常に作り出され、つくりかえられる動態的かつ変動きわまりない実態であるということ、さらに政府がリーダーシップを主張する場合、それを主張する政府が扇動家にならないようにすることは、その政府の歴史的使命であるということ、などを政府は自覚しなければならない」(同上)
モーゲンソーは政府は政策決定者と一般有権者の間に情報の非対称性が存在していることを踏まえ、宣伝や教育等の手段を通じて世論形成に主導的役割を果たすことができなければ、適切な政策を選択したとしても世論はそれを支持しない危険があることを論じていたのです。

議論から分かること
世論とは何か、民主主義における世論の特性、政府の世論とのかかわり方の是非についてモーゲンソーは十分に論じきれていないところもありますが、それでも国力を考える上で軍事力、経済力だけでなく、政治力がどれほど重要なものであるのかを考える上で参考となります。

モーゲンソー以外にも政治学者ではエドワード・カー(Edward H. Carr)が「世論を支配する力」を国力の一要素に位置付けており、オルガンスキーも政府による社会の「政治的開発(political development)」が国力の中心的要素であると論じていますが、モーゲンソーの研究は適切に選択されたはずの対外政策が世論に対する配慮と両立し得ない可能性があることを指摘したという点で意義があります。
これは民主主義の国家にとって解決しがたい課題であり、現在の日本にとっても密接に関係があるのではないでしょうか。

KT

参考文献
モーゲンソー『国際政治 権力と平和』現代平和研究会訳、福村出版、1998年

2015年11月29日日曜日

文献紹介 限定核戦争のための戦略理論

第二次世界大戦を勝ち抜いた大国が続々と核の開発を成功させると、戦略家たちは核戦争を想定した新たな軍事戦略の研究に着手するようになります。
従来の戦略理論では、作戦地域の決勝点に我が方の戦闘力を集中させることにより、敵を撃破することが可能となると考えられていました。
しかし、東西冷戦という状況の中でこのように核兵器を運用すると、核の応酬が始まってしまい、核戦争を避けることができなくなるという問題点がありました。

今回は、この問題を解決するためには戦略的意図に基づいて制限された武力攻撃が重要であると考えた政治学者ヘンリー・キッシンジャーの戦略理論を紹介したいと思います。

文献情報
Kissinger, Henry A. 1957. Nuclear Weapons and Foreign Policy, New York: Westview Press.(邦訳、田中武克、桃井真訳『核兵器と外交政策』日本外政学会、1958年)

核が登場してから軍事戦略の研究では核抑止論が主流でしたが、核抑止が失敗した後の問題も依然として重要な課題として検討されていました。著者の関心も抑止に失敗した場合に勃発する核戦争を指導する方法の解明にあったのです。
「核時代における戦略の基本的な問題は抑止政策とそれが失敗した場合に戦争を遂行する戦略の関係を決定する方法であろう」
著者が抱えていた問題意識とは、核戦争を遂行する状況に置かれた場合に従来の軍事戦略の考え方をそのまま適用すると、米国はソ連に屈服するか、それとも全面核戦争を始めるかの二者択一を迫られてしまうということでした。これでは米国の政策上の選択肢を著しく制約されてしまいます。

そこで著者が考案したのは、戦争目的を達成可能な範囲において最小限度の軍事力を使用する戦略理論でした
この理論で重要な点は、戦争で達成すべき政治的目的とそこで使用する軍事的手段との関係を慎重に調整することであり、もし戦況によって核の使用が避けられなくなったとしても、全面的な核戦争に至らないように処置するべきだと考えられています。

この戦略理論の特徴を説明するために著者は歴史上の戦争がしばしば限定戦争として遂行されていることを論じています。
「戦争の歴史を見ても大国の間でしばしば限定戦争が発生している。ただし、これら限定戦争は戦略的な選択というよりも内政に対する考慮によって限定されてきたものであった。17世紀、ルイ十四世は四半世紀にわたってフランス軍のほぼ全ての戦力を使用したが、国家機構の未整備によって国王は民衆を徴兵することも、所得税を課すことも、財産を没収することもできなかったため、国王のフランス軍はごく一部の国力しか使用することができなかった」
歴史的には政治的、行政的能力の不都合によって戦争は必然的に限定戦争の形態をとらざるをえなかったのですが、現代ではより意図的に限定戦争の形態を選択することができるようになっており、また現代の安全保障環境においてそれが必要であると著者は考えました。
「(全面戦争とは対照的に、)限定戦争とは政治的目的を達成するために遂行され、この目的によって使用すべき軍事力と達成すべき目的との間の関係を調整しようとする。敵を粉砕するのではなく、敵に影響を及ぼすことで、抵抗を続けるよりも相手の条件を受け入れる方が得策であると敵に考えさせ、敵を完全に打倒するのではなく、特定の目的のために戦おうとする企図を表明するのである」
ここで重要なことはその時々の情勢によって変化する政治的目的に見合った軍事的手段を準備し、戦時においても相手と外交交渉を継続すること、そして緊急展開能力を準備しておくことだと強調されています。
その理由の一つは、いったん敵が局地的な通常戦力を使用して迅速に特定地域を攻略占領してしまうと、この敵の部隊を後退させるために相手を上回る戦力を我が方が投入しなければならず、結果として戦争のエスカレーションを自ら引き起こすことになるためです。
全面核戦争となる危険を回避するためには、戦争の序盤で相手の動きを確実に封じ込めることができる即応態勢を整えていなければなりません。

それだけでなく、作戦を連続的に進めるのではなく、戦局が一定の段階に進むたびに敵と事態を打開するための交渉を行うことにも注意を払わなければなりません。こうすることでもし限定核戦争となったとしても互いにとって不利益となる全面核戦争となる状況を回避することが可能となります。

このような限定核戦争の議論は外交と軍事を総合することの重要性を改めて確認した上で、核兵器が使用される状況では戦闘力の集中と敵の撃滅という伝統的な原則をむやみに当てはめてしまうと、かえって戦争目的の達成が困難になる可能性があることを明らかにしました。
特に興味深いのは即応態勢が平時の抑止だけでなく戦争が勃発した後のエスカレーション防止においても前提条件となるという議論であり、自衛隊が目指す統合機動防衛力の意義を考える上でも参考になる視点だと思います。

KT

2015年11月27日金曜日

偵察だけが斥候ではない

斥候(patrol)という言葉を聞いたことがある人でも、それを正しく説明することは難しいでしょう。
しばしば誤解されていますが、斥候は必ずしも偵察だけを目標としません。時として斥候は戦うことを主眼とする場合があるのです。
今回は、戦闘斥候を中心に斥候について説明をしてみたいと思います。

戦闘斥候とは何か
一般に斥候とは本隊から独立して行動する1個分隊程度の小さな分遣隊のことですが、その任務は状況によってさまざまに変化します。例えば次のような任務を斥候は遂行する場合があります。
  • 敵情、地形、もしくは地域住民に関する情報資料の収集すること。
  • 敵の部隊との接触を回復すること、または味方の部隊の所在を確認すること。
  • 敵を撃破し、または損害を与えるように交戦すること。
  • 地域住民の信頼を維持または獲得すること。
  • 治安の不安定化を予防すること。
  • 反乱軍または犯罪活動を抑制し、打撃を加えること(FM3-21.8: 9-1-2)
確かに偵察は斥候の任務の一部ではあるのですが、敵との交戦を狙った斥候もあるということがここで示されています。つまり、斥候には戦闘を主眼とするもの、偵察を主眼とするものの二種類に分かれるのです。専門用語だと前者の斥候は戦闘斥候(combat patrol)、後者は偵察斥候(reconnaissance patrol)と呼ばれています(Ibid.: 9-2)。
斥候の行動の一例。
目標に対して最短距離で前進するのではなく、その周囲の状況を調べることができるような経路を前進している。
(FM3-21.8: 9-4)
斥候は本隊から離れて行動しますので、もちろん敵との交戦は望ましい状況ではありません。
しかし、少人数だからこそできる戦法もあるのです。それが襲撃(raid)と伏撃(ambush)の二つです。これらはいずれも奇襲の一種なのですが、その定義は異なります。

襲撃について
襲撃とはその地域を確保して占領すること以外の目標を達成するためにある陣地や施設に対して加えられる奇襲的な攻撃のことを言います(Ibid.: 9-10)。
例えば、敵の倉庫、通信基地等の重要施設を破壊すること、敵に身柄を捕らえられた人質や捕虜を奪回すること、敵の作戦の準備を遅らせること、これらはいずれも襲撃に属する行動であり、戦闘斥候の任務となります。
襲撃を実施要領を示した図。
襲撃を実施するための一連の部隊行動が示されている。
(FM3-12.8: 9-10)
襲撃を実施する場合、(1)斥候長はまず斥候員を目標に向けて前進させなければならず、この図で言うと集合地点(rally point)から敵の施設に向かう矢印がこれに該当します。
(2)斥候員の一部を敵施設の周囲に展開して襲撃する場所を孤立化させます。この際に敵の増援が予想される方向を警戒させておくことが重要となります。
(3)残された斥候員を襲撃する目標の付近に展開して準備を整えさせ、(4)襲撃を実施します。
(5)襲撃を成功させたならば、敵の増援によって捕捉される前に目標地域から退却へと移ります(Ibid.: 9-10)。

伏撃について
伏撃の実施要領の一例。
敵が前進する経路に沿って三カ所に部隊を配置している。
(FM3-12.8: 9-18)
伏撃は移動中ないし一時的に停止した目標に対して援護された陣地から加える奇襲的な攻撃のことを言います。伏撃の目標とするところは敵の部隊を捕捉し、これを撃破してしまうことです。
伏撃の戦術にもさまざまな種類がありますが、ここで示しているのは地域伏撃の要領であり、敵の進路に対して平行の位置に部隊が連続的に配置されていることが分かると思います。
実際には経路の前方と後方にそれぞれ配置された斥候員は敵の部隊を経路の中に閉じ込めることを意図したものであり、最も重要なのはあくまでも中央の部隊です(Ibid.: 9-19)。

考察
これら襲撃、伏撃を成功させるために、あえて戦闘斥候を用いる必要性はどこにあるのでしょうか。
それは、これらの戦法がいずれも奇襲を前提とするためです。大隊や中隊等の規模の部隊で実施しようとしても、すぐ部隊行動の兆候が大きくなり、敵に察知されやすくなってしまうので、奇襲の効果が低下するという問題が出てくるのです。

襲撃や伏撃が成功すると少数の部隊でも敵に打撃を加えることが可能なのですが、本隊の支援を受けず敵の第一線の付近で活動するためには、斥候長に十分な統率力が備わっているだけでなく、高度な戦術的能力を持っていることも必要であることは言うまでもありません。

KT

関連記事
演習問題 小斥候か、部隊斥候か

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-21.8: The Infantry Rifle Platoon and Squad, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

2015年11月26日木曜日

軍隊の歴史における体育訓練の近代化

体育が軍隊の教育訓練において最も重要な要素の一つであることは明らかです。
どのような職種や職域であれ、兵士たるもの体力に優れていなければならず、それは全体としての部隊の能力にも影響を及ぼします。
しかし、体育を科学的に研究する機関が軍隊で導入されるようになったのは19世紀と最近の出来事でした。
今回は、19世紀デンマーク陸軍での事例を中心に体育訓練の近代化について説明したいと思います。

19世紀に認識された体育訓練の必要性
19世紀ヨーロッパ各国では近代的な軍事制度が導入されるようになり、徴兵制によって入営する多くの新兵に効率的な体育訓練を実施する必要性が高まっていました。

それまでの軍隊における訓練は体育よりも教練を重視することが一般的でした。
入隊すると兵士たちはまず教官の指導の下で「気を付け」、「休め」、「回れ右」等の各個教練を習得し、その次に分隊教練、小隊教練、中隊教練と徐々に規模の大きくして部隊教練に取り組んでいました。

しかし、このような方法では兵士各人の体力を効率的に改善することができませんでした。
さらに加えて、この時期には科学的方法によって体育を研究し、合理的に体力を向上させようとする努力が見られるようになります。
すでに近代的体操の研究は『青少年のための体育』(1793年)の著者であるドイツの教育学者グーツ・ムーツ(Johann Christoph Friedrich GutsMuths)によって始まっています。とはいっても、彼の体育理論が軍隊で本格的に導入されるまでには至っていませんでした。

軍隊と体育を結びつけたナクテガル
グーツ・ムーツの体育理論に強い影響を受けた研究者にデンマークの体育学者フランツ・ナクテガル(Franz Nachtegall)がいました。
彼はグーツ・ムーツの体操の研究をさらに発展させるため、1798年に私立の体育クラブを設立し、自らの体育理論の実証的研究に取り組み始めました。
この研究は当時のデンマーク皇太子によってその価値が見いだされ、デンマーク陸軍もナクテガルの研究成果を軍隊の体育訓練に正式に活用する価値があると判断しました。
そして1804年8月25日には軍事体育研究所がコペンハーゲンで創設されることになり、ナクテガルはこの新たな研究所の所長に就任します(Leonard 1915: 25-6)。このことでデンマーク陸軍では本格的な体育訓練の近代化を進めることになりました。

この研究所にはデンマーク各地の部隊勤務者の下士官たちが集められ、そこでナクテガルの体育訓練の手法を学ぶことになりました。
ナクテガルの体操は身体の柔軟性、巧緻性、筋力増強を目標とした徒手体操ですが、特に柔軟性の向上を重視している点が特徴とされており、彼の死後も改良が重ねられ、デンマーク式体操として体系化されました。

ナクテガルの下で教育を受けた下士官たちは原隊に復帰すると、各部隊で体育訓練の改善、指導に努めました。この取り組みの成果はデンマークで高く評価されることになり、1828年のデンマーク議会で小学校の授業に体育を導入する法案が可決されたほどでした(Leonard 1915: 25-6)。

結びにかえて
軍隊で体育学の研究成果を本格的に取り入れ、合理的な体育訓練の確立に努めた国はデンマークだけに止まりませんでした。少し時期は遅れますが19世紀のスウェーデン、ドイツ等でも同様の取り組みがあり、スウェーデン式体操、ドイツ式体操として体系化されました。
しかし、デンマーク陸軍におけるナクテガルの体育訓練は、ヨーロッパでも特に早い時期から推進されたこと、その影響がデンマークだけでなく他国の体育訓練の在り方にも及んだこと、学校教育での体育の導入にも関係したこと等の理由から、歴史的に重要な意味を持っているのです。

KT

参考文献
Leonard, Fred E. 1915. Pioneers of Modern Physical Training, New York: Association Press.

2015年11月25日水曜日

モンテスキューによる征服者への助言

国家が領土を拡大するには
戦争によって獲得した国家に対する支配はどのようにあるべきか、という問題は古くから政治学で議論されてきた問題でした。
例えば、フィレンツェの思想家マキアヴェリはこの問題について将来の反乱を防ぐためその国家の王族、有力者の血縁者を一人残らず殺すこと、兵士を入植させて植民地化すること、一般市民を味方につけるため宗教と税制にいかなる修正も加えないこと、これらが非常に重要だと主張したことがあります。

これらの措置は確かに被征服者が再び征服者に歯向かう可能性を最小限に抑制する上で有効と認められます。しかし、18世紀フランスの思想家シャルル・ド・モンテスキューは占領地を有効に管理する方法はこれだけではないことを論じました。
今回は、この論点に関するモンテスキューの学説を紹介したいと思います。

新たな占領地による戦力不足の問題
モンテスキューはそもそも征服地域を支配する方法については大国が相手の場合と、小国が相手の場合とで異なる要素があるのではないかと考えていました。
これは小国であれば強制力だけに頼って支配することも可能かもしれないが、大国だと占領地の治安維持に多くの部隊が必要となるため、防衛体制を維持する上で戦力の不足を引き起こすという考え方でした。
「もし征服が大々的である場合、それは専制政治を前提とする。そうなると、諸州に散在する軍隊では不十分である。常に君公の周辺に特別に信用のおける軍団を配して、帝国内の動揺しそうな部分に常に襲い掛かれる態勢におかなければならない。この軍団は他の部隊を抑制し、君公が帝国内でやむなく何らかの権力委ねたすべてのものを震え上がらせなければならない」(邦訳上284頁)
さらに、占領地における軍隊の配置の問題だけでなく、すでに征服者が保有している領土から軍隊を引き揚げなければならない状況さえ起こり得る危険も次のように指摘しています。
「もし征服者が征服した国家を保有するならば、彼が派遣する総督は臣民を抑えることができないであろうし、征服者自身も総督を抑えることができないであろう。また、新しい所領を確保するため、古い所領から軍隊を引き上げなければならなくなるだろう。双方の国家の不幸はすべて共通となり、一方の内乱は他方のそれとなる。」(邦訳上285頁)
清国における満州族と漢民族の関係
以上のような判断から、モンテスキューは相手を徹底して滅ぼすのではなく、可能な限り活用する方法こそが領土を維持する上で有効な場合があると考えました。
ここでモンテスキューが参照しているのが清国の事例です。

人口の規模で見れば極めて少数であるにもかかわらず漢民族を征服することに成功した満州族は、1644年から北京を首都に置いて、本格的な清国の統治体制を始動させます。
この時に清国では政府組織の民族構成について漢民族と満州族の割合を半分ずつに調整するという措置をとっていました。

モンテスキューはこのような処置について「(1)両国民は相互に抑制しあう、(2)両社とも軍事的および文民的な権力を保持し、一方が他方によって全滅させられることがない、(3)征服国民は弱められることも滅びることもなく、全土に広がることができる」と利点を挙げた上で、「これは、極めて理にかなった制度で、このような制度の欠如こそが、世界のほとんどすべての征服者を破滅させたのである」と述べています(上284頁)。実際、このような政治的手法を駆使しなければ、満州族は漢民族を自らの統治機構の中で利用することはできなかったでしょう。

結びにかえて
モンテスキューは必ずしも冒頭で述べたマキアヴェリの征服地の統治手法を否定したわけではありません。しかし、その手法には明らかに限界があると考えていました。
特に大国を征服する場合、配置すべき占領軍の規模が巨大になるため、有効に統治することが難しくなってしまうのです。

そこでモンテスキューは清国の事例から征服者の政府組織の半分を被征服民で組織し、我が方の味方に取り込んでしまう方法が必要になると考えました。そして、これは寛容さの結果というよりも、帝国が領土を次々と拡大する上で欠かすことができない必然であることを強調しています。
「すでに述べたように専制君主によって征服された国家は封臣とならなければならない。かつて打ち破った君侯たちに王位を返還した征服者たちについて、歴史家は懸命にその寛大さを称える。したがって、いたるところに王を作ってこれを隷属の道具としたローマ人はまさしく寛大だったということになる。このような行動は必要な行為なのである」(上285頁)
KT

参考文献
モンテスキュー『法の精神』野田良之ほか訳、全3巻、岩波書店、1989年

2015年11月21日土曜日

敵の戦車を側面から射つためには

戦車は一般に車体の正面が装甲で防護されていますが、側面の防護は比較的脆弱という特性があります。
つまり、敵の戦車を撃破するには、正面ではなくその側背を狙う方がはるかに効率的であり、また我が方の戦車が撃破されないためには、各車両の側面が敵に暴露していないかどうか気を付けなければなりません。

今回は、味方の戦車の側面を守りながら、敵の戦車の側面を狙うために、どのような小隊射撃の方法が存在するのかを紹介し、それらが戦術的にどのような重要性を持つのかを簡単に説明したいと思います。

まず、戦車小隊射撃の基本として正面射撃(frontage fire)があります。
これは前方から横隊で接近してくる敵の戦車に対して、我が小隊も横隊に展開させ、各車両ごとに正面の目標を射撃させる方法です。
正面射撃。
敵の戦車に対して我が戦車小隊がそれぞれ正面の目標を射撃している。
実線の矢印は最初の射撃で点線の矢印は次の射撃を表している。
(ATP 3-20.15: 7-10)
もし敵の戦車が味方の戦車よりも多数である場合には、側面の目標から中央の目標へ、また中央の目標から側面の目標へと順番に射撃を実施しますが、適切な優先順位は地形や敵情によって異なるため、指揮官の判断が求められます。

正面射撃は最も単純な射撃パターンであるため、各車両が目標を確認しやすく、指揮官も小隊の射撃を統制しやすいという利点があります。
しかし、この方法だと目標車両の正面を狙うことになるため、味方の主砲の威力が敵の正面装甲を貫通できなければなりませんし、敵の戦車から射撃を受けるという危険も考慮しなければなりません。
こうした問題を解決するために編み出されたのが交差射撃、そして縦深射撃です。
交差射撃。
味方の戦車は敵の戦車から射撃を受けることがない場所に位置する。
そこから各車両が照準可能な敵の戦車の側面を射つ。
(ATP 3-20.15: 7-11)
交差射撃(cross fire)は正面射撃に伴う危険を最小限にするための射撃方法です。
これは横隊で接近する敵の戦車の正面に味方の戦車を配置させますが、地形を利用して正面から敵の射撃を受けることがないようにしておきます。
これでは味方の戦車も敵の戦車を射つことができないように見えますが、交差射撃は各車両が自分の正面にある敵戦車を射つのではなく、別の味方の車両の正面にいる敵戦車を射ちます。
こうすることで、敵の戦車はいずれも正面からではなく側面から射撃を受けることになるのです。
縦深射撃。
縦隊に展開する敵の戦車に対して味方の戦車が側面を射つ。
(ATP3-20.15: 7-12)
先程の交差射撃は敵の戦車が横隊で前進してくる場合に有効でした。しかし、もし縦隊で突撃してくれば、縦深射撃(depth fire)を選択することが可能です。
縦深射撃は味方の戦車の一部を敵の前進経路と並行する位置に配置させ、敵の縦隊の車両を前後から同時に射つ方法です。交差射撃の場合と同様に、味方の戦車は敵の戦車から射撃を受けにくい場所に位置しながら、敵の戦車の側面を射撃することが可能です。

正面射撃、交差射撃、縦深射撃はいずれも戦車小隊射撃における基本的戦技に位置付けることができます。
こうしたテクニックを組み合わせることができれば、味方の戦車の弱点を補うと同時に敵の戦車の弱点を狙うことが可能となります。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2012. Army Techniques and Procedures, 3-20.15: Tank Platoon, Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.

2015年11月19日木曜日

論文紹介 地球規模で船団を護衛するには

現代の日本のグローバルな経済活動を基礎から支えているのは海運であり、その重要性は今後も拡大すると予想されます。
船舶により輸送される物資が増大し続ける一方で、この輸送を安全に維持する必要もますます強まっています。特に日本が太平洋からインド洋にまで跨る長大な海上交通路に依存していること、中国が海洋進出の動きを強めていることが、その必要性を一層大きなものとしています。

今回は、この問題を考える参考として、1960年代にソ連が海軍を急速に増強し始めた時期にイギリスで書かれた論文を紹介したいと思います。

文献情報
Schofield, B. B. 1969. "Collective Security and the Defense of Shipping." Proceedings Magazine, Vol. 95/3/793.

海洋国家であるイギリスにとって海上交通路の安全を確保することは最も重要な安全保障上の課題とされてきました。
これは核戦争の危険が認識されるようになった冷戦期においても基本的に変わることはありませんでした。
しかし、1960年代からソ連海軍による海洋進出の動きが活発化すると、イギリスの知識人や軍人たちは改めて海上交通路の保全という戦略問題を検討し始めます。この論文の著者である元英海軍提督のスコフィールドもその一人でした。

著者は海洋国家が直面する限定戦争は、つまり核が使用されない戦争を想定すれば、大きく干渉戦争と隠密戦争の二種類に区別されると指摘しています。
干渉戦争とは、イギリスが海を隔てたヨーロッパ大陸の沿岸部に地上部隊を海上輸送で直接送り込むか、少なくとも沖合から間接的に大陸の政治・軍事情勢に影響を及ぼすことを目指すものです。
しかし、もう一つの隠密戦争(gray war)はより海上に重点が置かれた戦争の一形態です。
それは海上交通路を利用する側とそれを阻止する側の断続的な海上での交戦であり、このような戦争でイギリスは政治的、地理的理由から防衛者の立場にあります。
したがって、イギリスはソ連と隠密戦争となった場合には、自国の海上交通路を守るための戦闘艦艇を建造しなければなりません。

しかし、イギリスの海上交通路は全世界に広がっており、それら全てをソ連の潜水艦から保護するだけの戦力を整備することは財政制約から現実的ではありませんでした。
「この種の潜水艦の脅威に対して船団護衛が効果的ではあるが、世界の全ての海域でこれを実施することが不可能である。そこで必要となるのが集団的安全保障である。しかし、現在のところ海上部隊について世界規模の集団的安全保障の措置が講じられてはいない」
 このような問題を踏まえて著者は、集団的安全保障の枠組みに基づく海洋戦略が必要であると指摘し、次のような提案を行っています。
「ここで求められていることは海洋防衛機構(Maritime Defense Organization, MADO)を設立することであり、つまり船舶を有する自由諸国であればどの国家であれ加盟することができるように処置することである。そこでは加盟国が保有する商船100隻ごとに1隻の護衛艦、50隻ごとに1機の航空機を提供する」
批判的な見方をすれば、商船100隻ごとに1隻の護衛艦、50隻ごとに1機の航空機という計算には根拠が不明確な部分があり、議論の余地が残されています。

しかし、海洋安全保障に特化した国際機関することで西側諸国の中で船舶を有する国々に、相応の海上防衛を分担させ、継続的に海上交通路を保護することを可能にする、という著者の構想は、すでに大規模な艦隊を維持できなくなっていたイギリスの国力国情にも、ソ連の海洋進出という世界情勢にも合致したものでした。

無論、これは研究としては理論研究の段階に止まるものではありましたが、海洋国家の戦略として海上交通路を保護するために艦隊を増強するよりも、多国間協力を推進する外交努力の重要性を示唆したことは、艦隊決戦を重視したマハン(Alfred T. Mahan)の海洋戦略の考え方を見直すという意義がありました。

また、海洋防衛機構の加盟国が集団的自衛権を行使することができて、はじめて世界規模の船団護衛が可能となることが示されているところも、この論文の成果に挙げられるでしょう。
海洋国家はその成り立ちからして一国だけで存立する訳にはいきません。海上交通路で結ばれた遠く外国と経済的に結び付いており、それが敵の武力によって遮断されることになれば直ちに物流の混乱、物価の急上昇という事態が引き起こされます。

この論文は1960年代にイギリスで書かれたものではありますが、限られた海上戦力しか持たない日本が自国の海上輸送を保護するために、外国の海軍とどのような連携が必要となるのかを検討する上で一つの視座を与えていると思います。

KT

2015年11月18日水曜日

論文紹介 対ソ戦略とヘリコプターの機動力

第二次世界大戦後の陸上作戦においてヘリコプターが果たしてきた役割は非常に大きなものがあります。
ヘリコプターの技術は1937年にドイツで開発に成功しましたが、実戦で本格的な使用を始めたのはベトナム戦争を戦っていたアメリカでした。
ベトナム戦争の経験からヘリコプターが地上戦で有用であることが明らかになると、ヨーロッパ各国では来るべきソ連軍との戦争でヘリコプターを活用できないか検討が進められることになります。

今回は、1970年代初頭にヘリコプターがソ連軍との地上戦で果たすであろう役割に関する論文「ヘリコプターと地上戦:ベトナム戦争での経験から」を紹介します。

文献情報
Trueman, H. P. 1971. "The Helicopter and Land Warfare: Applying the Vietnam Experience." Moulton, J. L. ed. Brassey's Annual, The Armed Forces Yearbook.

著者はイギリス軍の軍人であり、ベトナム戦争で活躍したヘリコプターの能力をイギリス陸軍としてより活用するためには、どのような作戦構想が考えられるのかという問題に関心がありました。
とはいっても、ベトナムとヨーロッパではそもそも作戦の環境が異なる点があることについて著者は留意する必要があるとも考えていました。
「ベトナムにおいてヘリコプターが果たした役割の大部分が、ヨーロッパの環境だと適用できないことは極めて明らかである。しかし、逆説的に言えば、ヘリコプターの活動が制限されることによって、味方の前線に加えられる(ソ連軍の)脅威の一部が緩和され得るかもしれない。(ヨーロッパとベトナムの)最も顕著な相違点として、ベトナムでは空中に敵な脅威が存在しなかったのに反して、ヨーロッパでは極めて強力なその脅威が存在することを予想しなければならないことである」
ベトナム戦争で北ベトナム軍の航空勢力が問題にならなかったという評価をしている点については著者は事実を誤認しているかのような印象を受けます。
しかし、北ベトナム軍と比較すればソ連軍との戦争ではより強力な飛行隊の脅威を受けることになることは確かであり、著者は西側各国の操縦士たちが非常に高い水準の技能を身に着けていること、陸軍防空能力を軽視してはならないことを主張しています。
「次の問題は戦車の大部隊に対抗する方法である。機甲部隊は現在、一日に50キロから100キロの速度で前進する。これに対してヘリコプターには二種類の対抗手段がある。その一つは、対戦車ガンシップつまりヘリタンンク(Heltank)であり、もう一つはヴィジラント型対戦車ミサイルを装備した対戦車部隊を普通の輸送機で展開させることである。これら二つの戦法は互いに補完し合うものである。対戦車部隊の部隊を敵の機甲部隊が突出した部分に配置させる。ウェセックス輸送機1機があれば、これら部隊を3個配置可能である」
ここでの対戦車ガンシップというのはAH-1のような攻撃ヘリコプターのことであり、ウェセックスというのは当時、イギリスでライセンス生産されていたS-58という輸送用ヘリコプターのことを指しています。

当時のヨーロッパの軍事情勢では、北大西洋条約機構(NATO)の東西ドイツ国境地帯に構成していた防衛線をワルシャワ条約機構(WP)が大規模な機甲部隊によって突破するシナリオが一般に考えられていました。

量的に十分な通常戦力を配備することが難しい西側諸国は、そのために国境地帯のどの方向から攻撃を加えられても迅速に対処する必要がありました。
このような問題を解決するために、ここで著者はヘリコプターに考えられる限りの対戦車能力を付与し、WPの機甲部隊がどの方向から攻撃してきたとしても、迅速に戦闘地域に展開してこれを撃破するという作戦を述べています。
「西ヨーロッパの核が使用される戦場では、陸上作戦で非常に大きな障害があるものと予想しなければならない。橋梁は破壊され、広大な面積の樹木が焼失する。道路は荒れ果て、そこには障害物が転がり、幅広い地域に放射性降下物が降り注ぐ。このような状況において、一定程度の戦術的機動力を有する側には大きな優位がある。西ドイツ軍が部隊輸送機に多大な努力を注いでいる理由は恐らくここにあるのだろう。イギリス陸軍としてもドイツ軍の努力に遅れをとることがあってはならない。以上をまとめると、最も重要なこととして戦争での成功は、優れた情報、火力、機動によるところが大である。ヘリコプターはその独特な性能ゆえに、これら要件の全てを満たす重要な一部を構成するのである」
熱核兵器が使用された場合、大規模な地形破壊が引き起こされるため、陸路での戦略機動は著者も指摘する通り極めて困難となります。
これはWPが各地で一斉に攻撃を開始しているにもかかわらず、第一線に増援を送り込むことができないという致命的な状況が発生する可能性があることを示唆します。
そのような不利な状況を回避するためには、長い滑走路を必要とせず、かつ空中機動が可能な部隊を編成しておくことが重要であり、ヘリコプターはそのような部隊を組織する上で重要な装備であると著者は結論付けています。

KT

2015年11月16日月曜日

戦車の戦術でも重要な射撃と運動

戦車は一見すると頑丈な装甲を備えているため、敵の弾幕を気にせずに自在に戦場を機動できるようにも思われるかもしれません。
しかし、実際には地形を利用せず、味方車両の援護もなしに戦場を動き回ることは非常に危険な行為です。
今回は、戦車小隊の観点から戦車の運動にどのような種類があるのかを示し、射撃と運動の原則が戦車の戦術にも適用可能であることを紹介したいと思います。
(戦車の運用については戦車小隊の隊形を取り上げた以前の記事も併せてご参照下さい)

戦車小隊の運用に関して解説した米陸軍の教範では、戦車の運動で注意すべき事項について以下の通り述べられています。

・空際線に乗り出してはならない。
・開けた場所は素早く通過すること。
・援護された交戦中の位置から敵に向かって直進してはならない。
・敵と不利な態勢で戦うよりも険しい地形を通過するほうが容易であるため、敵の射手が待ち構えている危険な場所を避けて行動すること。
・敵を制圧または妨害するために、煙幕の使用、直接照準、間接照準による射撃などの対抗措置を積極的にとること。
・地雷原や障害、敵を誘い込むのに適した危険な地域を特定すること(ATP 3-20.15: 3-15)。

これらの着眼は、いずれも敵の射界に不用意に侵入することを避けることの重要性を示唆するものです。
しかし、状況によっては敵の射界をあえて前進しなければならない場合も出てきます。そのため教範では小隊の車両がお互いに掩護しながら交互に躍進する運動方法についても説明されています。

敵の脅威が予想される地域を前進する場合、戦車小隊の車両を2両ごとに分けて交互に前進させ、先行する車両は後からついてくる車両を支援するために射撃姿勢をとります。
この間に後続の車両も前進し、先行していた車両を追い越して前方で射撃の態勢をとります。
このようにすれば敵に対して無防備になることなく前進することができます。
交互の躍進による戦車小隊の前進運動の方法。
第一に右の二両が正面の丘まで前進し、次に左の二両も正面の丘へ前進する。
これを交互に繰り返すことで小隊の車両が敵の脅威に無防備になる危険を最小限にすることができる。
(ATP3-20.15: 3-17)
このような技術は射撃と運動(fire and movement)の派生形として位置付けることができます。
興味深いのは、射撃と運動はしばしば歩兵小隊・分隊の運用という観点から説明されることが多いにもかかわらず、戦車小隊の運用という観点から同じ考え方を応用することができるということです。

以前に歩兵分隊・小隊の運用に関する記事でも説明したことですが、射撃と運動とは味方の一方の部隊が援護している間に、他方の部隊が機動する技術のことを言います。
いわば、敵の砲手が味方の車両に照準を合わせて撃発する作業をこちらの射撃で断続的に妨害し、味方の車両が一時的に敵の射界を移動することを可能にするのです。
状況によっても異なりますが、直接照準による射撃では一般に目標を照準するのに5秒から6秒の時間を要するため、各車両の運転手は素早く遮蔽物まで前進できるよう時間見積に注意しなければなりません。また、敵の砲手にこちらの動きが先読みされることがないように各車両の経路選択にも工夫が求められます。

結論として、戦車はその装甲に頼るだけでなく、巧みな運動によって自らを防護しなければなりません。そのためには歩兵部隊でも用いられている射撃と運動という技術を応用することが重要となるのです。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2012. Army Techniques and Procedures, 3-20.15: Tank Platoon, Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.

2015年11月14日土曜日

ホッブズの政治理論における戦争

17世紀イギリスの哲学者トマス・ホッブズが残した有名な言葉の一つに「万人の万人に対する戦争」があります。
現代ではこの言葉からホッブズが悲観的な人間観を持っていたことを示す言葉として理解されることも少なくありませんが、本来はホッブズの個人的な意見を述べたものではなく、政治理論の研究を目的とした思考実験用のモデルとして理解されるべきものです。

万人の万人に対する戦争とは
国家が樹立される以前の状態を「自然状態」としてモデル化することによって、そこで予想される様々な状況を考察することが可能となるのですが、ホッブズはある単純な想定を置くと、自然状態は「万人の万人に対する戦争」とならざるを得なくなることを考察したのです。
つまり、現実の世界で起きた、または起きるであろう状況を意味しているわけではないのです。

「万人の万人に対する戦争」の意味するところを理解するためには、人間は何よりもまず自己の保存を求めて行動する、という想定を理解しなければなりません。

あらゆる政治的、社会的秩序が消失した状況で、身体的、精神的に同程度の能力を持つ人間が相対すれば、彼らは互いに相手に対する不信感を募らせざるをえなくなります。
というのも、生存のために必要な物資を同時に享受することができなければ、彼らは自らの生存をかけて相手を殺害するか、屈服させることに全力を尽くさなければならないためです。

ホッブズは、こうして人間は互いに先制攻撃によって相手よりも自己の力を速やかに増大させようと努めることになるのだと考えました。これが「万人の万人に対する戦争」という言葉で示唆されている状況です。
「かくして以下のことが明らかとなる。すなわち、全体を支配する共通の力を伴わずに人々が生活している間は、彼らは戦争と呼ばれる状態にあり、それは万人の万人に対する戦争である。なぜなら、戦争とは単なる戦闘または闘争行為の内に存するのではなく、戦闘によって争おうとする意志が明確に認識された時間の経過の内に存するためである」(Hobbes 1651: 77)
戦争は戦闘とは異なる
興味深いのは、ホッブズは戦争という状態とそこで繰り広げられる個々の行為を区別すべきだと強調している点です。
「したがって、気象の性質を検討する場合と同じように、戦争の性質について検討するには時間の観念が考察されなければならない。悪天候とは一度や二度のにわか雨ではなく、雨が降りそうな日が何日も続くことを意味しているが、戦争の性質も実際の戦いに存するわけではない。それは戦いを避けるように状況が進展する保証が一切ない時期において明確に戦う姿勢をとることが戦争である。そして、それ以外の時期はすべて平和なのである」(Ibid.: 77-8)
この引用で示されているように、ホッブズは戦争と戦闘との間に重大な相違があることに気が付いていました。
ホッブズにとって戦争は私たちが考える戦争よりも広い意味を持っており、いわば継続的な敵対関係の時期のことを戦争として理解していたことが分かります。
これはホッブズの「万人の万人に対する戦争」がいかなる国家や集団によらない戦争であるためであり、複数の人間を共通の意志の下に統制する政治権力がまったく存在しない場合に生じ得る状況であるためです。

いかに戦争が悲惨であるか
さらに、ホッブズはこのような状態がもたらす悲惨さを次のように考察しています。
「土地は耕されず、航海または海上貿易の商品の取引は行われず、有用な建築物もなく、多大な労力を要するような物品の運搬のための道具もなく、地理に関する知識もなく、時間の計算もされず、芸術もなく、文字もなく、社会もない。そして何よりも悪いことであるが、絶え間のない恐怖、暴力による死の危険がある。人間の一生は寂しく、貧しく、汚らしく、惨たらしく、そして短い」(Ibid.: 78)
このようにホッブズは「万人の万人に対する戦争」という自然状態において本来自己中心的な人間が生存を求めて行動することが、どれほど人間の生存を困難にするかを論理的に説明可能であることを明らかにしたのです。

ホッブズは結局のところ、個々人の力で身の安全を確保することは絶対に不可能であり、共通の意志の下で人々の行動を統制する国家が不可欠であること、その国家の究極的な目標は安全保障であり、その下ではじめて人々は平和を維持することが可能になることも論じています。

自然状態で順守すべき原則
とはいえ、ホッブズは全世界の自然状態を世界政府に置き換えることができるなどと考えていたわけではありません。結局のところ、自然状態は国家の外部に残されることになります。そのような状態において順守すべき基本的な戒律、自然法としてホッブズは次のように述べています。
「全ての人間は平和を手にする望みがあるかぎり、それに向かって努力するべきであるが、その望みが絶たれたならば、全ての人間は戦争を求め、戦争のあらゆる手段と利点を活用してもよい」(Ibid.: 80)
ホッブズは平和を実現する可能性があるかぎり、それに向かって非軍事的努力を続けることが何よりも優先されなければならないと強調しました。
しかし、「その望みが絶たれた」時には、断固として戦うことが許されるべきであるというのがホッブズの主張となります。

参考文献
Hobbes, Thomas. (1651) Leviathan, or the Matter, Forme, & Power of a Common-Wealth Ecclesiasticall and Civil, London.(http://socserv2.socsci.mcmaster.ca/econ/ugcm/3ll3/hobbes/Leviathan.pdf)

2015年11月13日金曜日

兵站システムから基地の機能を考える

基地の問題を考える際に私たちがまず思いつくのは、騒音の問題や近隣住民とのトラブル等かもしれません。
しかし、兵站学の立場から基地を考える場合には、その基地だけを取り上げることは適当ではありません。基地の価値は他の味方の基地の所在や、仮想敵国の部隊配備等によって変化するためです。

今回は、兵站の観点から基地の価値を分析する方法を説明するために、兵站システム(logistical system)という概念を紹介したいと思います。

兵站支援の概要
そもそも兵站の目的とは作戦部隊の戦闘力を維持増進するために必要な人員、武器、物資等を充足させることにあります。
このような目的のために使用される需品、整備、輸送、衛生等の職種の部隊は戦闘部隊と一般に区別され、兵站部隊と呼ばれます。

兵站システムとは、これら兵站部隊を有機的に組み合わせて運用するための組織のことであり、基本的には兵站基地(logistical base)と支援地域(support area)の二つ要素を組み合わせて構成されます。
非常に大雑把な整理をすると、兵站基地はより固定的な兵站支援の拠点であり、支援地域は作戦の進展に応じて所在が変更される流動的な兵站支援の拠点です。

しかし、兵站基地と支援地域もさらに細かく分類されます。

(1)兵站基地の分類
・中央兵站基地:国家的観点から生産、流通にとって重要な地域に設定される兵站基地であり、兵站システムの中枢を構成。
・方面兵站基地:方面隊(軍団レベル)がそれぞれの作戦地域において設けられる兵站基地。
・方面前進兵站基地:方面兵站基地の分派として状況の必要に応じても受けられる兵站基地。

(2)支援地域の分類
・前方支援地域:師団等を直接支援する方面隊の兵站部隊が展開する支援地域。
・師団段列:師団の人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。
・部隊段列:連隊・大隊等において人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。

戦略兵站・作戦兵站・戦術兵站の区分
順番に説明すると、中央兵站基地が全軍の兵站システムの中心として位置付けられます。
そこを起点として主要な戦略単位である軍団の作戦地域に置かれた兵站基地がそれぞれ設定されます。
一般に戦略兵站(strategic logistics)と呼ばれるのは、この中央兵站基地から方面兵站基地までの兵站です。
ただし、軍団の方面兵站基地をさらに前方に置くためには状況に応じて方面前進兵站基地を設定する場合もあります。

以上が兵站システムに占める戦略兵站の範囲となりますが、方面兵站基地からさらに戦闘地域に近づくと次は作戦兵站(operational logistics)の範囲となります。
作戦兵站で最も包括的な活動を行うのは方面兵站基地に置かれた軍団の兵站部隊であり、これは師団または旅団の行動を支援することを任務としています。

さらに戦闘地域に近づくと師団を構成する後方支援連隊等の師団段列が配置される支援地域が設定されます。これは戦闘地域と後方地域のちょうど中間付近に位置しており、この辺りまでが作戦兵站として呼ばれている範囲となります。

師団段列からさらに戦闘地域に前進すると、連隊、大隊ごとの段列が展開する支援地域が置かれます。この支援地域は最も戦場に近い場所に置かれることになるため、戦術上の要請によって絶えず移動を強いられます。
作戦兵站と戦術兵站(tactical logistics)の区別はあまり明確ではありませんが、戦術兵站は第一線に位置する兵士たちに人員、武器、糧食、弾薬、燃料、薬品を届ける最後の兵站であり、兵站システムの末端に当たります。

これをまとめると兵站システムは次のような概念図として表すことができます。
兵站システムの全体を著した概念図。
左から右に移ると後方地域(communication zone)から戦闘地域(combat zone)に接近する。
CONUS Baseが中央兵站基地、Theater Baseが方面基地を著す。
そこからさらに戦闘地域に進むと線で区切った個所で前方支援地域、師団段列、部隊段列が置かれる。
(457-8)より引用。
基地は兵站システムの要
このような兵站システムの特性を理解すれば、兵站における基地の役割は常に他の基地との相互関係の中で割り当てられるものであることが分かります。
もし部隊を展開させる予定の作戦地域の付近に兵站基地が存在していないならば、兵站基地と支援地域が遠くに引き離されるだけでなく、兵站基地を起点として展開可能な部隊の規模も制限されてきます。
このような兵站支援の限界は、その後の作戦行動において多大な影響を及ぼすことになります。

日本の安全保障にとって基地の問題は軍事的観点だけで論じきれるわけではありませんが、あらゆる軍事行動の起点となる基地がどのような兵站システムにおいても重要な役割を果たしていることについて理解を深める必要は繰り返し確認することが重要です。
戦闘部隊それ自体が戦闘力を生み出すわけではなく、兵站部隊との連携によってはじめて本来の戦闘力を発揮することが可能となるのです。

KT

参考文献
U.S. Department of Defense. 1997. Joint Doctrine Encyclopedia, Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.
真邉正行『防衛用語辞典』国書刊行会、2000年

2015年11月7日土曜日

接近経路で分類できる防御陣地

戦場では任務、地形、敵情等の各種状況によって防御者として敵を迎え撃つという場面が出てきます。
戦術において攻撃よりも防御が一般的に有利に立てる前提条件となるのが、地形地物を活用した陣地構築と部隊配置です。

今回は、特に歩兵中隊(3個小隊と中隊本部を合計して200名弱程度の部隊規模)の観点から、ある接近経路に対して部隊を適切に配置させるために注意すべき事項を説明したいと思います。

接近経路から戦闘陣地の種類が判断できる

あらゆる戦場の地形は五つの観点から分析することができます。
すなわち、任務遂行のために確保が優先される地形である緊要地形、部隊が通過することを妨げる障害、部隊の所在を秘匿する掩蔽、部隊の所在を確認するための監視、緊要地形に向けて前進する上で通過することになる接近経路、これら五つの観点です(詳細は地形分析に関する過去の記事をご参照下さい)。

これら地形分析の中でも陣地防御を指導する上で重要なのが接近経路です。
接近経路を把握すれば、その接近経路に沿って敵が前進してくると予測されますので、それに対して我が部隊をどのように配置することができるのかを判断できるようになります。

以下では選択可能な戦闘陣地の関係を四種類に区別したものを見てみます。

敵の単一の進路に直行する単一の防御陣地
単独の接近経路に対して単独の陣地を構成する場合。
(FM3-21.8: 8-26)より引用。
図で示したように敵の部隊が使用する接近経路に対して良好な視界と射界が得られ、かつ偽装と隠蔽が容易な地形があれば、そこに全ての分隊の火力を指向して強力な弾幕を構成することができるだけでなく、戦局に応じて別の陣地へ移動することさえ可能です。

我が部隊を一カ所に展開して運用することになるので、指揮官にとって部隊の状態を最も掌握しやすい点も利点として挙げられます。

敵の複数の進路に平行する単一の防御陣地
複数の接近経路に対して単一の防御陣地を構築する場合。
(Ibid.: 8-26)より引用。
上図のように、中隊の交戦地域に敵が利用可能な接近経路が複数あり、敵の部隊がどの方向から前進するのか予断を許さない場合があります。
そのような状況では、両方の接近経路に対して広く正面をとった防御陣地を構築しなければなりません。こうすると一正面に対する火力は低下しますが、両方の接近経路に対する射界を確保するために必要な措置と言えます。

ちなみに、図のように敵の進路と並行して占領する陣地は側面陣地と呼びます。これは敵の進路に直行して占領する陣地よりも逆襲に移る際に部隊の機動が阻害されないという利点を持つものと考えられています。
したがって、側面陣地を見れば相手が攻撃的な意図を持っている可能性を考慮しなければなりません。

敵の単一の進路に平行する複数の防御陣地
同一の接近経路に対して複数の戦闘陣地を占領する場合。
(Ibid.: 8-27)より引用。
図のように接近経路に対して平行に占領した防御陣地を選択する場合、防御者にはどのような利点が考えられるでしょうか。

このような配置をとる利点は、接近経路を前進する敵の部隊を十分に隘路に引き入れた後に交戦を開始することができることです。
敵の部隊の前衛を黙って通過させておき、続行する主力が我が方の存在に気付かず戦闘展開もせずに交戦地域に進入してくるようならば、我が部隊は最初の射撃によって敵の部隊に大きな打撃を加えることができるだけでなく、その前衛と後衛を前後に分断することも可能です。

ただし、気を付けなければならないのは陣地を複数に分けて正面を広く取るとしても、中隊の戦力を均等に分けることは避けなければなりません。
主力と支隊の役割を明確に分担しておき、支隊が占領する陣地には敵の前衛を拘束するための戦力を、主力が占領する陣地には敵の主力に打撃を加えるための戦力を用いなければなりません。

敵の複数の進路に平行する複数の防御陣地
複数の接近経路に対して複数の防御陣地を占領する場合。
(Ibid.: 8-27)より引用。
交戦地域の地形によっては敵が利用できる接近経路が複数ありながらも、それが合流している場合があります。
このような状況では、それぞれの敵の部隊が合流することを妨げることが必要となります。そこで敵の進路を封鎖し、その脇道となる場所には地雷原を構成する等の手段がとられることになります。
とはいえ、個々の防御陣地が孤立して敵により撃破される危険が比較的大きくなる配置であることには変わりなく、主力が占領する陣地と支隊が占領する陣地の位置関係については相互に支援できるように注意することが求められます。

戦術の研究では交戦地域における地形の価値を巡って意見が分かれることはそれほど多くありません。しかし、その地形を活用するために部隊をいかに配置すべきかという論点を巡ってはさまざまな考え方があります。
今後、新たな地形を目にした時には、それぞれの視点から最適な戦闘陣地がどのようなものかを思索してみてはどうでしょうか。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-21.8: The Infantry Rifle Platoon and Squad, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

2015年11月6日金曜日

論文紹介 ヒュームが語る安全保障と国債の関係

歴史を見ると、国家が戦時予算を編成する際に、臨時の課税や借入等に頼ることは近代より前には見られなかったことが分かります。
それまで国家は戦争を遂行するために平時から積み立てた金銀を使用することが普通でした。
しかし、近代以降に戦争の形態が大規模化、長期化してくると、国家が借入を行わずに作戦を遂行することはほとんど不可能となります。

イギリスの哲学者として名高いデイヴィッド・ヒュームは、イギリスが戦争を戦う上で国債に対する依存が強まっていることを認識しており、それがもたらす政治的、経済的な帰結を考察しました。今回は、このヒュームの戦時国債に関する考察を紹介したいと思います。

文献情報
Hume, David. 1742. "Of Public Credit" Essays, Moral, Political, and Literary, (「公信用について」『市民の国について』小松茂夫訳、岩波書店、1982年、(下)133-156頁)

18世紀のイギリスでは国債というものは単なる金融商品であるだけでなく、一種の通貨として幅広く流通していました。国債は手元に置いておくだけで所有者に利子所得をもたらし、非常に安全な投資の対象であると認識されていたためです。
国債が幅広く受け入れられていたことにより、ジェンキンズの耳戦争(1739-48)、そしてオーストリア継承戦争(1740-48)を戦っていたイギリス政府は必要な軍事予算を組むことができていました。

しかし、論文の著者のヒュームは国債については利点と欠点の両方から考察しなければならないと指摘した上で、戦時財政に特有の問題点を示しています。
「国債は一種の紙券です。ですから、国債はその種の貨幣に伴う欠点をすべて持ちます。国債はその国の商品流通におけるもっとも重要な部門から金銀貨を駆逐し、金銀貨の流通範囲を日常の流通に縮小し、その結果、国債が貨幣として使用されぬ場合に比べ、あらゆる食料と労働との価格をより高価にします」(140)
このヒュームの考察は戦時財政が引き起こすインフレーションの問題を指摘しています。
当時、国債が貨幣として用いられていたため、国債の供給量が急激に増加すると、国債一口当たりの価値が相対的に低下し、さまざまな物の価格が上昇が促されます。
ヒュームはこうした経済状況の下で市民が反乱、暴動を引き起こす危険が高まることを懸念していました。

また国債の所有者が過剰に増加して利子収入に頼ることになると、生産活動をかえって阻害する可能性がある点についても指摘しています。
「国債の大半はつねに、利子収入で生活する非生産的な人々の手中にあります。それゆえ、国債は役立たずで日活動的な生活を大いに助長します」(140-1頁)
この論点との関係で、ヒュームは「いかなる国家社会においても、営々として働く社会部分と非生産的社会部分との間に一定の比率が保たれていることが不可欠」と論じています(142)。
なぜなら、「この豊富に蓄積された貨幣はそれに比例した軍事力によって防衛されなければならない」ためです(146)。
つまり、防衛のために必要な軍隊の経費は究極的に利子受領者に対する課税が必要となるのではないかと、ヒュームは論じています。

それは、従来までの国債への信用が失われることを意味します。つまり、新たに発行されても国債に対して応募が十分に得られないという状況、つまり財政破綻に陥るということです。

興味深いのは、ヒュームが最も危険なことだと考えているのは、この財政破綻そのものではないという点です(確かにそれは公信用を崩壊させ国債所有者に甚大な損害をもたらしますが)。
より深刻な問題なのは、そのような事態を議会が可能な限り先延ばししようとするあまり、ヨーロッパの国際情勢が変化した際にイギリスの安全保障のために必要な軍事行動をとることができなくなることです。
「ヨーロッパにおける勢力均衡を、われわれの祖父、そしてわれわれは一致して、われわれの注視と支援とがなければ維持され得ぬきわめて不安定なものと見なしてきました。しかし、われわれの子孫たちが、均衡維持のため不断の努力に倦み、しかも債務で動きがとれなくなり、(勢力均衡に対する)いっさいの関心を放棄して、近隣諸国民が抑圧され征服されるのを座視するようになり、ついには、彼ら自身と国債債務者も、征服者のなすがままとなるかもしれません。もしこのようなことになれば、それはまさに適切にも、公信用の暴力的死とわれわれは呼び得るでしょう」(155-156)
結局のところ、ヒュームが真剣に恐れていたことは、財政的問題ではなく政治的問題でした。
つまり、国家の財政運営における国債の依存が強まることは、長期的に見れば財政の基盤を不安定、不確実なものとなります。
そうなると、国際情勢の急激な変化によって多額の支出が必要となった際に必要な軍事的行動がとれず、イギリスの防衛に支障を来す可能性が出てきます。

18世紀の議論なのでそのまま現代に当てはめることはできませんが、ヒュームの議論は財政の在り方を安全保障という観点から考える上で参考になる点が少なくないと思われます。

KT