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2014年9月15日月曜日

論文紹介 兵站は戦略を制約する


今回は、安全保障学で(残念ながら)特に知名度が低い研究領域、兵站学に関する議論を紹介します。
兵站学の論文は特に第二次世界大戦が終結してから数多く書かれるようになりましたが、その中でも特にアメリカ軍の兵站に関する優れた事例研究があります。

論文情報
Sykes, H. F., Jr. 1947. "Logistics and World War II Army Strategy," Military Review, 35(2): 47-54.

この論文の著者である米陸軍大佐H. F. Sykes, Jr.の貢献は、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の大戦略の決定を決定した要因として兵站が決定的だったことを実証的に明らかにしたことです。

日本海軍による真珠湾攻撃を受けてから間もない1942年1月の議会演説で、ルーズベルト大統領は「この圧倒的な優勢を獲得する目的から、合衆国はその国力のほぼ限界まで航空機、戦車、火器、艦船を生産しなければならない」と発言しました(Sykes 1947: 47)。

この発言から示される通り、アメリカにおける戦略と兵站の関係は「父と子の関係」ではなく、全く逆の関係でした。
つまり、アメリカは戦略を策定するよりも先に、その戦略に必要な武器や装備を生産するところから戦争指導を着手し、その後に当面の戦略を策定したのです。

著者は、このような結果として、戦略と兵站のどちらの領域においても長期的な指針が確立されていなかったと指摘しています(Sykes 1947: 47)。

この主張を裏付けるために、著者は1939年以後のアメリカ軍の兵站がどのように指導されていたかを動員という観点から検討しています。

ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した1939年、アメリカ軍の勢力は最初21万名でしたが、9月には22万7000名に増勢されます。当初の計画によれば1941年10月1日までに100万名、1942年4月までに400万名に増勢するつもりでした。

この戦力を整備するために必要な費用はおよそ73億ドルと見積もられましたが、予算の総額はルーズベルト大統領の要求によって30%程度ほど削減されてしまいます(Sykes 1947: 48)。
この予算削減の決定から間もなくして、武器や装備を生産する防衛産業の能力が不足し、今の予算では動員計画の目標に達する見込みがないことが判明しました。

ルーズベルト大統領に与えられた選択肢としては、(1)計画の目標を縮小して200万名だけの戦力を計画の期日までに速やかに動員する、(2)計画の目標を維持して400万名の戦力の動員完了を予定よりも遅らせる、という二者択一でした。

結果的にルーズベルトは議会の抵抗を考慮に入れた上で、政治的な実現可能性を優先し、計画の目標を縮小し、40億ドルで議会に予算案を提出しています。

しかし、部隊の動員が完了する時期に関する決定は戦略にも極めて重要な影響を及ぼす決定ですが、当時の政府内部での意思決定を検討すると、まずは戦争に必要な資源をいかに確保するかが最優先とされていたのが実態だったのです。

著者はこの分析から「兵站は大戦略の最初の決定を制約する」という見解を主張しています(Sykes 1947: 49)。

兵站が戦略に及ぼす影響は極めて重要であることは誰もが口にすることですが、この研究はさらに議論を進め、兵站に関する意思決定が戦略を規定した様相を浮き彫りにしました。
現在の観点から見ても兵站学の研究成果として優れた分析が多く含まれており、未だに価値を失っていない優れた研究です。

KT

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