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2014年7月28日月曜日

カルドーの「新しい戦争」とその批判


クラウゼヴィッツによる最も重要な発見の一つは、時代や地域の特性といった、社会の文脈によって戦争の形態が変化することを、法則的な事象として認めて分析を加えたことでした。

それ以来、戦争はそれ自体で独立した活動なのではなく、絶えず社会との関連を持った活動として考えられています。

このクラウゼヴィッツの着想を現代の文脈で発展させる過程で、「新しい戦争」と呼ばれる議論が注目を集めてきました。
この議論の発端はカルドーの著作『新しい戦争』(1999年)です。

この著作でカルドーは冷戦が終結してから戦争の形態が根本的に変化したことを主張し、大きな論争を引き起こすことになりました。

その著作によれば、新しい戦争とはグローバリゼーションの文脈から生まれたものであり、特徴として次のような点が指摘されています(Kaldor 2013: 2)。

・(行為主体)戦争の担い手が国家主体ではなく非国家主体であること
・(目的)戦争の目的が地政学的な権益やイデオロギーなどの政治的目的ではなく、宗教的、文化的なものであること
・(手段)戦闘が主要な交戦手段ではなく、民族虐殺や市民へのテロ活動といった暴力が重要な手段であること
・(財政)戦争の経済的要素を支えているのが通常の国家の財政ではなく地球規模に展開する金融のネットワークであること

こうした「新しい戦争」はもはやクラウゼヴィッツの理論では説明することができないというのがカルドーの判断でした。
なぜなら、クラウゼヴィッツの理論は近代的な国家が成立することを前提としているためであるというのがその理由でした。

しかし、この議論は非常に幅広い層の研究者から批判を集めることになります。
そもそもカルドーは十分にクラウゼヴィッツを研究していたわけではなく、また戦争の歴史に関する知識が不足していたことがその主な原因と考えられます。

カルドーに対する批判的見解をカルドー自身がまとめた論文が2013年に発表され、そこで「新しい戦争」としてカルドーが特徴づけた戦争の形態は記述として不確かなものであることが認められました。
カルドーの整理に従って、批判を整理すると三つの議論にまとめることができます。

第一の批判としてカルドーが定義した「新しい戦争」の多くの特徴が過去の戦争に見出すことができるというものでした。

「新しい戦争」は果たして新しい事象なのかということを検討してみると、カルドーが言う「新しい戦争」の特徴は冷戦期における「小戦争(Small War)」、「低強度紛争(Low-Intensity War)」と呼称されてきた事例と合致していることが分かりました。
つまり「新しい戦争」は別に新しい事象ではなかったのです(Kaldor 2013: 3)。

第二にカルドーが描いた「新しい戦争」はもはや戦争とは言えないという批判が提出されました。

つまりカルドーが「新しい戦争」の特徴として論じた暴力の私有化や大量殺戮は戦時下における組織的な犯罪行為であったとしても、戦争それ自体と本質的に異なった事象であるということが指摘されたのです。

この論点についてもカルドーは「現代の暴力のあらゆる形態が全く非合法であり、政治的・軍事的反応よりもむしろ警察行動(Policing)を必要とするものとして見なすことができる、ということが戦争という用語を使わないことの利点である」と認めています(Kaldor 2013: 6)。

第三にクラウゼヴィッツの理論をカルドーが誤解しているという批判がありました。

この点についてはクラウゼヴィッツの戦争理論の核心と関係する部分なので、別の機会に詳細に取り上げたいと思いますが、要点だけ述べればカルドーはクラウゼヴィッツの戦争理論の適用可能性を誤って狭く解釈していたということです。

クラウゼヴィッツが生きた時代はちょうど18世紀から19世紀であり、この時代は国民国家の成立期にあたります。

実際にクラウゼヴィッツは国民国家に関する議論も行っているのですが、だからといってクラウゼヴィッツは国民国家を自明の前提としたわけではありませんでした。
クラウゼヴィッツは古代から近代にかけての戦争の形態の変化についても記述していることから分かるように、国民国家を前提とする戦争を議論の出発点としていませんでした。

こうした批判に対するカルドーの再反論で重要だったのは、「新しい戦争」が事実の説明を目的とした実証的な概念ではないということものでした。

それはカルドーが理想とする世界市民主義法の執行のための平和維持活動を実現させる啓発活動を目的としたものであり、クラウゼヴィッツのような分析的意味での戦争概念とは異なったものであるとカルドーは認めたのです。

私の結論としては、カルドーは研究者としてではなく人権活動家として「新しい戦争」の概念を提唱することを目的としていたのだと考えます。

現代の戦争の特徴を説明するために「新しい戦争」の議論はしばしば参照される議論なのですが、カルドーの議論にさまざまな問題点が見出されたことを受けて、よく見直す必要があります。

少なくともカルドーは国連や平和作戦の機能を強化する上で「新しい戦争」の議論を一種の宣伝として用いたのですから、この議論をクラウゼヴィッツの戦争理論と並べて理解することは非常に大きな間違いだと言えます。

私たちが考えるべきは、むしろカルドーのような主張が出される現代の時代精神というべき思想のあり方ではないでしょうか。

戦争の政治的目的が政策的、戦略的な観点ではなく、人道的、倫理的観点から定義されるようになれば、戦争はますます政策の手段としての位置づけを離れることになる可能性があります。

KT

参考文献
Kaldor, M. 1999. New and Old Wars: Organized Violence in a Global Era, Cambridge: Polity.
Kaldor, M. 2013. ''In Defense of New Wars,'' Stability, 2(1): 1-16.

2014年7月25日金曜日

モーゲンソーの全体戦争論


国際関係論の研究で知られるモーゲンソーですが、その著作には全体戦争に関する記述のために一章が割かれていることはあまり注目されていません。

モーゲンソーは全体戦争(Total War)に関する研究に依拠しながら、現代の戦争が従来までの限定的な手段によるものではなく、全体的な手段を行使する形態に変化することを主張しています。

特にモーゲンソーが指摘しているのは、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、戦争で使用される軍事力の規模と効率が急激に変化したという点です。
「17世紀、18世紀において、人口の1%を兵役のために徴兵することは滅多に達成することができない大事業であった。第一次世界大戦ではヨーロッパ列強は人口の14%を部隊へと充当した。第二次世界大戦では主な交戦国が戦力に補充した人口の割合はそれよりある程度は低かった。⑩%を超えたのは、恐らくアメリカ、ソビエト、ドイツだけであった。武器の機械化が非常に発展したために、このように減少した」
また軍事力の効率を向上させた要因としてモーゲンソーは武器の発達と輸送や通信の発達を挙げています。
「武器の射程が全世界にまで拡大したことは、現代の戦争の性格や、その性格と現代の世界政治との関係にとって多かれ少なかれ意味があるものであり、しかもその意味は戦争の破壊力の増大がこの武器の射程の増大と歩調を合わせてきたかどうかによって変化する」 
「およそ19世紀の半ばまでは、記録に残された史料を見る限り、陸路と海路で最も早い行進速度は時速10マイルであったが、陸路でこの速度に達することは稀であった。20世紀初頭には鉄道により陸路の行進速度は最も速い列車で時速65マイルになったが、それは市場それまで達成された速度の6倍半であった。蒸気船は海路での航行を時速36マイルにまで加速させたが、これは従来の最高速度の3倍半の速度であった」
モーゲンソーにとって戦争がこのように変化したことは、全世界を征服することが技術的に可能となったことを含意していると考えていました。

モーゲンソーの議論によれば、こうした全世界を支配するための技術的条件とは(1)中央集権的な統制による住民の社会的統合の強制、(2)反乱の動きを封じ込める物理的な実力の保有、(3)支配と共生のための手段が世界のすみずみに配備されていることです。

これら三つの条件について、「これら三つの軍事的、政治的な必須の条件は、どれ一つとして過去に達成されなかったが、それらは現代では手の届く場所にある」というのがモーゲンソーの判断です。

その判断の適否については保留するとして、モーゲンソーの全体戦争論が国際関係論と密接に結びついていることは重要な論点だと言えます。
私としてはモーゲンソーが考えた戦争と国際関係の関係は研究を必要とする論点ではないかと考えています。

KT

2014年7月21日月曜日

安全保障における計画の意義


安全保障において計画のあり方は常に議論されてきた問題でした。
どの国家でも戦時と平時において各々内容が異なる二種類の計画を使用しています。

戦時に使用する計画は部隊の作戦行動について幕僚が作成する軍事計画(Military Plan)、戦争計画(War Plan)または作戦計画(Operational Plan)であり、平時に作成する計画は国家の防衛政策について官吏と幕僚が協働して作成する防衛計画(Defense Plan)と呼ばれます。

計画は安全保障の実践と密接に関係する問題なのですが、そもそも計画を持つことはどのような意義があると言えるのでしょうか。

一般的に見れば、計画は独立した活動なのではなく、管理の一要素に位置づけられています。
管理には計画、組織、統制、通信という四つの機能があり、これら四つの機能を総合的に発揮しなければなりません。

具体的に見ると目標を設定するのが計画であり、計画を実行するために人員を組織化し、組織への指示や監督を通じて行動を統制し、統制を徹底させるために報告や連絡を円滑にするという流れになります。

したがって、計画それ自体が重要なのではなく、組織や統制、通信との関連の中において重要な要素であることを理解しなければなりません。

もし計画がなければ、組織は独自の判断で行動し始め、命令や指示は絶えず状況によって変化し、業務の成果報告や現場で収集された情報伝達を集約することが困難となります。結果として組織的な活動が阻害されてしまうのです。

非常に興味深いのは無計画な組織が緊急事態に直面すると、直ちに対応するための計画を立案するのですが、その計画によって大きな浪費が発生する傾向が一般的に見られると指摘されていることです。

こうした過少な計画から過大な計画が発生することは、「雪玉理論」とか単に「雪玉現象」と呼ばれています。
その理由はいろいろと論じられているのですが、その一つに見積の過剰という要因があります。

例えば戦争計画を持たないまま突然に敵対する国家と戦争が勃発した場合、計画立案のためには部隊、装備、弾薬、糧食、燃料などの「見積」を作成しなければなりません。

しかし、計画立案の担当者は「見積」が甘かった場合には責任を問われることになるだけでなく、突発的な事態による不安や情報の不足、不測事態への恐怖などから見積に相当程度の「余剰」を付け加える気持ちが強まります。

結果として応急的に作成される計画によって、しばしば大量の無駄な発注や調達を引き起こし、予備のための備蓄として考えても過剰な物資や装備を抱え込んでしまうことになるのです。

研究者のエクルズは太平洋戦争で米軍が奇襲を受けたこと、米海軍の調達計画に不備があったことなどを指摘し、戦時中に一度も使われることがなかった駆逐艦が大量に生産されたことを事例として挙げながら、こうした計画の不備による雪玉現象を説明しています。

時として日本では防衛計画や作戦計画の調査研究に対外的配慮が欠けているとして批判する議論がありますが、無計画な安全保障は非常に高い支出を求められることを理解しなければなりません。

計画を立案研究することは安全保障の政策実務において中心的な業務であり、またそれは国民が負担する財政支出を最小限に抑制するために不可欠な作業とも言えるのです。

KT

関連記事
幕僚の業務と役割について

参考文献
Fallows, J. 1982. National Defense, New York: Random House.
Bonn, K. E. 1992. ''Planning, Military,'' International Military and Defense Encyclopedia, New York: Brassey's, pp. 2149-2153.
Eccles, W. E. 1959. Logistics in the National Defense, Harrisburg, PA: Stackpole.

2014年7月14日月曜日

軍事技術と国際関係


あらゆる軍事力、特にその武器、装備の体系の機能は科学技術に依存するものです。
国際関係において科学技術の研究で仮想敵国に後れを取ることは、結果的に見て軍事力の低下を意味しています。

そのため、国家にとっての至上命題の一つは軍事技術の研究開発であり、その良否は安全保障に直接的な影響を及ぼすことになります。

冷戦期においてヨーロッパ方面の勢力関係において、数で勝るソ連軍に対する米軍の均衡を支えていたのは、米国の優れた軍事技術に他ならなかったと言われています(Brown 1983; Perry 1989; Johnson and Blaker 1996)。

軍事技術の重要性を理論的に分析した最初の研究者は、かの有名なランチェスターでした。
ランチェスターは「損害係数(Attrition Coefficient)」という概念を使うことで、数では同じ規模の部隊であったとしても、武器や装備の技術水準が異なっている場合、戦闘の結果には重大な相違をもたらすことが予測できると論じました(Lanchester 1916)。

このランチェスターの理論の実証性を検討する研究には大規模なシミュレーション研究と実際の軍隊を動員した演習が必要であり、実証研究は専ら軍によって独占されている状況です。
そのため、そうした論文を私が読むことはできませんし、それについて紹介することもできません。

(例外として、第二次世界大戦のアルデンヌの戦闘のシミュレーション研究があり、米軍の機密指定解除がなされたため今は報告書が読めます(Bauman 1995))

しかし、戦域規模の戦闘という戦略的観点から見た軍事技術の役割ではなく、国際システムでの勢力均衡における軍事技術の役割であれば、研究は一般に公開されています。

最近の研究から代表的な成果として「軍事における革命(Revolution in Military Affairs)」の研究が挙げられます。
ノックスとマレーは軍事力の効率に直結する発明、革新が発生した契機として、17世紀の国民国家の成立、フランス革命、産業革命、第一次世界大戦、核戦力の登場という五つを挙げています(Knox and Murray 2001: 6)。

こうした軍事技術の影響によって戦闘の様相が劇的に変化する可能性を指摘し、こうした軍事技術が攻撃と防御のどちらに有利かによって、国際システムの様相も変化するということです。

この議論をさらに発展させると、軍事技術によって地上に存在する国家の数を説明することも可能です。
つまり、世界で攻撃に有利な軍事技術が普及すれば、世界で弱小国が存立できる可能性が低下するので国家の数は減少しますが、防御に有利な軍事技術が普及すれば、弱小国でも独立を維持する可能性が向上するので、国際システムにおける国家の数が増大するのです。

KT

関連記事
攻防均衡理論の紹介、クエスターの論文

参考文献
Brown, H. 1983. Thinking about National Security, Boulder, CO: Westview.
Perry, W. J. 1989. ''Defense Technology,'' in Clark, A., and Lilley, J., eds. Defense Technology, New York: Praeger, pp.23-30.
Johnson, S., and Blaker, J.1996. ''The FY 1997-2001 Defense Budget,'' Strategic Forum, 80(July): 3-4.
Hughes, W., ed. 1984. Military Modeling, Alexandria: Military Operations Research Group.
Lanchester, F. W. 1916. Aircraft in Warfare: The Dawn of the Fourth Arm, London: Constable.
Taylor, J. G. 1983. Lanchester Models of Warfare, Arlington, VA: Operations Research Society of American.
Bauman, W. 1995. Ardennes Campaign Simulation(ARCAS),Study Report, CAA-SR-95-8, Maryland: US Army Concepts Analysis Agency.
Knox, M., and Murray, W. 2001. The Dynamics of Military Revolution, 1300-2050, Cambridge: Cambridge University Press.

2014年7月9日水曜日

論文紹介 もはや水陸両用作戦は不可能なのか

近年、東アジア各国では水陸両用作戦の研究が急速に進められています。中国は以前にも増して水陸両用作戦に特化した部隊の増強と武器の開発を続けており、日本でも陸自に水陸機動団が新設されつつあります。
しかし、こうした一方で海軍の一部から現代の軍事技術では対上陸作戦を遂行する防御者があまりに有利であるため、着上陸作戦の実行可能性は低下しているという指摘があります。

今回は米海軍の観点から21世紀の水陸両用作戦の実行可能性を調査した報告書の内容を紹介したいと思います。

文献情報
Turner, A. M. 2011. ''Amphibious Operations in the 21st Century: Are The Cost and Risks too High?'' Final Report, Newport: Naval War College.

これはアメリカ統合軍事作戦局の要請に基づいて執筆された水陸両用作戦の研究報告書であり、特に武器の観点から着上陸作戦の実行可能性を評価したものです。
興味深いことに、著者は現代の技術環境では防御者が攻撃者よりも圧倒的に優位であり、主要国間で戦争が勃発すれば、着上陸作戦を実施しようとしても従来よりはるかに大きな犠牲が出る危険性があると結論付けている点です。

その根拠として重視されているのは対艦ミサイル、そして機雷の発達であり、掃海と支援射撃に伴う技術的問題もこれに関連して出てきます。

1996年、台湾海峡危機でアメリカはクリントン政権の命令の下で2隻の航空母艦を中核とする打撃部隊を派遣したことがありました。この経験を踏まえて中国軍は対艦ミサイルを基本とする軍事戦略を策定します(Turner 2011: 6-7)。これが接近拒否(Anti-Access)、地域拒否(Area-Denial)として知られる現在の中国の戦略の基本的特徴となりました。

水陸両用作戦では部隊を海岸に送り出すために艦艇を停泊しなければなりません。この艦艇を対艦ミサイルで撃沈されるということは攻撃者にとって極めて深刻な事態であり、海岸へ接近する前に収容している地上部隊も失われてしまう危険性を考慮しなければなりません。
またターナーは対艦ミサイルだけでなく機雷も海上作戦で重要な防御手段であることに注意を促しています。技術的観点から見て機雷は対艦ミサイルほど高度な技術を必要としません。しかし、着上陸作戦を支援するために沿岸海域に接近しようとする艦艇にとっては重大な脅威となります。

湾岸戦争でイラク軍は第一次世界大戦前にロシアで開発された古い型の機雷をはじめとして、ソ連製、イタリア製の磁気機雷をクウェートの沖合に敷設しました。このことで、クウェートに米軍が着上陸作戦を妨害し、海域それ自体を封鎖したのです(Turner 2011: 9-10)。
さらに重要な点として、機雷を除去するための掃海活動には非常に時間がかかる場合が少なくないということです(Turner 2011: 11)。
著者によれば、2011年の段階で米海軍の掃海能力は深度600フィートから40フィートに敷設された機雷にしか対応しておらず、水陸両用作戦のために必要な掃海能力を持っていないと指摘されています(Turner 2011: 11)。
そのため、アメリカ軍が着上陸作戦を行うためには同盟国の援助が極めて重要であり、その具体例としてターナーは朝鮮戦争において米軍の作戦を支援した韓国と日本の掃海活動の事例を挙げています(Turner 2011: 12)。

まとめると、現代においても水陸両用作戦の重要性があることは確かですが、それを実行することは以前よりも難しくなっていると判断しています。むしろ、著者は将来の水陸両用作戦では人道支援、災害派遣、邦人保護、示威活動、急襲を目的とする場合が一般化することを示唆しています(Turner 2011: 16)。

いずれにせよ、アメリカの戦力投射能力を維持するためには、掃海活動に関する同盟国への依存を減らし、敵の射程外から攻撃するスタンドオフ能力の構築などが必要となりますが、それらも着上陸作戦の問題を根本的に解決できるものではありません(Turner 2011: 16)。

KT

2014年7月7日月曜日

果たして経済制裁は効いているのか


国際政治学の研究では経済制裁の効果に関して見方が分かれています。
なぜなら、経済制裁の効果は確認が難しく、はっきりとした成果が見られる場合が少ないためです。

成果が見られない原因として考えられているのは、経済的要因に対する国家の反応は、軍事的要因対する反応よりも一般に小さいためだと言われています。戦略爆撃や海上封鎖のような相手国の経済基盤を破壊する軍事戦略でも効果を確認するには時間がかかります。

学術研究での報告を見てみると、この経済制裁の効果に関する議論はかなり入り組んでおり、明確な結論は得られていません。

例えばある研究で経済制裁が成功した40の事例を取り上げたところ、別の研究者がそれらの事例のうち35は経済制裁が失敗した事例であったと主張したことがあります(Hufbauer et al. 2007; Pape 1997, 1998, Baldwin and Pape 1998; Baldwin 1999/2000)。

要するにこれは研究者の間で経済制裁の成否の基準が明確ではないということ、経済制裁の効果については不明確な点が多いことを意味します。
要するに経済制裁については研究者もその効果についてはよく分からないのです。

私の立場としては、経済制裁はより軍事的観点、特に兵站の観点から考えることが必要だと思います。

兵站学の観点から考えると、経済制裁とは国家兵站を支える経済力を縮小させる方法です。

ここで重要なことは経済力が縮小することによって、軍事力の維持が困難になることです。

その国家が貿易に完全に依存する経済であった場合、経済制裁で貿易取引が不可能となると、直ちに兵站にも影響が出ると考えられます。備蓄によってその効果を一定程度遅らせることが可能かもしれませんが、長期間の消費に耐える備蓄を維持すること自体が大きな経済的負担となります。

つまり経済制裁の効果を考えるためには、時差を見積ることが必要です。
物資が不足し、生産性が低下し、税収が減少し、軍事支出が削減され、部隊の人員や装備が縮小されるまでの時間差を考慮して経済制裁を考える必要があります。

KT

参考文献
  • Baldwin, D., and Pape, R. 1998. ''Evaluating Economic Sanctions,'' International Security, 23(Fall): 189-98.
  • Baldwin, D. 1999/2000. ''The Sanctions Debate and the Logic of Choice,'' International Security, 26(Winter): 80-107.
  • Hufbauer, G. C., Schott, J. J., and Elliott, K. A. 2007(1985). Economic Sanctions Reconsidered: History and Current Policy, 3rd edtion. Washington, D.C.: Institute for International Economics.
  • Pape, R. 1997. ''Why Economic Sanctions Do Not Work?'' International Security, 22(Fall): 90-136.
  • Pape, R. 1998. ''Why Economic Sanctions Still Do Not Work?'' International Security, 22(Summer): 66-77.

2014年7月5日土曜日

論文紹介 一次大戦の浸透戦術における砲兵の役割


現代の戦術学の理論や概念は第一次世界大戦の数多くの犠牲によって生み出されたものが少なくありません。
諸兵科連合の記事でも指摘しましたが、第一次世界大戦は近代的な武器体系を用いた最初の事例であり、興味深い史実が多く見られます。

今回はこの戦争でドイツ軍が用いた戦術でも特に浸透(Infiltration)を取り上げ、この戦術で砲兵が果たした役割を議論した論文を紹介したいと思います。
軍事において浸透とは敵を戦闘によって撃滅するのではなく、小規模に分割された突撃部隊によって敵の背後に進出して目標を攻撃する機動方式です。

同じ攻撃の一種である迂回と決定的と異なるのは、敵との接触を維持したまま行う点だと言えるでしょう。
  • Ukeiley, Scott E. 1997. ''Tempo and Fires in Support of WWI German Infiltration Tactics,'' Field Artillery, 5(September/October): 26-29.
1918年1月、ドイツ陸軍は『陣地戦における攻撃』という教範で西部戦線に新しい教義を示しました。
この教範では攻撃が成功するために決定的に重要な条件として速度と奇襲が述べられていました。
そのため歩兵部隊は従来のように散兵線の隊形で攻撃するのではなく、小隊ごとの突撃によって素早く敵の背後に前進する浸透を重視するようになります。

もう一つ重要だったのは教範で砲兵の突撃支援射撃は短期的かつ集中的に行われるべきと規定された点です。

以前の突撃支援射撃では砲兵は歩兵が攻撃する経路上のあらゆる障害物を全て砲撃するようにしていました。
しかし、この方法はあまり有効ではないことが判明したため、重機関銃や軽機関銃は砲撃目標から除外されなければなりませんでした。
また突撃支援射撃で過剰に地形が破壊されると攻撃部隊の前進を妨げる点が指摘されていたことも理由に挙げられます。

そこでドイツ軍の砲兵隊では無力化砲撃(Neutralization Fires)という教義を導入されました。
これは一時的に使用ができなくなる程度の損害を与えるにとどめる砲撃を行うことによって、突撃支援射撃の目的を達成しながら上記の問題を解決するための教義でした。

この論文で引用されているドイツ軍の砲兵士官の言葉に次のようなものがあります。
「我々は敵の士気を打破し、陣地に敵を封じ込め、抵抗できない突撃で敵を圧倒したいだけである」(Georg Bruchmüller)
こうした考え方からも砲兵の役割を殺傷から無力化に変化していることが示唆されます。
実は化学兵器が第一次世界大戦で最初に導入された経緯は、こうした砲兵部隊の教義の変化とも密接な関係があります。


無力化砲撃は敵を一時的に戦闘不能にすることが重要ですので、装備や陣地を過剰に破壊せずとも化学攻撃で敵を失明させれば攻撃部隊がそこを浸透することは十分に可能となります。

ドイツ軍は化学ガスによる攻撃の有用性を重視するようになり、特に先ほど発言を引用したBruchmüllerも積極的に化学兵器の使用を推進したそうです。

もう一つ重要なのは速度(テンポ)の問題でした。
「砲兵が耕し、歩兵が占領する」という古い言葉もありますが、浸透ではそのような悠長なことができる時間がありません。
というのも、従来の射撃指揮では火力を集中させることが可能な一方で、調整に時間がかかる集権的な指揮方法だったためです。

そこでドイツ軍は砲兵部隊の指揮系統を見直し、砲兵部隊おける下位部門の権限を強化することを決めます。
さらに大口径の火砲の数を減らして小口径の火砲を増加させ、陣地転換に必要な時間を短縮させる取り組みも行います。

浸透が成功させるためには歩兵部隊が前進する速度を維持することが何よりも重要だったとはいえ、火力を犠牲にしてでも機動力を重視したことは砲兵の運用思想の歴史から見ても画期的なことでした。

結論としてドイツ軍は第一次世界大戦の経験から浸透という攻撃を重視するに至りましたが、それに伴って砲兵の火力や機動に関する考え方も大きく変化したと言えます。

この論文を読むまでは、戦術学の研究において浸透という戦術は歩兵の観点から記述されることが一般的だと考えていたのですが、前進する歩兵部隊を支援する砲兵部隊の観点から記述しているのが大変私には新鮮な視点でした。

特に砲兵の無力化砲撃の教義が一次大戦の化学攻撃の背景にあったことを指摘したことは、この論文の重要な貢献ではないかと思います。

KT

2014年7月3日木曜日

大英帝国の精鋭、王立海兵隊

通常間隔で一列横隊に整列する英国王立海兵隊の隊員、1976年1月。
国際関係において国家が排他的に所有する最も重要な資産とは領土であり、それをなくしては国家として存続することはできないことは今も昔も変わっていません。

中でも離島のような領土を防衛するには、特別な考慮が必要です。敵によって離島が占領された場合には水陸両用作戦を行わなければならないためです。

今年2014年に陸自の西部方面普通科連隊に水陸機動団が編成され、日本の水陸両用作戦の能力向上が進められていますが、しかし直ちに実戦に投入できる段階にはなく、また水陸両用作戦に関する国民の理解も十分な水準にあるとは言えません。

ここで紹介したいのはイギリスの海兵隊の歴史です。いかにして海兵隊が編成され、どのような運用がなされていたかを知ることが有益です。

歴史的に見て、イギリスで正式に海兵隊が創設されたのは1664年のことでした。
文献によれば、その部隊はまず女王に直属するロードジェネラル近衛歩兵連隊で選抜された要員を基幹としていたそうです。
新たな連隊に与えられた名前はデューク・オブ・ヨーク・アンド・アルバニー海上歩兵連隊、これがイギリス最古の海兵隊として知られています。

18世紀にイギリスが世界各地で支配地域を拡大する際には、この国王に直属する連隊は重要な役割を果たしました。
有名な戦闘として七年戦争にブルターニュ半島の離島、ベル・イル・アメン・メール島を攻撃して占領した事例が挙げられます。

この部隊が現在の名称、「王立海兵隊」に正式に改められたのはジョージ3世の時代のことです。
現在もイギリスの王立海兵隊は海軍の一部ですが、19世紀には艦艇の艦内規律を維持する憲兵としての任務も果たしていました。
そして着上陸作戦の決行の際には王立海兵隊は一般の水兵から組織された陸戦隊を連れて出撃したのです。
以前にも少し述べましたが、海軍の戦略は海上を支配する戦略と海上から陸上を支配する戦略の二つの要素に分かれますが、海兵隊は後者の役割を担っていたことが言えます。

第一次世界大戦の事例でも王立海軍師団(第63師団)が編成されており、この師団の一員として王立海兵隊員がアントワープやガリポリで戦闘に参加したことはよく知られています。
また第二次世界大戦で最初にイギリス軍とドイツ軍が交戦したノルウェーのナムソスの戦闘にも投入されました。

1945年後に王立海兵隊の任務は特殊作戦が重点化されるようになり、アフガニスタンにも派遣されています。
その一方で、フォークランド紛争での着上陸参戦にも参加しており、伝統ある部隊として今もイギリス軍の水陸両用作戦の能力に貢献していると言えます。

王立海兵隊の歴史を見て気が付くことは、水陸両用作戦は歴史的に海軍の任務だったということです。これは指揮の統一という軍事の原則から説明できます。つまり、水陸両用作戦は海軍の海上優勢が前提の作戦なので、海軍の内部で作戦が完結するほうが作戦の進行が円滑になります。

最後に、日本の水陸両用作戦を考える場合、この点は決して軽視できない問題を提起します。
なぜなら、日本においては「水陸両用作戦」と「統合作戦」を同時並行で行う必要が生じるためです。

上陸地点や時期の選定など作戦計画の内容をめぐって陸自と海自、そして恐らく空自の見解が異なる状況はありえることです。
例えば陸自からすれば上陸後の行動が重要ですが、海自にとっては上陸前の展開に注意が向けられますが、もし上陸の地点や時期で陸自と海自で方針が異なる場合、統幕の強い権限、つまり統合作戦における指揮の統一が必要です。

水陸両用作戦に伴う危険は必ず誰かが引き受けなければなりませんが、それは組織の問題ではなく作戦の問題として処理しなければいけません。


参考文献
Thompson, J. 2001. The Royal Marines, From Sea Soldiers to a Special Force, London: Pan Books.