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2014年9月29日月曜日

業務連絡 更新一時停止のお知らせ


平素は格別のご愛顧を賜りまして、厚くお礼申し上げます。

この度、ブログの更新を一時的に停止することを決定いたしました。

その理由としまして当方の就職活動が行き詰まってしまい、新たな方針で就職を模索しなければならなくなったためです。
上述の関係から時間の制約が生じ、その結果として現状の品質を維持して記事を執筆するが困難になりました。
今後の方針としてまして、無期限の更新停止としておりますが、機会を見つけることさえできれば再開したいと考えております。
その再開がいつ頃になるかは分かりませんが、その時になればまた告知させて頂きます。

どうか読者の皆様におかれましても、ますます安全保障学の研究成果が発展しますように、心からお祈り申し上げます。

KT

2014年9月24日水曜日

はじめて戦術学を研究する人のために


今回は戦術学について研究したい、という人のための勉強の仕方や役立つ文献を紹介したいと思います。

私は大学に入学した当初から戦術学には強い関心を抱いていたのですが、入学してから間もなく幸運にも軍事評論家の松村劭(元陸将補)先生と直接お会いする機会があり、その時に戦術学の勉強の仕方や基本文献を教えて頂いたことがあります。

お会いできたのは一回きりでしたが、その時にご教示頂いた勉強法や参考文献は大変に役立ちましたので、ここで皆様と共有したいと思います。

まず、戦術学では、教範で示された原則や概念を理解し、それを実例に適用する練習が基本的な勉強法となります。
陸上自衛隊の教範に野外令がありますが、これは公開されていませんので、自学独習の場合には教範は旧軍の作戦要務令・統帥綱領か、米軍の野戦教範を参考とします。

文献情報
陸軍省『作戦要務令』尚兵館、1938年
陸軍大学校『統帥綱領・統帥参考』偕行社、1962年
U.S. Department of the Army. 2012. ADRP 3-90: Offense and Defense, Washington, DC: Government Printing Office.(http://armypubs.army.mil/doctrine/DR_pubs/dr_a/pdf/adrp3_90.pdf)

最後に揚げた米軍の教範は最近新しく改定されたものとなっています。戦術の基本となる概念や考え方が体系的に解説されており、図表による解説も明快で理解の助けとなります。

こうした教範の原型ともなった文献はドイツ陸軍省が1933年から1934年にかけて出版した教範『部隊指揮』(Truppenführung)があります。ドイツ語の文献ですが、1942年に米軍が翻訳していますので、そちらで参照することもできます。

文献情報
U.S. War Department. 1942. German Tactical Doctrine, Washington, DC: Government Printing Office.(http://usacac.army.mil/cac2/cgsc/carl/wwIIspec/number08.pdf)
Condell, B., and Zabecki, D. T., eds. 2001. On the German Art of War: Truppenfuhrung, Boulder, Lynne Rienner.

当時のドイツ軍における戦術学の研究成果がよくまとめられており、また現在においても妥当性を失わない優れた内容となっています。

また、松村先生は戦術学の研究では最近の事例だけでなく、古代から幅広く戦史を辿ることが重要だというお考えからデュピュイをはじめとして軍事史の著作をいくつか紹介して頂きました。
ただし、現在の自衛隊での戦術の教育では第二次世界大戦以後の戦史がしばしば使われることが多くありますし、私の経験としては学習者の関心に応じた事例で研究した方が良いと思います。

というのも、戦術の原則を学ぶ上で武器の操作等に関連する技術的知識は必須のものとまでは言い切れないためです。

文献情報
Dupuy, R. E., and T. N. Dupuy. 1970. Encyclopedia of Military History, New York: Harper and Row.
Brodie, B., and Brodie, F. 1973. From Crossbow to H Bomb, Rev. ed. Bloomington, Ind.: Indiana Univ. Press.
Wynne, G. C. 1972. If Germany Attacks, Reprint. Westport: Greenwood Press.
Creasy, E. 1963. Fifteen Decisive Battles of the World, London: Dent and Sons. 
West Point Military History Series
Griess, T. ed. 1985-1986. West Point Military History Series, Wayne: Avery.

これらはいずれも有名な著作ばかりですが、私が特に推奨するのは一番上の軍事史百科事典であり、多数の事例について知ることができます。参考文献リストも含めて戦術を研究するための大きな手がかりとなります。

なお、松村先生がご自身で出版された著作も戦術学に関心を持ち始めた方にはお奨めできます。

文献情報
松村劭『戦術と指揮』PHP研究書、2006年

短い著作ですが、基本的に陸自の教範『野外令』の内容に沿って戦術について解説しています。

この著作には簡単な演習問題も含まれているため、想定を読み込んで、自分なりの解答を作成してから原案に当たることを反復すれば戦術的な考え方を訓練することができます。

松村先生は実際の歴史的事例に即して戦術を考えさせる入門書も執筆されています。

文献情報
松村劭『世界の歴史を変えた名将たちの決定的戦術』PHP研究書、2007年
松村劭『勝利を決めた名将たちの伝説的戦術』PHP研究書、2010年

いずれも電子書籍で入手することができます。Dupuyの軍事史百科事典でも取り上げられている代表的な戦闘の事例を取り上げて、そこで使用されている戦術について演習問題の形式で検討を加えるものです。

学部生時代の私の勉強法は、こうした文献を単に読み進めるのではなく、自分で問題に対する答案を作成するというものです。それは単なる作戦の基本方針を文章として記述したものではなく、可能な限り部隊の配置や機動についても図示しておかなければなりません。

こうして作成した答案に間違いがあれば、自分の答案の上から何が間違っており、その理由は何かを書き込んでおきます。この時に原案の部隊配置を自分の答案の上に書き込んでおきます。
後からそれを読み返すと、単に答案を読むよりも理解ははるかに深まりますし、教範で述べられた原則がどれほどよく考察されたものであるかも分かります。

私は戦術学は必ずしも自衛官だけが学ぶものではなく、教養として広く国民に普及することが望ましいと思っています。
というのも、戦術学で得られる知識は、戦略学を学ぶ場合でも、軍事史を学ぶ場合でも非常に有益であり、防衛問題のさまざまな問題を具体的に考える能力を養うためです。

KT

2014年9月19日金曜日

アダム・スミスの経済戦争論


経済学の古典で知られる18世紀の経済学者アダム・スミスの『国富論』は軍事的観点から見ても興味深い分析を多く含んでいます。
今回は、特に経済制裁に関する記述を紹介したいと思います。

「神の見えざる手」という表現でよく知られているように、スミスは市場における自由な取引の有効性を擁護しており、貿易に関しても輸入を制限することによってさまざまな弊害が生じることを指摘しています。

しかし、それだけではなく、スミスは輸入を制限するべき場合があるということも主張しています。すなわち、国防上の必要を満たす場合です。

17世紀、イギリスでは航海条例に基づいて、船主、船長、船員のうち4分の3がイギリス国民ではない場合、イギリスの沿岸貿易に従事することはできず、違反すれば船舶と積荷は没収することにしていました。

この航海条例によって外国、特に当時の経済大国だったオランダは大きな損失を強いられることになります。

というのも、この条例はイギリスに商品を輸入する外国船舶の運行を規制していましたが、イギリスの商品を輸出する外国船舶だけは運行を許可していました。
言い換えれば、この条例は最初から、輸出型産業を中心としたオランダ経済に打撃を与えることを目的とした経済制裁だったと言えます。

第二次英蘭戦争における1666年の四日海戦
エイブラハム・ストーク画
この経済制裁はその後に英蘭戦争の引き金になったことはよく知られています。
興味深いことに、スミスはこの経済制裁の究極的な目的とは、オランダの海軍力を減退させることにあったと論じています。
「この規則は、すべてもっとも思慮深い知識人によって指図されたもののごとく賢明なものである。あの時点における国民的反感はもっとも思慮深い知識人が勧告するに違いないこととまさに同一の目的を、つまり、イングランドの安全を危うくする可能性のある唯一の海軍力であるオランダの海軍力の減殺を目指していたのである」
戦わずして、貿易収支の悪化を通じ、オランダの海上戦力の消耗を加速させることができるというのがスミスの考えでした。

当時、オランダ海軍はイギリスの海上交通路に対する重大な脅威であり、イギリス海軍はオランダ海軍に対する絶対的海上優勢を確立することはできていませんでした。
直接的な方法で海上戦闘を挑む場合の勝算は有利とは言えませんが、このような間接的な方法であれば貿易立国であるオランダの財政を悪化させ、引いては戦力を漸減できるということになります。

もちろん、純粋な経済分析を行うならば、オランダ商人をイギリスの市場から締め出すことによって、イギリス人の生産した商品の需要が減少し、結果的に商品の価格は下落することが予想されます。
それにもかかわらず「国防は富裕よりもはるかに重要なことである」とスミスは断言しています。

この著述を取り上げてみても、スミスは優れた経済学者であっただけでなく、国際関係におけるイギリスの地政学的な特性、そしてオランダとの勢力関係について広い視野を持ち合わせた戦略家でもあったことが分かるのではないでしょうか。

安全保障とは必ずしも戦争に関する事柄だけを取り扱えば済む問題ばかりではありません。平和もまた次の戦争を準備しつつある重要な段階であることを認識しなければならないのです。

KT

2014年9月16日火曜日

業務連絡 投稿時期の見直しについて

平素は格別のご愛顧をいたただき、厚くお礼申し上げます。

さて、これまで投稿時期は一週間に三度と設定して参りましたが、当方の就職活動の進展が不調つき、9月22日以降の投稿について検討した結果、一週間に二度(水曜日と金曜日)と再設定させて頂くこととなりました。

ご愛読を頂いております読者の皆様には誠に申し訳なく存じておりますが、引き続き本ブログを維持しながら、就職活動を継続するために、さらなる時間と労力の効率化が必要であり、記事の執筆に費やす時間を削減せざるを得ないと判断いたしました。

もし引き続き就職活動に失敗した場合、以後の研究活動をあきらめ、本ブログも閉鎖せざるを得ません。読者の皆様におかれましては、何卒ご理解を賜りますように、お願いを申し上げます。

KT

2014年9月15日月曜日

論文紹介 兵站は戦略を制約する


今回は、安全保障学で(残念ながら)特に知名度が低い研究領域、兵站学に関する議論を紹介します。
兵站学の論文は特に第二次世界大戦が終結してから数多く書かれるようになりましたが、その中でも特にアメリカ軍の兵站に関する優れた事例研究があります。

論文情報
Sykes, H. F., Jr. 1947. "Logistics and World War II Army Strategy," Military Review, 35(2): 47-54.

この論文の著者である米陸軍大佐H. F. Sykes, Jr.の貢献は、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の大戦略の決定を決定した要因として兵站が決定的だったことを実証的に明らかにしたことです。

日本海軍による真珠湾攻撃を受けてから間もない1942年1月の議会演説で、ルーズベルト大統領は「この圧倒的な優勢を獲得する目的から、合衆国はその国力のほぼ限界まで航空機、戦車、火器、艦船を生産しなければならない」と発言しました(Sykes 1947: 47)。

この発言から示される通り、アメリカにおける戦略と兵站の関係は「父と子の関係」ではなく、全く逆の関係でした。
つまり、アメリカは戦略を策定するよりも先に、その戦略に必要な武器や装備を生産するところから戦争指導を着手し、その後に当面の戦略を策定したのです。

著者は、このような結果として、戦略と兵站のどちらの領域においても長期的な指針が確立されていなかったと指摘しています(Sykes 1947: 47)。

この主張を裏付けるために、著者は1939年以後のアメリカ軍の兵站がどのように指導されていたかを動員という観点から検討しています。

ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した1939年、アメリカ軍の勢力は最初21万名でしたが、9月には22万7000名に増勢されます。当初の計画によれば1941年10月1日までに100万名、1942年4月までに400万名に増勢するつもりでした。

この戦力を整備するために必要な費用はおよそ73億ドルと見積もられましたが、予算の総額はルーズベルト大統領の要求によって30%程度ほど削減されてしまいます(Sykes 1947: 48)。
この予算削減の決定から間もなくして、武器や装備を生産する防衛産業の能力が不足し、今の予算では動員計画の目標に達する見込みがないことが判明しました。

ルーズベルト大統領に与えられた選択肢としては、(1)計画の目標を縮小して200万名だけの戦力を計画の期日までに速やかに動員する、(2)計画の目標を維持して400万名の戦力の動員完了を予定よりも遅らせる、という二者択一でした。

結果的にルーズベルトは議会の抵抗を考慮に入れた上で、政治的な実現可能性を優先し、計画の目標を縮小し、40億ドルで議会に予算案を提出しています。

しかし、部隊の動員が完了する時期に関する決定は戦略にも極めて重要な影響を及ぼす決定ですが、当時の政府内部での意思決定を検討すると、まずは戦争に必要な資源をいかに確保するかが最優先とされていたのが実態だったのです。

著者はこの分析から「兵站は大戦略の最初の決定を制約する」という見解を主張しています(Sykes 1947: 49)。

兵站が戦略に及ぼす影響は極めて重要であることは誰もが口にすることですが、この研究はさらに議論を進め、兵站に関する意思決定が戦略を規定した様相を浮き彫りにしました。
現在の観点から見ても兵站学の研究成果として優れた分析が多く含まれており、未だに価値を失っていない優れた研究です。

KT

2014年9月10日水曜日

バックパスとは何か


国際関係論において、バックパス(Buck-Pass)とは「侵略者に対して自らは静観しながら別の大国に阻止させる」国家戦略のことをいいます(Mearsheimer 2001: Ch. 5)。

バランス(均衡)やバンドワゴン(追従)のように、現状維持を企図した大戦略の一種ですが、第三国を巻き込むことで自国の利益を図るところが特徴的な部分と言えます。

バックパスを行う国は自国の代わりに別の国に潜在的な侵略者を阻止させるために、四種類の手段を駆使します。

第一に、侵略者と良好な外交関係を構築する方法があります。一見すると、バンドワゴンと同じようにも見えますが、バンドワゴンと異なるのは第三者の対外行動に影響を及ぼすことが狙いである点です。

1930年代のヨーロッパでドイツの軍事的台頭が危ぶまれた際に、フランスは安全保障上の脅威を感じていたのですが、フランスはドイツとの関係を改善させるようとしていました。
これは潜在的な侵略者であるドイツとの外交関係を改善することで、ドイツの軍事力がフランスに向けられることなく、東側にあるソ連の方向へ指向することを期待していたためです。

第二に、バックパスを行う国は自国の代わりに侵略者と戦う国との外交関係を疎遠に保つ必要もあります。
これは一見すると不可解に思われるかもしれませんが、その最大の理由は侵略者と防衛者の両方に対して中立的な立場をとらなければ戦争それ自体に巻き込まれる危険があるためです。
自国に対する脅威を別の国に肩代わりさせながら、自国は何の犠牲を払うこともないことが転嫁においては重要です。

第三に、バックパスを行う場合には自国の余剰の資源を動員する方法も考えられます。
一般にバックパスは直接的な連合作戦への参加を回避することを意図していますが、それゆえ攻撃の対象とならないように、自衛のための防衛力を保有している必要が出てきます。
その意味において、転嫁という大戦略においても抑止という軍事戦略の基礎が不可欠と言えます。

第四に、バックパスを行う国は自国の代わりに戦う大国の成長を助けることも求められます。
侵略者と戦うことが可能なだけの能力を付与する必要があるため、バックパスのような戦略を遂行するためには相応の援助を行うことが欠かせません。

以上がバックパスに必要な処置となりますが、成功すれば非常に強力な大戦略である一方で、諸外国の対外関係を見極める困難を常に伴う戦略でもあります。

最近の研究には日本の安全保障を支配していたのは平和主義ではなく、バックパスだったことを指摘するものもあります(Lind 2004)。
つまり、日本が意図しているのは、日米安保に依拠しながらも、自国が率先して防衛者となることはせず、侵略者を米国によって阻止してもらい、かつ中国とも「戦略的互恵関係」を維持して攻撃の対象となることを回避しているという判断です。

バックパスを通じて単純な敵と味方という構図から国際関係を把握することができないということが理解できるのではないでしょうか。

KT

関連記事
均衡について
追従について

参考文献
Lind, J. M. 2004. "Pacifism or Passing the Buck? Testing Theories of Japanese Security Policy," International Security, 29(1): 92-121.
Mearsheimer, J. J. 2001. The Tragedy of Great Power Politics, New York: W. W. Norton. (奥山真司訳『大国政治の悲劇』五月書房、2007年)

2014年9月8日月曜日

演習問題 地形判断を応用した敵情判断


今回は、第一次世界大戦の事例に基づいた戦術学の演習問題を紹介したいと思います。状況はそのまま利用していますが、問題の内容や答案は私が改めて作成しました。

1918年8月3日、アメリカ軍の第4師団の任務は退却中のドイツ軍を追撃することでした。
第4師団隷下の第7旅団第39歩兵連隊はその前衛として追撃を行っていたのですが、ドイツ軍の砲撃による激しい抵抗を受け、日中にほとんど前進することができませんでした。

8月4日早朝、第39歩兵連隊はVesle川に向けて前進するためにChery-ChartreuveとSt. Thibautの間の約2000キロの経路を前進しなければなりません。この経路には200メートル程度の幅しかない隘路が1000メートル続いており、これを迂回して前進することが困難です。

次の目標であるSt. Thibautに前進するためにはこの隘路を通過する必要があります。(地図を参照)
XX4は第4師団、X7は第7旅団の作戦地区の意味。
第39歩兵連隊はSt. Thibautまでの経路上にある隘路の南方に展開している。
連隊が前方の敵情を偵察したところ、隘路に敵の存在は確認できていません。
さて、追撃を進める上で敵情をどのように判断するべきでしょうか。以下の選択肢に正しい判断が一つだけ含まれています。

1.敵はChery Charteuve-St. Thibaut間の隘路の出口で前進を阻止する。
2.敵はこちらの意表をついて反撃するための準備を行っている。
3.敵はSt. Thibautへの侵入に抵抗するための準備を行っている。
4.敵はVelse川以北の地形を活用した遅滞戦闘に出る。

=====
以下は原案です。

一見すると、この問題は隘路に関する問題のように見えますが、実際には違うというところがポイントです。
作戦地区の地形を分析していくと、隘路のよりもVesle川に架橋された橋梁の重要性のほうが大きいことが分かるためです。

この敵情判断で考えなければならないのは、前日のドイツ軍の作戦です。
退却中のドイツ軍の立場で考えると、遅滞戦闘のためにどこに陣地を築城するべきかを選択しなければなりません。

直観的には隘路の出口に200メートル程度の抵抗線を設けて防御陣地を構築する方針が思いつきますが、実はこの方針を採用すると後退行動の際にVesle川に架橋された橋を部隊が渡るための時間的猶予が必要になります。

しかしながら、St. Thibautの南方にはアメリカ軍が展開するだけの面積があるため、ドイツ軍の主力が背後と側面から捕捉されて攻撃を受ける危険が大きいと判断することができます。

この危険を防ぐ処置として、St. Thibautまでの退却路に防御陣地を何重にも構築する方針も考えられるのですが、状況によるとドイツ軍が戦闘の準備に与えられた時間は8月3日日没から8月4日早朝まででしたので、それだけの規模の築城工事を完了させることは極めて困難です。

したがって、ドイツ軍が確実に退却するには、予め部隊をVesle川以北まで下げる作戦案が適当だと判断できます。以上の判断から原案は4となります。

1.誤り。偵察の結果と立てられた判断が矛盾しており、また隘路の出口に陣地を設定した場合にはドイツ軍は事後の後退行動のための動作に困難が生じるため。

2.誤り。ドイツ軍は退却の途中であるため、攻撃に転じるとしても、隘路が前方にある場合に攻撃しても戦力を発揮する十分な地積が望めず、双方ともに消耗戦になる見込みが大きい。しかも、隘路で戦闘を開始すれば、戦闘から離脱することは容易ではないことから、不適当である。

3.誤り。St. Thibautに立てこもって防御する案は、ドイツ軍が退却中であり、後から増援が来る見込みがない以上、適当ではない。アメリカ軍に対して損害を強いることはできるが、部隊が離脱する時期を失えば、ドイツ軍も壊滅的な損害を被る危険がある。

4.正しい。後退の任務を第一と考える場合、隘路を前方にして河川を背後に遅滞戦闘を行うよりも、河川を前方にした方がドイツ軍の危険を最小限にし、かつアメリカ軍にも損害を与えることが可能であるため。

最後に史実を見ると、当時のドイツ軍が選択した防御陣地はVesle川以北にある高地の中腹でした。(地図上で見切れている高地のことです)ここに砲兵陣地と機関銃陣地を設定することで、Vesle川に近づくアメリカ軍を射撃することが可能でした。

実際にアメリカ軍がVesle川にまで前進すると、直ちにドイツ軍は射撃を開始し、第39歩兵連隊の主力である2個大隊に甚大な被害を与えたことが報告されています。


KT

2014年9月5日金曜日

東アジア地域での安全保障環境の現状


実際、東アジア地域の安全保障環境が厳しさを増しているのでしょうか。日本の安全保障の現状としてどのような情勢判断を下すことができるのでしょうか。
今回は、いくつかの報告書や先行研究から、こうした論点に関する部分を紹介したいと思います。

まず東アジア地域に権益を持つ主要な国家の勢力は次の通りです。

アメリカ 陸上勢力59万名、海上勢力613.9万トン(1030隻)、航空勢力3498機
中国 陸上勢力160万名、海上勢力142.3万トン(892隻)、航空勢力2582機
ロシア 陸上勢力29万名、海上勢力207万トン(976隻)、航空勢力1555機
日本 陸上勢力14万名、海上勢力45.3万トン(139隻)、航空勢力420機 (防衛省2014: 375)

東アジア地域ではこれら以外にも102万名の陸上勢力を有する北朝鮮、52万名の陸上勢力を有する韓国などがあり、各国が展開する軍事要員を合算した規模だけで評価すれば、世界でも特に高い密度で部隊が展開されていると言えます。

このような地域の特性は東アジア情勢で緊張が緩和されない場合の地政学的な危険を示唆していますが、それと同時に各国が大規模な軍事力で相互に抑止し合うために、戦略的安定性は高いことも意味しています。

ある研究報告で東アジアで武力衝突が発生する公算は少なくとも2030年までは低いレベルとして判断されたことも、各国が保有する軍事力の規模が戦略的安定性を促進する因果関係が認められているためです(Swaine et al. 2013)。

もし中国が領土や勢力圏の拡張を企図するとしても確実な勝利が得られるだけの局地的な軍事的優勢を準備することが必要です。現状の勢力関係で中国がそれだけの水準に達しているとは言えません。
したがって、東アジア地域で直ちに武力紛争の危険を考慮する必要はそれほど高くないと考えられます。

しかしながら、東アジア地域で緊張がやや高まる傾向性があることは確かです。
最近の防衛研究所の報告書では安全保障のジレンマが顕在化していることや、北朝鮮での政権交代、中国の勢力拡大と民族主義の高揚などが危険な要因として指摘されています(防衛省防衛研究所2014: 26-29)。

中国の台頭以上に重大な影響を及ぼす可能性がある要因として考えられるのが、東アジア地域におけるアメリカの勢力後退です。

第二次オバマ政権は声明の中ではアジアへの回帰として「リバランス」を掲げていますが、実際の動向を見たところ、東アジア地域においてアメリカの具体的な勢力の増勢を行うというわけではありません。

(Berteau and Green 2012: 14)
この地図は東アジア地域の安全保障環境で特に紛争が進行中の地域×で表し、また領土紛争が進行中の地域を緑色の記号、災害地域を黄色の記号で表現したものです。

この地図で明確に示されているのは、中国は南シナ海と東シナ海での局地的優勢を確立することを許せば、西太平洋におけるアメリカの領土であるグアムも脅威に晒されることです。

しかし、アメリカでは国防予算の削減が進められています。
2011年に成立した予算管理法に基づき、議会は2013年会計年度で国防省の人件費を除く予算科目の全てで予算を強制的に削減しました。

その影響は多方面に及びましたが、海軍艦艇の海外展開への影響に限ると、中東に向かうハリー・S・トルーマン空母打撃群の出航が2月から7月に延期され、それ以外に海外展開する海軍の艦艇の数は105隻から95隻に減少しています(防衛省防衛研究所 2014: 237)。

このような軍事情勢が今後変わらないなら、アメリカは宥和を通じて中国の勢力拡大を容認する路線を選択する公算は大きくなります。
台頭する中国と敵対せずアメリカの地域的権益を確保し続けるためには米中関係の戦略的安定性が欠かせません。これは日本の安全保障にとって重大な意味を持つ可能性です。

KT

参考文献
防衛省『日本の防衛』防衛省、2014年
防衛省防衛研究所編『東アジア戦略概観2014』防衛省防衛研究所、2014年
Swaine, M. D., Mochizuki, M. M., Brown, M. L., Giarra, P. S., Paal, D. H., Odell, R. E., Lu, R., Palmer, O., and Ren, X. 2013. China's Military and the U.S.-Japan Alliance in 2030: A Strategic Net Assessment, Washington, DC: Carnegie Endowment for International Peace.
Berteau, D. J., and Green, M. J., eds. 2013. U.S. Force Posture Strategy in the Asia Pacific Region: An Independent Assessment, Washington, DC: Center for Strategic and International Studies.
Swaine, M. D., Tellis, A. J. 2000. Interpreting China's Grand Strategy: Past, Present, and Future, Santa Monica: RAND.

2014年9月3日水曜日

文献紹介 不足する弾薬と工廠の役割

兵站において補給を優先しなければならない最も基本的な物資が三つあります。それは、糧食、燃料、そして弾薬です。
戦場において軍事力を発揮するためには、大量に消費される弾薬を適切に補給することが兵站の最も重要な仕事の一部と言えます。
今回はこうした関心から、第一次世界大戦のアメリカにおける弾薬の供給についての著作を紹介したいと思います。

文献情報
Crowell, B. 1919. America's Munitions, 1917-1918, Washington, DC: U.S. Government Printing Office.

第一次世界大戦では火力戦闘の重要性が高まったため、戦場での弾薬の消費が飛躍的に増加した事情があります。
そのためアメリカでも工廠(軍隊内部の軍需工場)で大規模な弾薬の増産に乗り出さなければならなくなりました。

ワシントンDCに建設された工廠の写真。
事実関係を確認しておくと、アメリカが第一次世界大戦に参戦するのは1917年4月からのことです。
この参戦によってアメリカは第一次世界大戦でのドイツの敗北を決定的なものにしたと研究では一般に言われています。
しかし、この報告書で指摘されているのは、アメリカが兵站の側面で数々の問題を抱えており、特に弾薬の補給に関しては他の連合国に大きく依存していたことです。

あまり知られていないことだと思いますが、報告書によるとアメリカの防衛産業で砲兵の弾薬の増産が本格的に開始されたのは、1918年の夏以降になってからでした。
つまり1917年4月に参戦を決定したことを考慮すれば、弾薬の増産への移行に1年以上の時間を費やさなければならなかったことが分かります。

1914年からドイツと戦っていたフランスやイギリスの産業が供給する一か月あたりの弾薬量と比べると、1918年10月上旬の段階でさえその供給力は半分程度だったことが指摘されています(Ibid: 33)。
したがって、1918年11月に戦争が終結することを考えればアメリカが弾薬の補給に関して連合国の供給に依存していた関係が分かります。


この資料の下の図によると1917年4月1日から1918年11月11日までにイギリスが生産した弾薬を基準にすると、フランスの供給した薬莢が固定された弾薬(完全弾薬)はおよそ123%、アメリカは14%です。
また薬莢が固定されていない弾頭のみの生産に関してはイギリスを基準にするとフランスは113%、アメリカは28%の供給量にすぎません。

第一次世界大戦の経験からアメリカでは防衛産業の重要性が強く認識されるようになり、その後の産業動員に関する立法が審議されています。
この報告書では軍隊が消費する弾薬を供給する産業の生産体制を直ちに拡充することは技術的に困難であったことを裏付ける数多くの資料が示されており、いずれも優れた著述です。

アメリカの防衛産業の能力不足は大戦の経験から指摘されるようになったわけですが、現在の日本の安全保障を考える場合においても、こうした弾薬の生産と備蓄という兵站の問題は重要な意味を持っています。

KT