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2014年12月13日土曜日

文献紹介 軍医たちの戦争


戦争を物語る文学や映画では、銃弾を受け、手足を失い、血を流す兵士たちの姿が描かれ、私たちに戦争の悲惨さを印象づけますが、そこで話を終わらせてはいけません。

負傷した兵士たちはまだ生きており、彼らを回復させることができれば、兵士たちに与えた教育や訓練を無駄にせず、部隊に復帰させることも可能となります。

したがって、軍医に与えられた任務は単に人道的な意義を持つだけではなく、兵站の観点からも重要であり、その役割は国家安全保障に大きく寄与するものです。

今回は、こうした観点から南北戦争の事例における米陸軍衛生部の活動を記述した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Duncan, L. C. 1987. The Medical Department of the United States Army in the Civil War, Gaithersburg: Olde Soldier Books.

目次
1.はじめに
2.ブル・ランの戦い
3.ヴァージニア戦役
4.救急部隊と野戦病院の発達
5.米国史上、最も血が流れた日、アンティータムの戦い
6.フレデリックスバーグの戦い
7.南部の絶頂、ゲティスバーグの戦い
8.西部戦線の最大の戦い、チカマウガの戦い
9.荒野の戦い
10.シャーマンが南進する時

この著作で記されている南北戦争は1861年から1865年にかけてアメリカ合衆国とアメリカ連合国の間で戦われた戦争であり、開戦当初に合衆国は大陸北部、連合国は大陸南部に多くの支配地域を有していたことから、日本では南北戦争という名称となっています。

米国史において南北戦争の特徴はその動員された兵士の規模と人的損害が大きかったことです。
南北両軍を合計すると240万名以上の兵士が動員されました。
戦場で発揮される火力も向上していたために、最終的には50万名以上の死者を出しています。

この研究で描かれているのは、この戦争で負傷者の治療に当たった米陸軍衛生部(以下、衛生部)の歴史であり、戦闘の推移に従って衛生部の組織や体制が整備されていった経過が述べられています。

南北戦争が勃発した当時、戦場で負傷者にどのような処置を与え、後送し、治療するかという計画は一切なく、緊急搬送という面で大きな課題を抱えていました(Duncan, 1987: 1)。

すでに1859年に米陸軍の軍医たちは救急搬送の重要性を認識しており、専門とする部隊の重要性について政策提言も出していたのですが、上層部で受け入れられていなかったためです(Ibid)。

当時の北軍の規模はおよそ35,000名であり、5個の師団に編成されていました。
この時の軍医長(Medical Director)は軍医のキング(W.S. King)という少佐でした。キング少佐は絶えず階級の低さから業務上の権限にも制約が多かったことが指摘されています(Duncan, 1987: 2)。

キングは戦場で発生する負傷者の緊急搬送のために各連隊で相応の準備が必要だと考え、北軍の現有勢力から考えれば、各連隊に600名から800名の衛生要員、20両の馬車を配備することが必要だと具申していました。
しかし、この具申は形式的な承認が得られただけで実際の人員や装備は別の部門へ優先的に配分されたために、具体化することはありませんでした(Duncan, 1987: 2)。

そして、キングが危惧した通りブル・ランの戦いで負傷者の救急搬送が深刻な問題として浮上します。
南北戦争で最初の一大会戦となったブル・ランの戦いで予想を超える負傷者が発生し、救急搬送のための要員や装備が著しく不足したためです。

当時の戦場での医療体制の概要としては、連隊ごとに1名から数名の軍医が配属されており、彼らの指揮の下で野戦病院が設置されていました(Ibid)。
負傷者は自力でそこまで移動するか、他の隊員の助力を得て搬送されるという仕組みでした。

当時、戦場に展開していた28個連隊の野戦病院で処置することが可能な負傷者の規模は700名程度でしたが、実際にブル・ランの戦いが始まると負傷者は800名を超えて増加し、たちまち処置が追い付かなくなります(Ibid)。
しかも、戦場では自力で移動することができない多数の重傷の負傷者が放置された状況にありました。

北軍の記録によるとブル・ランの戦いで戦死者483名、負傷者1011名、合計1491名の損害が発生しました(Duncan, 1987: 17)。
この戦闘から間もなくキングは現地に入り、負傷者たちの後送のために必要な装備として馬車の調達を手配しています。
しかし、上層部は命令を執行するために必要な政府の承認を得ることができませんでした(Ibid)。

その最大の要因は、戦場での緊急搬送の必要が国民からほとんど認知されておらず、いったい何のためにそれほど大量の馬車が必要かが議会で理解されなかったことが挙げられます(Ibid)。
政治家は現地でどれだけの負傷者が出ているかを知らず、また軍部も説得に失敗してしまいました。

キング少佐や他の軍医たちにとっては耐え難いことではりましたが、負傷者を搬送するための馬車は現地で負傷者を一人も乗せることなく基地に戻らざるをえなかったのです。

キング少佐は1862年にその任を離れることになり、米陸軍衛生部を去ることになりました。
しかし、その後も医療体制の問題は繰り返し表面化し、特に緊急搬送の問題点については現場での試行錯誤が繰り返されながら改善が重ねられていきます。

長くなりすぎましたので、ここではこれ以上の詳細を述べることはしませんが、本書は近代戦闘の様相に対処するため軍医たちが陸軍の体制を変革させた歴史を知ることができる名著であり、兵站学の観点から見て重要な価値を持つものと言えます。

戦争で戦っているのは兵士だけでなく、後方の軍医たちもまた戦っていたことを、この米陸軍衛生部の歴史はわれわれに伝えているのではないでしょうか。

KT

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