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2014年12月29日月曜日

論文紹介 本来の戦略の意味を取り戻す


安全保障学の分野で「戦略」ほど乱雑に使用される概念は他にありません。
戦略という概念は戦争術から派生して発展したものですが、現在では政策の意味で、また経営戦略の分析でも使用されています。

今回は、歴史的考察から戦略の意味を再検討するための論文を紹介したいと思います。

文献情報
Strachan, H. 2006. "The Lost Meaning of Strategy," Survival, 47(3): 33-54.

目次
1.戦略の発達
2.戦略と政策の一体化
3.冷戦と戦略と諌止の戦略
4.古い戦略のための新しい言葉
5.戦略の再発見

そもそも戦略は古代ギリシアの語彙にまでさかのぼることができる言葉で、当初は統帥、将軍を意味していました(Ibid: 34-35)。
しかし、古代から中世にかけて将軍の仕事は戦場に限定されていましたので、現在のように戦域に広く部隊を展開して運用する現代の戦略のイメージからかけ離れていました(Ibid: 35)。

現在我々が一般に知っている戦略という概念を確立したのは18世紀のフランス陸軍の中佐マイゼロア(Paul Gideon Joly de Maizeroy)です。

彼は戦略という概念に新しい意味を与え、「計画を立案するために、戦略は時間、配備、手段、異なる利害の関係を考察し、すべての要因を考慮に入れる」と論じました(Ibid: 35)

ナポレオン戦争で戦略と戦術の区別はより一層明確に認識されるようになります。
例えば、ジョミニの研究では戦略を「図上で戦争を遂行する技術」と定義しますが、これは戦術が戦闘で部隊を展開する技術であるという理解を踏まえたもので、戦術の上位に立って全体の計画立案を行うことが戦略と見なされていたのです。
そして、第一次世界大戦までこうした理解がヨーロッパで受け継がれることになりました(Ibid: 36)。

しかし、第一次世界大戦において戦略の意味には重大な変化が見られました。

著者はフランス、ドイツでは20世紀初頭に戦略と政策の区別が取り払われ、戦争が勃発してから将軍には作戦指導について全面的な自由が与えられなければならない、という説が議論されていたことを指摘します(Ibid: 36-37)。

一方で、イギリスでは戦略の概念に別の変化が見られました。
海洋戦略の研究で知られるコーベット(Julian Corbett)が戦略を大戦略(Grand Strategy)と小戦略(Minor Strategy)に区別したのです(Ibid: 38)。
コーベットは大戦略を政策と関連付けた上で、小戦略はジョミニが考えた戦略の考えを受け入れたのです。

ここでマイゼロアが提唱し、ジョミニが定義した戦略の概念は小戦略として区分され、大戦略というより上位の戦略概念が設定され、その大戦略もさらに上位の政策に従属することが明確化されました。

さらにイギリスではフラー(J. F. C. Fuller)が大戦略の意味に関する分析を発展させており、政策の一部として直接的に構成される大戦略の特徴として、戦時と平時のいずれにも適用されることや、物心両面で国力全体を活用することなどが述べられます(Ibid: 39-40)。

このようなイギリスにおける戦略学の研究成果を踏まえたことによって、リデル・ハートは大戦略の概念を、国家政策によって定義された目標、戦争の政治的目標を達成するために国家の資源のすべてを調整し、指向することとして定義することができました(Ibid: 40)。

フラーやリデル・ハートの研究で、第二次世界大戦以降には戦略を政策との関係から理解することが主流になると、次に政策と戦略の一体化という理解が浸透するようになりました。
著者はこのような一体化が1945年以降の英米における戦略の研究で重大な問題を引き起こしたと見なしています(Ibid: 41)。

冷戦期に入ると戦略という用語は核抑止の研究で使用されるようになり、対外政策との区別が希薄になったことが指摘されています(Ibid: 43)。
例えば、ボーフル(Andre Beaufre)の研究では戦略の種類として、軍事戦略だけでなく、経済戦略や外交戦略も含ませました(Ibid)。
ボーフルに言わせれば、ナポレオン戦争の時代に見られた戦略はすでに過去のものでした(Ibid)。

しかし、著者はボーフルのような見方を「戦略は歴史家のためだけの問題ではない」と批判し、戦略という概念に検討を加える必要を主張しています(Ibid: 48)。
戦略はあくまでも国家が武力紛争を有利に遂行して政治的目的を達成するための構想であり、「それは政策ではなく、政治ではなく、外交でもない」というのが著者が最も強調する主張です(Ibid)。

要約すると、戦略はもともとマイゼロアの議論からはじまって戦略と戦術を区別するところから発生しましたが、次第に戦略の意味が拡大して政策との関連が強調されるようになります。
しかし、政策との一体性が強調されすぎた結果として、戦略と政策を概念として区別することができなくなりつつあるというのが近年の状況ということになります。

乱雑に使われる戦略の意味を問い直すことは、歴史を通じて積み重ねられてきた戦略学の体系のためにも重要なことです。
乱用されがちな現代の戦略概念に有意義な批判を加えた優れた論文であると思います。

KT

2014年12月28日日曜日

論文紹介 軍事技術それ自体は解決策ではない


あらゆる軍事技術はまず戦場でその効果を発揮しますが、必ずそれは戦略的な影響をももたらします。
したがって、軍事技術を理解するためには、戦術と戦略を深く理解することが必要となります。

今回は1970年代に登場したミサイルの技術が西側陣営の防衛力を高めるのではなく、かえって危険にしている側面があると指摘した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Kennedy, R. 1978. Precision ATGM's and NATO Defense, Carlisle: Strategic Studies Institute U.S. Army War College.

1970年代、精密誘導の技術が向上すると、西側では対戦車ミサイルを活用することで歩兵でも簡単に戦車を撃破することができるという楽観的な見方がありました。

それ以前の陸上戦闘では、一般に機甲師団が高い攻撃能力を持つという前提から、陸軍の中核的存在として位置づけられており、実際にソ連軍は西側よりも多くの機甲戦力を保持していました。

しかし、対戦車ミサイルがNATOの部隊に配備されたことによって西側の防御能力はWPの攻撃能力に優越する可能性があると西側の専門家の間で考えられていたのです。

しかし、この研究で著者が指摘しているのは、機甲師団の戦闘効率が対戦車ミサイルにより低下すると、ソ連の軍事戦略における核戦力への依存度がより増大するという点でした。
「対戦車誘導弾技術が陸上戦術に革命をもたらし、戦車による攻撃を潜在的に放棄することが議論されるようになった今日、ソ連としては対戦車防御を突破する手段として初期から考えていた核兵器に依存する戦略に復帰することに強い誘惑を感じただろう」
これは多くの専門家にとって意外な指摘でした。

専門家たちは問題をWPの中核である機甲師団の攻撃を対戦車ミサイルによって阻止することだけに限定していました。
そのため、ソ連の軍事戦略の全体像が見過ごされ、核戦力によって機甲戦力を補完する可能性を十分に考慮に入れていませんでした。

著者は、ソ連が核戦力を重視する軍事戦略に回帰した場合に予想されるシナリオを次のように考察しています。
「ソ連の専門家が書いているように、核攻撃を予想するとき防御者はその部隊を分散しておかなければならないし、防御者に対してきわめて精密な命中精度の核攻撃を実施すれば、攻撃者の歩兵は装甲兵員輸送車から下車することなしに早い速度で進撃作戦を続行することができる」
「しかし、この攻撃者も防御者から核による反撃を予想しなければならないので、戦場にある攻防両者のチェス盤のように格子模様に区分した広い地域に戦車部隊を分散して作戦しなければならない。このような作戦は事実上『核の敷居』を低くする。精密誘導武器は核の敷居を高くすると主張する人が多いが、ソ連の核の奇襲は核の敷居を低くする潜在力を持っており、歓迎されるべきことではない」
少し長い引用ですが、ここで議論されているのは精密誘導技術で対戦車戦闘を有利に戦うことができたとしても、結局は西側の防御能力を向上させることはできないという見方です。

第一に、対戦車戦闘だけで考えれば確かに精密誘導技術の導入で防御者である西側に有利になるでしょう。
第二に、精密誘導の技術が拡散すると核攻撃の精度も同時に向上するため、核攻撃の目標とならないように防御者、攻撃者の両方が広い地域に部隊を分散させる必要を生じさせます。
第三に、防御者の西側陣営が広い地域に部隊を分散させるほど、攻撃者である東側は前線を突破することがより容易となります。

したがって、精密誘導技術によってNATOの防御能力を改善することができるという意見には問題があるだけでなく、結局のところWPの攻撃を容易にする側面もあるということになります。

もしソ連が核戦力を重視しない場合でもNATOの対戦車戦力の強化に対して第二の対抗策が考えられるということも指摘しています。その対抗策とは、砲兵火力の増強です。
「ソ連の対戦車誘導ミサイル論争で重要な位置を占める第二の選択は野砲の役割である。対戦車誘導ミサイルの射手は防御物がなく、射手のいないミサイルは発射できない。しかし、ミサイルは発射後目標に命中するまで射手が目標の照準を続けなければならない。これらはこの種のミサイルを圧倒的な野砲の火力の前で極めて脆弱なものにしている。ソ連の多くの専門家は核兵器の助けを借りなくても野砲の火力によって敵の対戦車ミサイルを十分に撃破できると述べている」
現在の対戦車ミサイルでは自動誘導も導入されていますが、この研究が発表された当時の技術では撃ち放しができませんでした。
そのため、防衛線に対戦車ミサイルが配備されたとしても、その射程は限られていました。

ソ連軍としては、戦車部隊を進める前の段階で砲兵の支援射撃で対戦車ミサイルが配備された陣地を無力化しておけば、突破することは可能であると考えられていたのです。
したがって、やはり対戦車ミサイルによって西側が東側の攻撃を抑止することができるとは認められないという結論になります。

今回の結論としては、軍事技術それ自体が戦略の問題を解決するわけではないことが今回の研究で示唆されています。
新たな軍事技術が導入されたとしても、相手はそれに対応するためさまざまな戦術的、戦略的な選択肢を編み出すことができることを考慮しなければなりません。

だからこそ、軍事技術を軍事教義に結び付ける戦術、戦略の研究こそが最も重要だと言えるのではないでしょうか。

KT

2014年12月22日月曜日

論文紹介 フランス史における動員能力の変遷

戦争の歴史を振り返ると、国家は絶えず多くの軍事要員を動員する能力を拡大させてきたことが分かります。
最古の戦争の記録によれば、古代エジプト王朝が動員可能だった軍隊はおよそ2万名の規模と記録されていますが、第二次世界大戦の記録ではソ連軍は600万名以上の部隊を動員していました。これほどの動員能力の向上はどのように発達してきたのでしょうか。

今回はフランスの事例を取り上げて、その陸軍の規模がどのように変遷してきたのかをまとめた研究論文を紹介したいと思います。

論文情報
Lynn, John A. 1990. ''The Pattern of Army Growth, 1445-1945.'' in Lynn, J. A., ed. Tools of War, Urbana: University of Illinois Press, pp. 100-127.

この論文の趣旨は1445年から1945年までの500年に及ぶフランス陸軍の規模をがどのように発展したのかを解明することです。著者はフランス軍の規模の変化を調査し、そこから国家体制が発展した推移、近代化の過程を検討しています。
1445年から1945年までのフランス陸軍の規模の推移。
y軸が1000名単位の仏軍の兵員(総人口に関しては100万単位)、x軸は年を表す。
実線は平時の規模、点線は戦時の規模、半実線はフランスの総人口を著す。
(Lynn, 1990: 7)
著者は研究対象の500年間を四分割していますが、この時期区分によると、第一期(1450年以降)における平時の陸軍の規模は10,000名から25,000名に過ぎません。
この時期のフランスはオーストリアと争っていた時期に該当します。一連の戦争で国力が衰退した影響から1589年に王朝が交代することになるのですが、その影響がグラフでも確認でき、戦力低下が一時的に見られます。

1678年以降の第二期に入ると、軍隊の規模が150,000名の水準にまで増員されています。
この時期にフランスを統治していたのはルイ十四世であり、彼は数多くの征服を行っていますが、これを財政、行政の側面から支援したのは大蔵大臣のジャン=バティスト・コルベールでした。
彼は税制を改革し、産業を振興し、さらに関税を重視し、フランスの植民地戦略を指導する役割も果たしており、フランスの税収を3倍にも伸ばす画期的な功績を残しています。
貴族を政府の監視下に置くために、かの有名なヴェルサイユ宮殿を建設したのも、ちょうどこの軍拡の時期と対応しています。
貴族の動向を監視し、彼らの状況を細かに掌握することだけでなく、その中で軍事的能力を持つ貴族を積極的に取り立てて、フランス軍の強化を推進しました。

第三期に入るとさらに平時の陸軍の兵員は352,000名から412,000名に急激に増員されます。
この時期はちょうどナポレオン戦争の時代に該当しており、フランスが平時から編成する部隊の数を増大させていることが分かります。
この時期に国家体制の改革として実施された一つが一般徴兵制度の導入であり、このことによって戦時に動員されるフランス軍の規模が400,000万名程度から1,000,000万名の水準へと爆発的に増えていることがグラフから読み取れます。
これはヨーロッパ各国ではまだ見られなかった制度であり、歴史的にも重要な転換点となる兵役制度の改革でした。

そして最後の第四期に入ると最大650,000名の軍事力をフランスが組織したことが示されています。
この時期のフランスは国民国家を基礎づける軍事行政上の仕組みを全て整えていました。
すでにフランス経済は工業化されており、義務教育によって識字率も向上し、近代社会が成立していた時代です。
一般徴兵制度が根付き、予備役の制度も定着したことから、人的損害を速やかに補填することが可能となっていました。
特に第一次世界大戦でフランスが動員した部隊の規模はおよそ4,000,000名であり、増加する速度が極めて早くなっていることが見て取れます。

本論文の結論において指摘されていることは、国家が動員可能な部隊の規模は常にその国家の行政的能力の向上と関係しながら直線的というよりも指数的に増大してきたことです。
人口の推移を考慮しても、フランス軍の動員能力は人口の推移と対応して発展してきたわけではありません。19世紀以降の動員能力の拡大は人口の推移をはるかに超える速度で増加しています。
フランスが大国として台頭した要因はその軍事力ですが、軍事力も純粋な戦闘効率だけで判断するのではなく、その背後にある国家の行政的能力、つまり動員力からも理解することが重要であると分かります。

KT

2014年12月17日水曜日

論文紹介 作戦指導における機動戦と消耗戦の相違


一般に安全保障における活動で最も包括的な分析レベルは戦略であり、最も限定的なのは戦術であると考えられています。

戦術と戦略を別の次元として区別することは依然として重要なのですが、相互の密接な関連が見落とされる危険があります。

今回は安全保障学における戦略と戦術の領域を総合するために重要な、作戦という概念を考察し、それを消耗戦と機動戦という類型で分析したエドワード・ルトワックの論文を紹介したいと思います。

論文情報
Luttwak, E. N. 1980/1981. "The Operational Level of War," International Security, 5(3): 61-79.

ルトワックがこの論文で提起した問題というのは、安全保障学では戦略という分析レベルが注目されているものの、作戦という分析レベルの重要性が見過ごされているのではないかという点でした。

ルトワックの見方では、戦略レベルにおける戦争と戦術レベルにおける戦闘という二つの研究対象を関連付ける上で、中間の分析レベルである作戦が重要であると考えられました(Luttwak 1980/1981: 63)。

しかし、この作戦についての研究を発展させるための専門用語が整理されていないという問題があり、そのことが研究を困難にしていたとルトワックは判断しています。

この問題への対策として、作戦を分析する方法として消耗戦(Attrition Warfare)と機動戦(Maneuver Warfare)に区別することを提案しています。

これら類型について論文では次のように説明されています。
「一般的に言えば、消耗は戦力が戦力に対して適用されることを必要としている。勢力を使用する上で効率を確実にするために目標が集中していることが求められるため、敵が攻撃を受ける時間と場所において敵もまた強力でなければならない。それとは反対に、相対的な機動の出発点は厳密に敵の戦力を回避することであり、しかる後に(物理的または心理的に)敵が弱点とする一側面に対して選択的な戦力を使用することである」(Luttwak 1980/1981: 64)
したがって、消耗戦という作戦の形態では勢力の優劣が戦闘の勝敗に直結する点が特徴となるのですが、機動戦においては戦闘の勝敗を勢力の相対的な比較だけで考察することができません。

もちろん、これらは概念の上での整理であって、現実の戦争は消耗戦と機動戦を組み合わせて行われていることをルトワックは認めていますが、その作戦の全般的な方針としてどちらの構想を重視するかにより戦略の形態に重大な変化が生じると指摘されています(Luttwak 1980/1981: 65-66)。

機動戦の事例として挙げられるのが、第二次世界大戦におけるドイツ軍の電撃戦です。

当時のドイツ軍の電撃戦にもさまざまな側面があったのですが、ここでは要点のみを述べるとすれば、それは縦深が十分ではない広域の防衛線に対して、航空支援と機甲部隊を特定の地点に集中的に使用する作戦であり、戦術的には突破、浸透、戦果拡張の三段階から構成されています(Luttwak 1980/1981: 67-68)。

この事例から機動戦の原則としては、(1)可能な限り敵の主力を回避すること、(2)あらゆる段階で欺瞞が決定的に重要であること、(3)無形の戦力が重要であること、という三点が挙げられています(Luttwak 1980/1981: 70-72)。

消耗戦の事例として挙げられているのはノルマンディー上陸作戦であり、ドイツ軍の主力を別の方面に誘致するための欺瞞を実施しているのですが、基本的には敵の戦闘能力で処理することが可能な範囲を超える規模の部隊を大量に投入する点が特徴です(Luttwak 1980/1981: 77-78)。

消耗戦は機動戦よりも敵の主力を捕捉して打撃することを主眼に置いているため、有形の戦力、特に部隊の相対的な規模が重要な意味を持っています。

最後に、この論文の成果として重要な点は、安全保障学における戦略の研究と戦術の研究の相互関連を認識した上で、それを分析するためのモデルを定式化して見せたことだと思われます。

ルトワックは戦略理論として垂直的・水平的論理の重要性を主張したことでも知られていますが、この論文においても戦術・作戦・戦略という階層に一貫した垂直的論理が働いていることを示唆しています。

それ自体が優れた戦略であったとしても、それを実行するためには作戦として具体化される必要があり、そこで消耗戦と機動戦という選択が重要な意味を持つことになるのです。

KT

2014年12月13日土曜日

文献紹介 軍医たちの戦争


戦争を物語る文学や映画では、銃弾を受け、手足を失い、血を流す兵士たちの姿が描かれ、私たちに戦争の悲惨さを印象づけますが、そこで話を終わらせてはいけません。

負傷した兵士たちはまだ生きており、彼らを回復させることができれば、兵士たちに与えた教育や訓練を無駄にせず、部隊に復帰させることも可能となります。

したがって、軍医に与えられた任務は単に人道的な意義を持つだけではなく、兵站の観点からも重要であり、その役割は国家安全保障に大きく寄与するものです。

今回は、こうした観点から南北戦争の事例における米陸軍衛生部の活動を記述した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Duncan, L. C. 1987. The Medical Department of the United States Army in the Civil War, Gaithersburg: Olde Soldier Books.

目次
1.はじめに
2.ブル・ランの戦い
3.ヴァージニア戦役
4.救急部隊と野戦病院の発達
5.米国史上、最も血が流れた日、アンティータムの戦い
6.フレデリックスバーグの戦い
7.南部の絶頂、ゲティスバーグの戦い
8.西部戦線の最大の戦い、チカマウガの戦い
9.荒野の戦い
10.シャーマンが南進する時

この著作で記されている南北戦争は1861年から1865年にかけてアメリカ合衆国とアメリカ連合国の間で戦われた戦争であり、開戦当初に合衆国は大陸北部、連合国は大陸南部に多くの支配地域を有していたことから、日本では南北戦争という名称となっています。

米国史において南北戦争の特徴はその動員された兵士の規模と人的損害が大きかったことです。
南北両軍を合計すると240万名以上の兵士が動員されました。
戦場で発揮される火力も向上していたために、最終的には50万名以上の死者を出しています。

この研究で描かれているのは、この戦争で負傷者の治療に当たった米陸軍衛生部(以下、衛生部)の歴史であり、戦闘の推移に従って衛生部の組織や体制が整備されていった経過が述べられています。

南北戦争が勃発した当時、戦場で負傷者にどのような処置を与え、後送し、治療するかという計画は一切なく、緊急搬送という面で大きな課題を抱えていました(Duncan, 1987: 1)。

すでに1859年に米陸軍の軍医たちは救急搬送の重要性を認識しており、専門とする部隊の重要性について政策提言も出していたのですが、上層部で受け入れられていなかったためです(Ibid)。

当時の北軍の規模はおよそ35,000名であり、5個の師団に編成されていました。
この時の軍医長(Medical Director)は軍医のキング(W.S. King)という少佐でした。キング少佐は絶えず階級の低さから業務上の権限にも制約が多かったことが指摘されています(Duncan, 1987: 2)。

キングは戦場で発生する負傷者の緊急搬送のために各連隊で相応の準備が必要だと考え、北軍の現有勢力から考えれば、各連隊に600名から800名の衛生要員、20両の馬車を配備することが必要だと具申していました。
しかし、この具申は形式的な承認が得られただけで実際の人員や装備は別の部門へ優先的に配分されたために、具体化することはありませんでした(Duncan, 1987: 2)。

そして、キングが危惧した通りブル・ランの戦いで負傷者の救急搬送が深刻な問題として浮上します。
南北戦争で最初の一大会戦となったブル・ランの戦いで予想を超える負傷者が発生し、救急搬送のための要員や装備が著しく不足したためです。

当時の戦場での医療体制の概要としては、連隊ごとに1名から数名の軍医が配属されており、彼らの指揮の下で野戦病院が設置されていました(Ibid)。
負傷者は自力でそこまで移動するか、他の隊員の助力を得て搬送されるという仕組みでした。

当時、戦場に展開していた28個連隊の野戦病院で処置することが可能な負傷者の規模は700名程度でしたが、実際にブル・ランの戦いが始まると負傷者は800名を超えて増加し、たちまち処置が追い付かなくなります(Ibid)。
しかも、戦場では自力で移動することができない多数の重傷の負傷者が放置された状況にありました。

北軍の記録によるとブル・ランの戦いで戦死者483名、負傷者1011名、合計1491名の損害が発生しました(Duncan, 1987: 17)。
この戦闘から間もなくキングは現地に入り、負傷者たちの後送のために必要な装備として馬車の調達を手配しています。
しかし、上層部は命令を執行するために必要な政府の承認を得ることができませんでした(Ibid)。

その最大の要因は、戦場での緊急搬送の必要が国民からほとんど認知されておらず、いったい何のためにそれほど大量の馬車が必要かが議会で理解されなかったことが挙げられます(Ibid)。
政治家は現地でどれだけの負傷者が出ているかを知らず、また軍部も説得に失敗してしまいました。

キング少佐や他の軍医たちにとっては耐え難いことではりましたが、負傷者を搬送するための馬車は現地で負傷者を一人も乗せることなく基地に戻らざるをえなかったのです。

キング少佐は1862年にその任を離れることになり、米陸軍衛生部を去ることになりました。
しかし、その後も医療体制の問題は繰り返し表面化し、特に緊急搬送の問題点については現場での試行錯誤が繰り返されながら改善が重ねられていきます。

長くなりすぎましたので、ここではこれ以上の詳細を述べることはしませんが、本書は近代戦闘の様相に対処するため軍医たちが陸軍の体制を変革させた歴史を知ることができる名著であり、兵站学の観点から見て重要な価値を持つものと言えます。

戦争で戦っているのは兵士だけでなく、後方の軍医たちもまた戦っていたことを、この米陸軍衛生部の歴史はわれわれに伝えているのではないでしょうか。

KT

2014年12月12日金曜日

二正面作戦は本当に不利なのか


戦略学の問題の特徴は個々の戦闘での部隊の行動よりもむしろ、政治的目的を達成するために部隊の作戦行動の全般を指導する点にあります。

戦略には集中の原則のような、いくつかの原則があると考えられていますが、その一つとして「二正面作戦は不利である」という主張がなされる場合があります。

しかし、この主張は厳密には正しいものではありません。今回は二正面作戦というものが戦略理論としてどのように理解されているかを紹介したいと思います。

戦略の観点から図上で彼我の部隊の配置を判断する場合に重要なのは基地と部隊が配備される方向、すなわち戦略正面であることは以前の記事で触れましたが、もう一つの重要なポイントとして内線(Interior Lines)と外線(Exterior Lines)を区別することも挙げられます。

左が内線作戦、右が外線作戦の概念図。
内線作戦では二正面で敵の侵攻を阻止しながら、一正面の敵を打撃している。
一方で外線作戦では二正面から敵を打撃している。
(Kim 2012: 156)より引用。
上図は内線・外線を概念的に区別した図であり、部隊を展開する場合に彼我の相対的な位置関係では二種類のパターンがあることを示しています。

内線作戦は我の部隊が敵の部隊に対して中心的な位置を占める位置関係で実施する作戦であり、次のような定義を与えることができます。

「(内線作戦とは)数方向の外方から求心的に向かって作戦を行う敵に対し、わが後方連絡線を内方に保持して行う作戦をいい、全体の結合をもってこの目標に対するものである」(内田1999: 168)

内線作戦では味方の戦力を集中させることが容易であるのに対して、敵が複数の方向に分散しています
反対に外線とは我の部隊が分散しており、敵の部隊は一か所に集中する関係にあります。

「(外線作戦とは)敵に対し後方連絡線を外方に保持して数方向から求心的に行う作戦をいう」(Ibid)

一般に二正面作戦と呼ばれている作戦は戦略学では外線作戦と呼ばれるものであると言えます。

ここで内線・外線の相対関係に議論を進めると、両者のどちらにも有利な側面と不利な側面があり、どちらが決定的に不利ということは言えないと考えられています。

外線作戦の最大の不利は「戦闘力の分離を生じ的に乗ぜられる危険性」が指摘されていますが、同時に有利として「位置正面の作戦の成果を直ちに他の正面に及ぼすことができ」と述べられています(Ibid)。

また内線作戦の不利は「後方連絡線に対し脅威を受けやすい」という特性が指摘されていますが、反面で「敵の兵力分離に乗じてこれを各個に撃破できる」と説明されています(Ibid)。
このことは、複数の正面で戦うこと自体が直ちに戦略上の不利であると言い切ることができないということを意味しています。

結論として、二正面作戦が常に不利であるという主張は戦略上の原則ではなく、内線作戦と外線作戦を指導する上で異なる注意が必要とされるということを誤解したものであると考えられます。

内線作戦と外線作戦の歴史的事例については別の機会に触れたいと思いますが、国家が戦略上の内線・外線のどちらの態勢に置かれるかは、その国家が置かれている地理的環境と国際関係によって変化する傾向にあります。

ナポレオン戦争におけるフランスや、第一次世界大戦でのドイツ、第二次世界大戦での日本の戦略でも見られたように、外交上で敵対する隣国の数が増加するほど、戦略上の態勢としては外線に制限されやすくなるということです。

だからこそ、戦略では武力だけではなく交渉を展開し、自国の安全保障上にとって有利な戦略正面を選択することが必要となるのです。

KT

参考文献
内田政三「現代の陸上戦力」防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』かや書房、1999年、152頁-175頁
Kim, J. D. 2012. Planning for Action, Campaign Concepts and Tools, Fort Leavenworth, KA: U.S. Army Command and General Staff College.

2014年12月6日土曜日

論文紹介 機動戦略に伴う軍事的リスク


平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」では将来の自衛隊の防衛戦略の基本的指針として「統合機動防衛力」と呼ばれる防衛構想を実現することが示されています。

国民がこの構想の是非を検討する一つの着眼点となるのが、この構想で機動を重視している特徴です。
戦略上の防御には大きく分けて消耗を主眼とする防御、そして機動を主眼とする防御の二種類があるのですが、この防衛戦略は後者に重きを置いた戦略構想を重視することを含意しています。

今回はこのような防衛戦略にどのような危険が含まれているかを冷戦期におけるNATOの戦略についての研究を紹介した上で考察してみたいと思います。

文献情報
Mearsheimer, J. 1981/1982. "Maneuver, Mobile Defense, and the NATO Central Front," International Security, 6(3): 104-122.

1.機動と機動防御
2.理論における機動防御
3.機動防御とNATO
4.ソビエトの脅威
5.機動防御と危機の安定性
6.結論

機動戦略か、消耗戦略か

著者のミアシャイマーがこの論文を執筆した時期はちょうどレーガン政権の軍拡が注目を集めていた時期でした。

当時、中欧地域で西側陣営が東側陣営に対して軍事的に劣勢な状態に置かれていることが問題とされており、レーガン政権でこの勢力不均衡を是正するために軍事力の増強が推進されていました。

しかし、このような取り組みに対しては多くの研究者から批判が加えられていました。
というのも、米ソ間の勢力不均衡はアメリカ軍の過剰に高額すぎる武器体系と、それに依存した前方防衛(Forward Defense)という脆弱な戦略に起因するものであったためだと考えられていたためです(Mearsheimer 1982: 104)。

前方防衛の要点は東西ドイツの国境地帯に沿ってNATOの防衛線を設定した上でWPの攻撃をその防衛線上で阻止し、敵に損害を強要することでそれ以上の侵攻を断念させるという戦略であり、その前提にあるのは機動戦略ではなく消耗戦略の考え方です。

レーガン政権がいくら軍事予算を増額したとしても、前方防衛のような不完全な戦略を採用する限りは米ソ間の勢力不均衡を是正することは不可能であり、機動を志向する戦略へ転換しなければならないというのが従来の批判者の見解でした(Ibid: 104-105)。

NATOの戦力は機動戦略に適さない

この論文における著者の意図は、このような従来の批判者の見解を批判的に検討することでした。
機動戦略に基づいたNATOのヨーロッパ防衛の実現性がどの程度かを見積もることが重大な研究課題として持ち上がったためです。

この論文では第一に、機動戦略には消耗戦略よりも遥かに高度な能力が要求される難度の高い戦略であるため失敗の危険が大きくなるものの、消耗戦略と比べて高い戦闘効率を可能にする軍事戦略であることが確認されています(Ibid: 110-114)。

機動戦略の長所と短所を踏まえた上で、著者は中欧地域に配備されたNATOの部隊は機動戦略に基づく防衛に不向きである理由を次のように整理しています。

(1)NATOの部隊は連合部隊であり、使用する言語や武器の体系、訓練の水準がそれぞれ異なるために、機動戦略に求められる高い精度で実施されるべき部隊行動を調整することが困難。
(2)西ドイツの狭隘性が機動的な部隊の運用に不向きであり、特にドイツ防衛の要であるフランクフルトが国境からわずか100キロメートルの地点に位置しており極めて脆弱。
(3)西ドイツの地形的特質として機甲師団の運用に適当な平野部が少ない(Ibid: 114-116)。

予想される東側陣営の攻撃軸

著者はWPが攻勢作戦を実施するとすれば、ハノーヴァーを攻撃の重点とするシナリオ、ゴッティンゲンを重点とするシナリオ、フランクフルトを重点とするシナリオが考えられると論じます。

冷戦期のNATOの防衛線に対するWPの攻撃目標を図示した地図。
WPの攻撃目標の候補は西独のハノーヴァー、ゴッティンゲン、フランクフルトの三都市。
(Mearsheimer 1982: 117)より引用
著者の見解によれば、NATOの防衛を考える場合に機動戦略に基づいて防衛計画を立案しても、それを実行する際には多大な困難を伴うことが予想されます。
「機動防衛は消耗戦に対する代替案を提供することに失敗しているだけではない。それは潜在的に不安定な状況を出現させもするのである。もしNATOの部隊が機動防衛を実行することができるならば、そのような部隊は間違いなく重大な攻勢的能力を保持することになる。すでに述べたように、機動防衛は実際には非常に攻勢的思考を持つ防衛戦略である」(Ibid: 120)
ここで指摘されているのは、安全保障のジレンマの問題であり、本来であれば防衛を主眼とするはずのNATOの戦略が攻勢的になれば、防勢的な戦略を選択するよりもWPが侵攻する危険を高める恐れがあります。

戦略機動の難しさを軽視すべきではない

この論文が結論で述べていることは、戦略的機動を基礎とする防衛計画が持つ危険性です。
機動戦略は消耗戦略よりも実施が困難であり、高い水準の練度や機動を可能にする装備が必要となるだけでなく、NATOが戦略正面とする地域や、その基本方針には適しているとは言えません。

著者はNATOの現状で機動防衛を採用することは回避するべきであり、従来の前方防衛戦略を放棄するより堅実に実施することがより重要であると主張しています(Ibid 121-122)。

冷戦期における自衛隊の防衛計画が依拠していた構想は、理論的に見れば前方防衛に近いものだったと言えます。
しかし、その戦略構想を捨てて統合機動防衛力へ移行するのであれば、従来と大きく異なった教義、編成、装備、計画が必要となってきます。

私は決して一概に自衛隊が機動戦略に移行することの有効性を否定する考えを持っているわけではありません。
しかし、機動戦略に伴う軍事的な危険性、技術的な困難性が国民に理解されておらず、自衛隊の内部で議論が自己完結しているのではないかという懸念を抱いています。

戦略の選択は安全保障の要であり、国家の存続を分ける重大な決定です。
日本の防衛をどのような戦略で実現するかという論点はより幅広い人々に議論される価値があるはずです。

KT

2014年11月30日日曜日

文献紹介 外交は政府だけの仕事ではない


自国にとって有利な条件で紛争を終結させ、その平和を可能な限り長く保つことは外交の基本的な課題です。

しかし、外交を展開する仕方には様々な種類があり、ある争点について可能な限り有利な条件で交渉をまとめる技術というのは外交史とともに発展を遂げてきました。
今回は、現代発展を遂げた外交方式として重要なマルチトラック外交に関する研究を紹介したいと思います。

文献紹介
Diamond, L., and McDonald, J. 1996. Multi-Track Diplomacy: A System Approach to Peace, West Hartford: Kumarian Press.

1996年にダイアモンドとマクドナルドが発表した論文では公式な政府部門だけでなく、非政府部門をも含めた重層的な交渉過程として外交を捉え直すことができることが主張されました。

ダイアモンドは1985年から外交を政府部門だけに限定して理解することの限界を指摘しており、より体系的に外交を実施するためにはマルチトラック外交(Multi-Track Diplomacy)という考え方を導入することが重要だと論じていました。

マルチトラック外交の特徴とは、政府以外だけでなく、非政府組織・専門家集団、実業界、一般市民、研究・教育者、社会運動家、宗教家、資金援助団体、マスメディア、以上の九つのトラックに存在する行為主体に対して影響を及ぼすことです。

これらはいずれも社会において影響力を有する行為主体です。個別の行為主体の動向が直ちに国際関係に作用するわけではありませんが、これらに体系的に働きかけることによって政府部門に影響を及ぼすことが期待できます。

国際関係論では国家が相手国の意思決定に内部から影響力を及ぼす戦略のことを浸透(Penetration)と言いますが、マルチトラック外交はまさにそのような戦略を基礎づける外交の方式と言えるでしょう。

この論文ではダイヤモンドは紛争解決を念頭に置いており、マルチトラック外交によって効果的に相反する利害を調整することが可能になることを期待していますが、問題点を指摘することもできます。

一般に外交では情報や協力する現地の協力者に資金を提供することが不可欠ですが、マルチトラック外交を展開する場合には資金の配分に注意する必要があります。

というのも、そのトラックで誰が有力者なのかを見極めることに失敗すれば、どれだけの見返りを与えても外交上の目標を達成する上で有効な手段とはなりえないためです。

これは簡単な仕事ではなく、何の価値もない情報をもたし、重要性の低い意思決定にしか参加できない人物に大きな見返りを与えることになる危険があります。

政府部門の人物と接触する場合とは異なり、非政府部門ではその人物が実質的な権力関係の中でどの程度の位置にあるか評価する技術が求められます。
そのためには各トラックごとの社会的な背景や特徴を理解しておくことが必要です。

結論をまとめると、普段は外交と無縁の生活を送る一般国民であっても、マルチトラック外交と完全に無縁ということはありえません。
なぜなら、マルチトラック外交は対象国の政府部門との交渉を有利な条件で進めるために、民間部門の重要な人物や組織と積極的に連絡を保つ外交の方法であるためです。

したがって、我々は外交についての伝統的な理解を改めるだけでなく、国内社会であってもマルチトラック外交が展開されている可能性を知っておくことが必要なのではないでしょうか。

KT

2014年11月29日土曜日

戦略学における地域分析の基礎


軍事学の研究に地図を判読する能力が絶対に欠かせないことは、繰り返し述べてきたことですが、その能力は戦略学の研究でも同じように重要なことです。
しかし、地域の戦略的な特質を分析する方法を述べた文献はそれほど多くは見られません。

今回は戦略学の観点から地域分析の着眼を紹介したいと思います。

戦略とは一般に政治的目的を達成するために軍事的手段を適用する方法を意味していますが、それは位置、面積、形状、地形、植生、水系、気象などの地理的要因から絶えず影響を受けることになります。

戦略的な地域分析で最も重要なのは敵国の国土を概観した上で、政治的、軍事的、もしくは文化的価値が集中する中核地域(Core Area)を適切に評価することにあります(Colins 1998: 341)。

中核地域は戦術学で言うところの緊要地形(Critical Terrain)に対応する用語であり、一般にその国家の政治、経済システムが存続する上で欠かすことができない首都圏や他の主要都市から構成されています。中核地域はその国家に一つだけというわけではありません。

中核地域を判断することができれば、この中核地域を防衛するために利用することが可能な基地(Base)を判断することができます。
軍隊はそれ自体で戦闘能力を持つのではなく、基地と連絡することではじめて作戦行動が可能となります。
したがって、基地の相対的な位置関係というものは、自然とその国家に対する脅威の方向に集中することになります。

こうした基地の配置を分析すると、その国家がどの方向を警戒しているかを判断することが可能となります。
この方向のことを戦略学では戦略正面または単に正面と呼びます。戦略正面はその国家にとって軍事的能力を発揮することが最も容易であり、また防衛計画において特に注意されている地域です。

戦略正面については少しイメージしにくいと思いますので、具体的事例として次のような地図を用いた分析を行ってみましょう。
ヨーロッパ大陸の中心部に位置するチロル山脈(Tyrol)の地図。
東西に走るチロル山脈の西端にフランスの基地(French Bases)がある。
それと平行するように東端にはオーストリアの基地(Austrarian Bases)が見られる。
(Hamley 1878: 227)より引用。
この地図が表しているのは敵対関係にあるフランスとオーストリアの戦略正面の中央にチロル山脈と中立国であるスイスが位置しているという状況です。

チロル山脈の東側にはオーストリアの基地群があり、西側にはフランスの基地群が位置しており両者は同一の方向に戦略正面を指向しています。
地図上でフランス、オーストリアの戦略正面の範囲をそれぞれ問われた場合には、「フランスの戦略正面はオーストリアに対して東部に指向しており、オーストリアの戦略正面はフランスに対して西部に指向する」という答えになります。

さらにこの状況で指摘するべきポイントとしては、フランスとオーストリアの双方の戦略正面がチロル山脈とスイスの存在によって南北に分断されていることが重要な意味を持っています。

チロル山脈が東西に走っているため、フランスとオーストリアの戦域は南北に分割されており、作戦を指導する上でも別々の作戦線(つまり前線の部隊と後方の基地を結ぶ交通路)が必要になってきます。

さらに、イタリア方面とドイツ方面の移動がチロル山脈によって妨げられているため、一度どちらかの方面で前線に部隊を投入すると、それを別の方面に再配置するためには時間が必要となると考えられます。

戦略正面を意識することは戦略学を研究する上で最初の一歩となります。
というのも、戦略の基本原則とは勢力の集中であるため、この原則を順守するためには全ての方向に対して軍事的資源を分散させることができないためです。

だからこそ、国家の中核地域にとって最も重要な戦略正面を適切に判断することが戦略家にとって重要な責任となってくるのです。

KT

参考文献
Collins, J. M. 1998. Military Geography for Professional and the Public, Washington, DC: National Defense University Press.
Hamley, E. B. 1878. The Operations of War Explained and Illustrated, Oxford: Oxford University Press.

2014年11月24日月曜日

演習問題 河川を渡河して実施する攻撃


今回は、渡河攻撃で考慮するべき戦術上の原則の重要性が示された事例から問題を紹介したいと思います。以前の演習問題で想定がややこしいとのご指摘を貰い、今回はややこしい単純な問題ではないものを選びました。

1918年10月14日、アメリカ軍の第77師団はAire川の北岸の近くにあった集落St. Juvinを攻略奪取する任務を与えられていました。つまり、渡河攻撃が必要ということになります。
情報によれば、集落を守備するためにドイツ軍の部隊が陣地を構築して渡河攻撃を待ち構えていることが予期されました。

作戦地区の地形全般を確認するとAire川にはいくつかの渡河が可能な地点を見出すことができました。そこで次のような作戦方針が比較検討されたと仮定しましょう。

(1)St. Juvinから南方500メートルの地点にある渡河地点から正面攻撃を行うべきである。
理由:側面や背後を攻撃するために部隊の移動に時間を費やすと、敵が防御陣地から出撃してAire川を渡河する恐れがあり、こちらの背後がかえって脅かされる危険がある。

(2)St. Juvinから2000メートルの渡河地点で全ての部隊を対岸に進出させ、そこからSt. Juvinにいる敵の側面を攻撃する方針を採用するべきである。
理由:敵の正面で渡河することができたとしても、そこから部隊を前進させることは困難であり、敵の備えが薄いと考えられる側面を攻撃することが有効である。

第77師団の作戦として採用するべき方針はどちらでしょうか。

=========

この問題は河川を渡河して行う攻撃の原則についての知識だけで正しく解答することができます。
すなわち、戦術の原則として渡河する地点は敵から遠くになるほど安全であるということです。

渡河攻撃の問題は戦術学では古典的な問題であり、例えばフリードリヒ2世はその著作で「敵前で大河を渡河することは、戦争で最も注意を要する作戦である」と述べています。
このことを踏まえて今回の問題の原案を説明したいと思います。

第77師団の作戦地区と隣接して第82師団の作戦地区がある。
第77師団は当初は南方からSt. Juvinを渡河攻撃していた。
その後、Aire川の南方を渡河して第82師団の作戦地区を通過し、St. Juvinを攻撃した。
第一の案では敵を正面から攻撃する理由について説明していますが、その地点で渡河攻撃を行わざるを得ない事情が特別ないにもかかわらず、敵から最寄の地点で渡河攻撃を行っても成果は期待できません。

別の経路を前進している間にドイツ軍が出撃してくればという危険について考えてみましょう。
防御陣地を捨てて敵がこちらに前進してくる動きがあれば、それは事前に準備した防御陣地を放棄することを意味します。さらにドイツ軍はSt. Juvinを失うことになるため退却することもできなくなってしまいます。

第二の案で着意されていることは、敵から遠くの地点で渡河を完了させ、敵の正面で渡河攻撃を行うことで予想される損害を回避し、かつ敵の側面を攻撃するということです。
敵から可能な限り遠くを渡河するという原則から考えて、こちらの案が正しいと言えます。

史実を見てみると、これら二つの案の両方の特徴を見ることができます。
意外に思われるかもしれませんが、当初アメリカ軍は正面から敵前渡河を試みたためです。

この戦闘の前に第77師団の司令部は作戦計画として地図上の点線で示した矢印に沿って攻撃を実施する予定でした。つまり、敵前渡河を回避して側面から攻撃するという戦術です。

しかし、不幸なことに命令下達の不手際が重なって同師団の第306歩兵連隊は指示された接近経路ではなく、南方からAire川を渡河してSt. Juvinを正面攻撃してしまいました(地図上の中央の実線矢印)。

St. Juvinの南方はAire川まで緩やかな傾斜になっており、ドイツ軍はこの傾斜を利用して多数の機関銃座を配置して陣地防御を準備していました。

そのため10月14日午前から始まった戦闘は午後には膠着状態に陥り、当時の第306連隊の連隊長は攻撃の中止を決定しました。

そこで連隊長は独断で連隊の予備として拘置した部隊をSt. Juvinから遠方の地点で渡河させ、東側からSt. Juvinに展開するドイツ軍の側面を攻撃する命令を発します(右側の屈折した実線矢印)。

この攻撃が成功したことによってアメリカ軍は10月14日にSt. Juvinを攻略することに成功しました。

そもそも師団司令部からの作戦命令がなぜ間違って伝達されたのかという史実関係については資料でも詳細には記述されていないのですが、資料では防御陣地に対して正面攻撃を仕掛ける戦闘がしばらく連続していたため、命令が正しく理解されなかったと説明されています。

KT

参考文献
Infantry Journal. 1939. Infantry in Battle, Washington, DC: Government Printing Office.

2014年11月22日土曜日

論文紹介 いかに作戦を命名するのか


読者の皆様には歴史上の作戦の名前で特に印象深く記憶しているものがあるでしょうか。

作戦を命名するという慣習は戦争についての広報という側面が密接に関係しており、一種の心理作戦の様相も備えています。

今回はそうした観点から作戦の命名について歴史的に考察した論文を紹介します。

文献情報
Sieminski, G. C. 1995. "Art of Naming Operations," Parameters, (Autumn): 81-98.

目次
1.世界大戦における作戦
2.認識形成のための略称使用
3.朝鮮戦争での作戦
4.ベトナム戦争での作戦
5.ポスト・ベトナムの自動化
6.ジャスト・コーズ、それとも無意味なメッセージか?
7.砂漠の盾からシー・エンジェル
8.作戦を命名するためのガイドライン

この論文の主要な特徴は作戦の命名というテーマを歴史的に考察することによって、作戦に付与される名称を適切に選択することの重要性を情報戦略の観点から論じていることです。

著者の調査によれば、軍事史において幕僚が作戦を命名し始めたのは第一次世界大戦からのことであり、特に1916年から1918年という戦争末期の2年間以降のことでした。

当初、ドイツ軍は作戦を秘匿するためにこれを実施していました。しかし、作戦に秘匿名(Code Name)を命名しておくと、過去の作戦の事例を参照する上でも便利であることが判明しました。

また、各部隊の戦闘行動を同時に整合させる作戦術がこの時期に成立したことも関連していると著者は指摘しています。

ただし、当時のドイツ軍では作戦の名称は覚えやすいことが優先されており、あまり印象深さやメッセージ性というものを考慮していませんでした。

例えば1918年の西部戦線における春季攻勢で用いられた作戦の名称は、聖ジョージ作戦、ローランド作戦、マルス作戦などがあり、ヨーロッパの知識人にとってはなじみ深い聖書や神話の固有名詞から選択されていましたが、作戦の内容と直接的に関連付けられた名称というわけではありませんでした。

作戦の名称という問題を情報保全とは全く異なる観点から考察した最初の人物として著者が挙げているのはウィンストン・チャーチルです。
文学の才能も備えた政治家チャーチルは、作戦の名称を考案することについて並々ならぬ熱意を示していたことが紹介されています。
「チャーチルは作戦の秘匿名に魅惑されており、主要な作戦の全ての秘匿名を個人的な判断で選択した。彼は何が適切な作戦名であるかということについて明確な考えを持っていた」
著者が事例として挙げているのは、アメリカ軍によるルーマニアの油田地帯に対する空爆を実施する作戦の事例です。
この作戦には当初、アメリカ軍で「石鹸水作戦(Operation Soapsuds)」という秘匿名が付与されていました。

しかし、チャーチルはイギリス軍の幕僚を通じてアメリカ軍の司令部に圧力を加え、「数多くの勇敢なアメリカ人が危険を冒し、または命を落とす作戦に与えられる名称として不適切である」という理由から「潮浪作戦(Operation Tide Wave)」に変更させたという事例があります。

さらにチャーチルほど頻繁ではなかったようですが、第二次世界大戦におけるドイツ軍の作戦の秘匿名の選択でもしばしばヒトラーが介入した事例があるようです。

しかし、ヒトラーの秘匿名はしばしば作戦の内容それ自体を暴露する問題点があったことが分かっています。
その有名な事例が「アシカ作戦(Operation Sea Lion)」という秘匿名であり、著者はその秘匿名からドイツがイギリスへの侵攻作戦を準備していることが察知された経緯について言及しています。

この点に限定すれば、チャーチルの命名の方が優れていたと言えるかもしれません。

第二次世界大戦以後、チャーチルが持ち込んだ慣習がアメリカ軍でも定着しただけでなく、国民に対する広報の手段として重要であると考えられるようになります。

朝鮮戦争でアメリカ軍を指揮したリッジウェイはサンダーボルト作戦(Operation Thunderbolt)、リッパー作戦(Operation Ripper)などの秘匿名を用いて隷下部隊の士気を高揚させるように着意していました。

しかし、こうした作戦の秘匿名はアメリカ本土での新聞や雑誌で見出しを飾るようにもなったため、キラー作戦(Operation Killer)が実施された時には国民の間で作戦に対するイメージが悪化し、問題となってしまいました。

このような国民に対する軍部の広報という問題はベトナム戦争でも見られました。

マッシャー作戦(Operation Masher)では大規模な掃討作戦が実施されたのですが、この作戦はマスメディアでの注目度が非常に高かったために、当時のジョンソン大統領はこの作戦の秘匿名が暴力的な意味合いが強すぎる考えました。

その結果、この作戦については「ホワイト・ウィング作戦(Operation White Wing)」に訂正させています。
これも国民に対するイメージを重視した結果だと言えます。

最後に、著者は現在、アメリカ軍では作戦の命名規則について国防総省規則5200.1-Rで正式に次の四つを定めていることを紹介しています。
1.意味深い名称にせよ。
2.重要な聴衆を特定して狙いを持たせよ。
3.流行に対して慎重となれ。
4.記憶されやすい名称にせよ。

第二次世界大戦以後の軍事作戦にとって広報という問題がどれだけの重要性を持つようになったかということを、多くの作戦名の事例から明らかにしたことがこの論文の成果と言えます。

KT

追記
本記事は読者の皆様のご希望により作成し、誤字についても指摘を頂きました。読者の皆様に心からのお礼を申し上げます。

2014年11月16日日曜日

論文紹介 全体戦争における兵站の問題


今回は兵站学の研究で基本的な文献の一つと位置づけることができる論文を紹介したいと思います。

論文情報
Millett, J. D. 1945. "Logistics and Modern War," Military Affairs, 9(3): 193-207.

論文では、ウェゲティウス、ナポレオン、クラウゼヴィッツの記述から兵站を考察している箇所を示し、「補給の問題は常にあらゆる軍事作戦の推移に影響を及ぼしてきた」ことが述べられています(Millett 1945: 194)。

著者の見解によれば、兵站の歴史において転機となったのは18世紀末のフランス革命でした。
フランス革命を通じて政治体制が共和制に移行すると、一般徴兵制が導入され、従来に見られない規模の兵員を動員することが政治的に可能となったためです(Ibid 197)。

兵站の歴史にとってもう一つ重要だったのは、産業革命でした。
産業革命を通じて武器の製造に必要な工業が発展し、単に労働生産性が向上しただけでなく、戦闘で有用な武器や装備の生産効率が大幅に向上しました(Ibid 197)。

しかし、著者はこうした諸条件の変化がもたらす影響が顕著に現れたのは、第一次世界大戦であったことを述べています。

なぜなら、第一次世界大戦では人的資源、物的資源を戦争の遂行のために動員する努力が体系的な国家兵站として結び付けられた結果、総力戦、全体戦争と呼ばれる新しい戦争の形態を出現させたためです(Ibid 200)。

そして、近代的な兵站の体系が成立したことこそが第二次世界大戦の様相を準備したということを著者は次のように考察しています。
「第二次世界大戦は軍事力の戦いであると同じように、経済力の戦いであった。戦争の原動力は兵士の身体ではなく、国民の労働であったのである」(Ibid 201)
第二次世界大戦において兵站は戦争の推移に対して決定的な役割を果たしていました。
この主張を裏付けるために著者は当時の兵站に関する教訓を判断しています。

第一に述べられているのは工業の即応体制の重要性です。
軍用機、軍用車両、通信装備、弾薬などの供給の担い手となる民間人は数が限られています。
つまり戦争が勃発してから軍需品のための生産体制を強化するためには労働力を新たに配置して訓練する必要があるということです(Ibid 206)。

第二に、総力戦、全体戦争の下では防衛部門の生産活動とその他の民間部門の生産活動の間には本質的な相違は存在しないということです。
つまり、戦略上の必要に応じて民間の生産力を防衛目的のために再編成する民軍転換が可能でなければならないということが教訓として指摘されています(Ibid: 206)。

第三に、補給物資は的確に輸送されなければ役立てることができないということが教訓として重要であると指摘されています。
第二次世界大戦の経験により、後方から前線に物資を輸送する方法の適否が作戦の推移に影響を与えることが述べられています(Ibid 207)。

第四に、前述の教訓と関連して、アメリカの防衛は海外における輸送活動のための施設に依存しているということが考えられています。
この教訓はノルマンディーでの着上陸作戦でイギリスが果たした兵站上の拠点としての役割から認められることを著者は強調しています(Ibid 207)。

第五に、海外での軍事作戦はやはり鉄道、車両、パイプライン、補給処などを組み合わせた兵站支援の手段を欠くことができず、兵站の役割は時間と空間の制約から部隊の運動を可能な限り自由にすることであると考察されています(Ibid 2007)。

これは1945年に発表された論文ですので、十分な第二次世界大戦の史実的な考察に基づいているものではないのですが、兵站学の視座から近代的な全体戦争の様相に歴史的考察を加えた研究として位置づけることができます。

特に興味深いのは全体戦争での兵站にとって軍事兵站と国民経済に区別を設けることはできないという指摘であり、これはその後の兵站学の研究でも受け継がれる観点です。

近年、日本でも武器輸出や防衛産業の在り方について国民的な議論がありますが、こうした論点について考える上でも兵站学の研究には重要な価値があると思われます。

KT

2014年11月12日水曜日

分かると楽しい部隊符号


軍事学の書籍や論文を読んでいると、作戦の状況を図示した地図の中に判読できない記号があることはないでしょうか。

元来、地図とは地表面上の地形地物の相対的な位置関係や形状などの特徴を縮尺、記号化したものですので、多かれ少なかれ記号は用いられているものです。
しかし、軍事学では一般的な地図記号とは別に軍事作戦に関連する情報を図時するための部隊符号というものを使います。

今回は部隊符号の読み方の基礎とその種類についていくつか紹介したいと思います。

部隊符号とは一般に符号、記号、数字、色彩を組み合わせて部隊、装備、施設、行動を表示するものと定義することができます。

部隊符号と言っても、時代や地域によって形式が異なっているのですが、ここではNATOが定める部隊符号をAPP-6Aの内容に沿って説明したいと思います。

まず陸海空軍の各部隊を表す基本符号に以下のものがあります。

左から順に、航空部隊・地上部隊・地上装備・海上部隊・潜航部隊の意味
この区分を応用して味方を青色、敵を赤色、中立勢力を緑、敵味方不明を黄色で区別すると次のような分類になります。

左から順に、敵味方不明の航空部隊、味方の航空部隊、中立の航空部隊、敵の航空部隊
左から順に、敵味方不明の海上部隊、味方の海上部隊、中立の海上部隊、敵の海上部隊
左から順に、敵味方不明の潜水部隊、味方の潜水部隊、中立の潜水部隊、敵の潜水部隊
左から順に、敵味方不明の地上部隊、味方の地上部隊、中立の地上部隊、敵の地上部
色で識別すると分かりやすいのですが、形も若干変化しているのが分かると思います。
ここでは着色した符号で紹介していますが、フリーハンドで地図に記入する際には色を使い分けて線だけで表して下さい。

さらに部隊の規模を表す符号は次の通りになります。
陸上部隊の編成に沿って上から順に組、班、分隊、小隊、中隊、大隊、連隊/団、
旅団、師団、軍団、軍、軍集団、方面軍と規模が大きくなっていきます
例えば、味方の歩兵師団、中立勢力の歩兵師団、敵対勢力の歩兵師団をそれぞれ部隊符号で表すと次のようになります。
(歩兵という職種は基本符号の中の×で表すことができます)
左から順に、味方の歩兵師団、中立の歩兵師団、敵の歩兵師団
もちろん、陸軍の部隊だけではなく、海軍や空軍についても同じような符号があります。
例えば戦闘機を図上に表記したい場合には航空部隊を意味する符号の中にFと記入すると、その意味になります。
左から順に、敵味方不明の戦闘機、味方の戦闘機、中立の戦闘機、敵の戦闘機
ちなみに爆撃機はB、訓練機はT、攻撃機はA、輸送機はCと記入すれば良いので簡単に読むことができます。

海上部隊についても同じ要領で記入することができます。
例えば巡洋艦の存在を記入する場合には次のように記入します。

左から順に、敵味方不明の巡洋艦、味方の巡洋艦、中立の巡洋艦、敵の巡洋艦
戦艦の場合はBB、駆逐艦ならDD、フリゲートはFFというように重ねて記入する覚える際のポイントですが、これも難しく考える必要はありません。
ちなみに航空母艦と潜水艦ですが、これは記号で記入されます。
左から順に、敵味方不明の空母、味方の空母、中立の空母、敵の空母
左から順に、敵味方不明の潜水艦、味方の潜水艦、中立の潜水艦、敵の潜水艦

また複数の艦艇が集まって作戦行動をしている場合には次のように表記されます。
左から敵味方不明の海上部隊、味方の海上部隊、中立の海上部隊、敵の海上部隊
ちなみに海上部隊についてですが、任務部隊(Task Force)または任務群(Task Group)であることが分かっているならば、下にTFまたはTGと記入して識別します。

これらは部隊が存在していることを示す部隊符号ばかりですが、戦闘行動を表すものとして例えば次のようなものがあります。
部隊の陣地の中でも最も前面に位置している最前線の意味
特定の地域を部隊によって占領していることを表している
特定の地域を複数の部隊によって占領していることを表している
地上戦闘で上の矢印が助攻、下の矢印が主攻を表している
まだこれらはほんの一部なのですが、この程度の例示で留めておきたいと思います。

要望があれば、また部隊符号については少しずつ紹介していければと思います。専門的に研究してみようと思われる方は下記の文献からぜひAPP-64に触れてみて下さい。

KT

参考文献
U.S. Department of Defense. 2007. Common Warfighting Symbology, Washington, D.C.: Government Printing Office.

2014年11月9日日曜日

論文紹介 中国軍は台湾海峡を渡ることができるか

国際関係論から見れば中国と台湾の勢力関係が明らかに不均衡な状態にあることが知られています。
しかし、純粋に戦略的な観点から見れば、中国が簡単に台湾の防衛を破って侵攻することは困難であるということも指摘されています。

今回は、中国の立場で台湾を侵攻する場合に予想される状況を分析した論文を紹介したいと思います。

論文紹介
O'Hanlon, M. 2000. "Why China Cannot Conquer Taiwan," International Security, 25(2): 51-86.

この論文の著者が主に主張していることは、アメリカが介入しない場合ですら、中国が台湾に侵攻してこれを占領に至らしめることは、軍事的に極めて困難であるということです。

この論文の出発点にあるのは水陸両用作戦、特に着上陸での強襲を成功させるために必要な戦略の要件です。
着上陸で攻撃者が満たすべき戦略上の要件には三つあり、著者は航空優勢、作戦の序盤における上陸地点での火力、兵員の優勢、作戦の終盤における増援進出と戦果拡張を挙げています。

したがって、中国が台湾を侵攻する場合、これら三つの条件を満たす軍事的能力を備えていなければならないということになります。

中国軍が航空優勢をどの程度まで確保できるかは、台湾の空軍基地をミサイルや航空機による攻撃で破壊できる度合いによって変化します。
著者がここで着目しているのは中国軍の航空部隊と台湾軍の防空能力です。
「たとえ中国の攻撃機の大部分が秘密裏に台湾の戦闘地域に進入することができたとしても、台湾軍の37隻の水上艦艇と59隻の沿岸警備艦艇だけではなく、相当の数を台湾の防空施設と指揮統制施設のために用いなければならないことが予想される」(O'Hanlon 2000: 58)
また著者は中国軍はこれまで200~300回/1日以上の航空作戦を遂行した経験が欠如していることも指摘しています(Ibid: 58)。

さらに台湾軍の滑走路を攻撃する際に使用する爆弾は誘導性能に問題があるため、攻撃機は目標に対して低空で進入し、防空ミサイルにより撃墜される危険が非常に大きいということも損害の拡大に繋がると予想されます(Ibid: 59)。

このような条件であっても、最初の攻撃であれば奇襲の効果も得られる可能性がありますが、着上陸作戦を支援するために必要な航空優勢を確保することは困難であると言えます。

次に中国軍が着上陸する能力について考察すると、ここでも問題が見出せます。

中国は部隊の揚陸のために使用することができる艦艇はおよそ70隻程度だとして、それで輸送することが可能な部隊を10,000名から15,000名の要員とその武器装備、400両の車両、さらにヘリコプターで空輸される部隊を6,000名と見積れば、合計で最大21,000名程度となります(Ibid: 62)。

一方、中国軍を迎え撃つ台湾軍の勢力はおよそ240,000名です。
上陸がしかけられる台湾の海岸線がおよそ1,500キロなので、1キロの海岸線に対して配備することが可能な部隊の規模は単純計算で1,000名を若干下回る程度ということになります(Ibid: 63)。

着上陸作戦が開始されてから中国軍が直ちに戦闘に投入することができる部隊はおよそ8,000名ですが、その後も輸送力に何の損害も受けないと非現実的に想定しても本土から到着する増援の規模は8,000名/1日の速度が限界です。
しかし、台湾軍は50,000名/1日の速度で増援を強化することが可能です(Ibid: 68)。

ただし、中国軍が水陸両用作戦と空挺作戦を同時に行うならば、理論上は10,000名/1日の速度で増援を送り込む可能性も指摘されています(Ibid: 72)。

空挺作戦と水陸両用作戦を組み合わせる作戦は有効ではありますが、台湾軍は後方地域の防衛のために100,000名の大規模な部隊を配備する能力があるため、空挺部隊が降下してから再編成するまでの間に撃滅される危険があります(Ibid: 73)。

この論文の結論で著者が主張していることは中国軍の能力で台湾海峡を渡って侵攻することは極めて困難であり、台湾軍にはその国土の特性に応じた防衛体制が準備されていることです。

中国軍には海域を渡って他国の領土を侵攻する能力に複数の問題があるだけでなく、台湾軍の防衛能力は中国軍の侵攻に対処できるだけの量的、質的な優位性があると考えられるのです。

KT

2014年11月5日水曜日

戦争で表面化する同盟国間の軋轢


二カ国以上が共同して実施する作戦のことを連合作戦と言います。
連合作戦には他の作戦とは異なる原則がいくつかありますが、一般に同盟国の間での利害の不一致によって上手く遂行することが困難であることが知られています。

今回は、平時においては一見すると上手くいっている同盟国でも、戦時になればたちまち軋轢が生まれて連携が失われることを説明したいと思います。

この分野の研究では数理的モデルが非常に発達しているのですが、ここでは数学を一切用いずに二つの問題を直感的に考察してみたいと思います。

一般に同盟国とは脅威を共有しているのだから、防衛活動で得られる利益も競合的ではないと考えられています。
しかし、防衛活動に伴う負担を考えてみるとどうなるでしょうか。

大国と小国が同盟関係を締結している場合、負担する防衛費は大国のほうが大きくなります。
つまり、大国は小国の安全保障に必要な負担を肩代わりする関係となります。
基本的に財政支出で占める防衛費の割合が増大すると、民間で出回る資金が減少して投資が抑制される関係にあります。

つまり、大国は小国よりも防衛費の面で大きな負担を引き受けているだけでなく、経済成長の可能性をも犠牲にしているということが言えます。
例えば北大西洋条約機構のような大国と中小国の連合体で構成された同盟については、こうした傾向が確認されています(Olson and Zeckhauser 1966)。

同一の脅威に直面する同盟国の間でも、非対称な利害があるということが分かります。

このような同盟国間の国益の不一致という考えをさらに発展させると、戦時では特に軍事的理由から同盟国で国益の相違が明確になることも分かります。

ある研究では軍隊の基本的な機能を三つに区分しています。
・抑止の効果
・防衛と損害の最小化
・それ以外の各国に特有の目標の達成

ここで重要なのは上の二つの効果です。抑止は平時における軍隊の効果であり、防衛は戦時における軍隊の効果です。これまでの同盟の議論は平時を前提にしていましたが、ここでは戦時を前提に考えてみます。

戦争が勃発すると戦力を配分する地域について同盟国の間で重視する地域が異なってきます。
例えば、第一次世界大戦でオーストリアはセルビアに対する攻撃のためにロシアの脅威を非常に重視していましたが、同盟国のドイツはロシアの脅威に対処する前にフランスの脅威を排除することが戦争計画として優先事項とされていたのです。

ここで生じているのは同盟国の間での部隊の取り合いであり、これは戦時にならなければ表面化しない事態です(van Ypersele de Strihou 1967)。

このような研究成果は日本の安全保障にとって何を意味しているのでしょうか。

私たちは同盟についての直感的な考え方から日米同盟が日本の思惑通りに機能し、アメリカが裏切ることはありえないと考えてしまいがちです。

しかし、同盟理論の研究者たちが指摘しているのは同盟とはそのような性質のものではないということです。

アメリカが日本のために部隊を派遣することがあったとしても、作戦の方針が消極的であったり、部隊の規模が小さすぎるような事態も予期しなければなりません。
今後のアメリカの国内情勢の推移によっては、この種の見通しがさらに強化されることさえありえます。

したがって、日本が独自に防衛戦略を研究しておくことは依然として重要なことだと言えるのです。

KT

参考文献
Olson, M., and Zeckhauser, R. 1966. "An Economic Theory of Alliances," Review of Economics and Statistics, 48(3): 266-279.
van Ypersele de Strihou, J. 1967. "Sharing the Defence Burden Among Western Allies," Review of Economics and Statistics, 49(4): 527-536.

2014年10月31日金曜日

業務連絡 不定期更新での再開のお知らせ

時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

この度、しばらく停止していたブログを11月1日から再開することに致しましたことをお知らせ致します。
ただし、更新の頻度につきましては定期更新から不定期更新としますことをご了承下さい。

今月に入って就職活動のため一時停止していたところですが、ご承知の通り博士、しかも安全保障学という極めて特殊な領域を研究している関係から、就職活動は困難を極めており、お恥ずかしながら、このような状態が長期化する見通しが強まってまいりました。

そのため、当方としましては本ブログの継続を断念し、閉鎖を検討していたのですが、更新を停止した後も予想に反して多くの読者にご閲覧を頂き、さらに一部の読者の方々からは継続を願う連絡も頂くことができました。

上述の状況を判断した結果、不定期更新での継続という形が妥当ではないかと考えた次第です。
不定期更新であれば記事を大量に書き溜める必要もなく、柔軟に対応することが可能であるためです。

今後も本ブログを通じて皆様の防衛教養に寄与するところがあれば、そして日本の安全保障の議論をより良いものにすることができればと心より願っております。

今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

KT

2014年10月4日土曜日

論文紹介 演習で戦術能力を評価することの重要性

論文情報
Barclay, C. N. 1975. "Strategy and Tactics: Some Thoughts on the Change of Emphasis," Military Review, 55(May): 40-55.

本論文で著者が取り上げているのは第二次世界大戦を戦ったイギリスの陸軍元帥アーチボルド・ウェーヴェル(Lord Archibald Wavell)の説です。

著者によれば、ウェーヴェルは戦略と戦術の切り替えに注意を払う重要性を最初に指摘した一人でした。

1940年から1941年、イギリス軍を指揮するウェーヴェルは北アフリカの戦闘でイタリア軍に対して攻勢作戦を成功させますが、その時の戦力比は非常に不利なもので、およそイタリア軍に対するイギリス軍の人員の規模は1:6の比率に過ぎませんでした。

それにもかかわらずウェーヴェルが攻勢に出る決心を下した理由は戦略上の数的劣勢を挽回するだけの戦術的優位があると判断したためだと著者は指摘しています(ibid: 51)。

しかし、ウェーヴェルの状況は1941年から1942年には逆転することになります。
1942年から北アフリカ戦線ではドイツ軍がイタリア軍の増援として到着したのですが、イギリス軍よりもドイツ軍の戦術が優秀であったためだとされています。

実際、ドイツ軍との一連の戦闘を通じて、ウェーヴェルはイギリス軍の部隊と、ドイツ軍の部隊との間には、戦術的能力という点において重大な格差があることに悩まされました。

特に問題となったのは第一線で部隊を指揮する能力の格差でした。

ドイツ軍は小規模な部隊を運用する小戦術、初等戦術をよく研究していたので上層部が想定していない事態が発生しても現場で利用可能な人員、武器、装備を活用し、的確に戦闘を継続することができましたが、イギリス軍にはこの能力が欠けていたのです。

1943年以降、この教訓を反映させてウェーヴェルは第一線部隊の戦術的能力を向上させる訓練、特に大規模な部隊の運用ではなく、ごく小規模な部隊を運用する初等戦術の訓練を集中的に強化する措置をとりました。

このような経験から、ウェーヴェルが戦略的決心を戦術的領域で実行に移すことの困難を議論したことは、現代の陸軍の教育訓練のあり方を考える上でも重要な意味があると著者は述べています(ibid: 51-52)。

著者の整理によれば、軍事訓練の目的には二種類あります。
第一に武器や装備を操作する戦技能力を向上させる目的があり、第二にそれら武器や装備を任務の達成のために効果的に使用する戦術能力を向上する目的があります(ibid: 53)。

一般に戦技能力を検定や競技会で評価することは困難ではありません。しかし、戦術能力を評価するには演習を実施する必要があります。
「(小部隊の)戦術訓練は恐らく部隊において自覚的かつ良好に教育されているにもかかわらず、大規模な演習に来ると全てが忘れ去られてしまう」(ibid: 54)。 
「部隊は何が起きているかがしばしば分からず、統裁による示威的決定を引き受け、戦術的能力を示す機会はほとんどない。これは非常に重大な問題であり、解決することも難しい」(ibid: 54)。
著者はこのような問題を少しでも解決するためには演習を統裁する方法について再検討することを主張しています。

例えば、統裁要員の移動を容易にするためにオートバイやヘリコプターを使用すること、さらに統裁要員の通信装備を充実させることなどが考えられています。

以上をまとめると、戦術能力が戦略にも影響を及ぼしうる可能性があります。
したがって、戦術能力をより効果的に教育訓練することが重要と成りますが、その教育訓練の成果を適切に評価する演習の方法には課題が残されているということです。

現在の情勢から見れば、世界的にレーザー交戦装置の導入が進められたことで解決された課題も少なくないのですが、費用がかさむという問題があり大規模な部隊が参加する演習で使用することは予算の面から難しいという事情があります。

戦術的能力を向上させる教育訓練の有効性を高めるために、望ましい演習の方法はやはり現在でも重要な問題であるということが言えるのではないでしょうか。

KT

2014年9月29日月曜日

業務連絡 更新一時停止のお知らせ


平素は格別のご愛顧を賜りまして、厚くお礼申し上げます。

この度、ブログの更新を一時的に停止することを決定いたしました。

その理由としまして当方の就職活動が行き詰まってしまい、新たな方針で就職を模索しなければならなくなったためです。
上述の関係から時間の制約が生じ、その結果として現状の品質を維持して記事を執筆するが困難になりました。
今後の方針としてまして、無期限の更新停止としておりますが、機会を見つけることさえできれば再開したいと考えております。
その再開がいつ頃になるかは分かりませんが、その時になればまた告知させて頂きます。

どうか読者の皆様におかれましても、ますます安全保障学の研究成果が発展しますように、心からお祈り申し上げます。

KT

2014年9月26日金曜日

論文紹介 戦争における民主制の軍事的効率とは


政治体制の選択がその国家の軍事行動に及ぼす影響は政治学、軍事学の両方にとって興味深い研究対象でした。
特に民主制を採用する国家が、民主制を採用しない国家に対し、より高い軍事的効率を誇ることが指摘されてからは、その主張の根拠やその主張の含意について研究が重ねられています。

今回は、民主制が軍事的効率とどのような関係にあるかを考察した論文を紹介したいと思います。

論文情報
Biddle, S., and Long, S. 2004. "Democracy and Military Effectiveness: A Deeper Look," Journal fo Conflict Resolution, 48(4): 525-546.

1.軍事的効果を説明する
2.データ
3.操作運用
4.データ解析
5.結論と含意

この論文で著者は民主制に軍事行動の効率性を向上させる効果があることを主に軍事的観点から説明しています。

以前から民主制の軍事的効率に関する議論は存在していましたが、この論文はその議論で示された論点を整理した上で、民主制が軍事行動に寄与する媒介要因として人的資本、政軍関係、戦略文化の三つを挙げています。

著者の説明によれば、民主制という政治体制を選択することで、政府支出は生活水準や教育水準の向上に使用される傾向が強化されます。
さらに言論の自由や学問の自由、市場取引を通じ、さまざまな情報を取得し、学習機会や研究開発の誘因が強化されます。
こうした結果として体系的な軍事教育によらずとも、人的資本を強化することが可能となります。

著者は高度な人的資本で部隊を編成すれば、戦闘において複雑な戦術を遂行する能力を向上させることになると指摘しています。

また政軍関係について考えると、民主制では政権交代のために武力を使用する必要が必ずしもありません。
政治参加の範囲を最小限に制限すれば政治的安定を強化できる一方で、そのような政治体制は絶えずクーデターや反乱を警戒する必要があるため、人事権や指揮権の発動を通じて絶えず軍部に協力者を確保しておくことが重要となります。

このようなことは、純粋に軍事的な観点から業務を遂行することを困難にし、司令部の作戦を指導する能力を低下させるため、著者は民主制の下で政軍関係を運営するほうが軍事的効率を拡大しやすいと考えます。

最後に文化的要因ですが、先行研究ではしばしばアラブ社会の政治文化の属性が民主的というよりも権威的であり、その理由として家父長制度を基調とした階層的社会構造の傾向を挙げてきました。
著者は現代の陸上戦闘においては小規模な戦闘単位の自律的な作戦行動の優劣が軍事的効率に重大な影響を及ぼすことを指摘し、民主制における政治文化もまた戦闘での勝敗に影響すると論じています。

この論文の結論として、著者は民主制がその人的資本、政軍関係、戦略文化を通じて戦闘での軍事的効率に良好な影響を及ぼすという主張を繰り返し、これらの変数をコントロールした場合には戦闘効率が低下していることを強調します。

この論文の興味深い発見は、その因果関係を指摘するばかりではありません。

この論文の特徴はその方法であり、戦域で配備される軍隊の戦闘効率と、それを指導する国家の政治体制の間に因果関係を予想した上で、その関係を統計的資料によって裏付けながら、政治分析と軍事分析を組み合わせているところです。

なお、この論文で気になる民主制の評価の基準ですが、基本的に選挙制度によってコード化した次のデータセットを参考にしていることを付け加えておきます。
Bank, A. S. 1976. Cross-National Time Series, 1815-1973, ICPSR, ed. Ann Arbor, MI: Inter-University Consortium for Political and Social Research.
Jaggers, K., and Gurr, T. R. 1996. Polity III: Regime Change and Political Authority, 1800-1994, 2nd ICPSR version, Boulder, CO: Keith Jagger/ College Park, MD: Ted Robert Gurr, 1995. Ann Arbor, MI: Inter-University Consortium for Political and Social Research.

KT

2014年9月24日水曜日

はじめて戦術学を研究する人のために


今回は戦術学について研究したい、という人のための勉強の仕方や役立つ文献を紹介したいと思います。

私は大学に入学した当初から戦術学には強い関心を抱いていたのですが、入学してから間もなく幸運にも軍事評論家の松村劭(元陸将補)先生と直接お会いする機会があり、その時に戦術学の勉強の仕方や基本文献を教えて頂いたことがあります。

お会いできたのは一回きりでしたが、その時にご教示頂いた勉強法や参考文献は大変に役立ちましたので、ここで皆様と共有したいと思います。

まず、戦術学では、教範で示された原則や概念を理解し、それを実例に適用する練習が基本的な勉強法となります。
陸上自衛隊の教範に野外令がありますが、これは公開されていませんので、自学独習の場合には教範は旧軍の作戦要務令・統帥綱領か、米軍の野戦教範を参考とします。

文献情報
陸軍省『作戦要務令』尚兵館、1938年
陸軍大学校『統帥綱領・統帥参考』偕行社、1962年
U.S. Department of the Army. 2012. ADRP 3-90: Offense and Defense, Washington, DC: Government Printing Office.(http://armypubs.army.mil/doctrine/DR_pubs/dr_a/pdf/adrp3_90.pdf)

最後に揚げた米軍の教範は最近新しく改定されたものとなっています。戦術の基本となる概念や考え方が体系的に解説されており、図表による解説も明快で理解の助けとなります。

こうした教範の原型ともなった文献はドイツ陸軍省が1933年から1934年にかけて出版した教範『部隊指揮』(Truppenführung)があります。ドイツ語の文献ですが、1942年に米軍が翻訳していますので、そちらで参照することもできます。

文献情報
U.S. War Department. 1942. German Tactical Doctrine, Washington, DC: Government Printing Office.(http://usacac.army.mil/cac2/cgsc/carl/wwIIspec/number08.pdf)
Condell, B., and Zabecki, D. T., eds. 2001. On the German Art of War: Truppenfuhrung, Boulder, Lynne Rienner.

当時のドイツ軍における戦術学の研究成果がよくまとめられており、また現在においても妥当性を失わない優れた内容となっています。

また、松村先生は戦術学の研究では最近の事例だけでなく、古代から幅広く戦史を辿ることが重要だというお考えからデュピュイをはじめとして軍事史の著作をいくつか紹介して頂きました。
ただし、現在の自衛隊での戦術の教育では第二次世界大戦以後の戦史がしばしば使われることが多くありますし、私の経験としては学習者の関心に応じた事例で研究した方が良いと思います。

というのも、戦術の原則を学ぶ上で武器の操作等に関連する技術的知識は必須のものとまでは言い切れないためです。

文献情報
Dupuy, R. E., and T. N. Dupuy. 1970. Encyclopedia of Military History, New York: Harper and Row.
Brodie, B., and Brodie, F. 1973. From Crossbow to H Bomb, Rev. ed. Bloomington, Ind.: Indiana Univ. Press.
Wynne, G. C. 1972. If Germany Attacks, Reprint. Westport: Greenwood Press.
Creasy, E. 1963. Fifteen Decisive Battles of the World, London: Dent and Sons. 
West Point Military History Series
Griess, T. ed. 1985-1986. West Point Military History Series, Wayne: Avery.

これらはいずれも有名な著作ばかりですが、私が特に推奨するのは一番上の軍事史百科事典であり、多数の事例について知ることができます。参考文献リストも含めて戦術を研究するための大きな手がかりとなります。

なお、松村先生がご自身で出版された著作も戦術学に関心を持ち始めた方にはお奨めできます。

文献情報
松村劭『戦術と指揮』PHP研究書、2006年

短い著作ですが、基本的に陸自の教範『野外令』の内容に沿って戦術について解説しています。

この著作には簡単な演習問題も含まれているため、想定を読み込んで、自分なりの解答を作成してから原案に当たることを反復すれば戦術的な考え方を訓練することができます。

松村先生は実際の歴史的事例に即して戦術を考えさせる入門書も執筆されています。

文献情報
松村劭『世界の歴史を変えた名将たちの決定的戦術』PHP研究書、2007年
松村劭『勝利を決めた名将たちの伝説的戦術』PHP研究書、2010年

いずれも電子書籍で入手することができます。Dupuyの軍事史百科事典でも取り上げられている代表的な戦闘の事例を取り上げて、そこで使用されている戦術について演習問題の形式で検討を加えるものです。

学部生時代の私の勉強法は、こうした文献を単に読み進めるのではなく、自分で問題に対する答案を作成するというものです。それは単なる作戦の基本方針を文章として記述したものではなく、可能な限り部隊の配置や機動についても図示しておかなければなりません。

こうして作成した答案に間違いがあれば、自分の答案の上から何が間違っており、その理由は何かを書き込んでおきます。この時に原案の部隊配置を自分の答案の上に書き込んでおきます。
後からそれを読み返すと、単に答案を読むよりも理解ははるかに深まりますし、教範で述べられた原則がどれほどよく考察されたものであるかも分かります。

私は戦術学は必ずしも自衛官だけが学ぶものではなく、教養として広く国民に普及することが望ましいと思っています。
というのも、戦術学で得られる知識は、戦略学を学ぶ場合でも、軍事史を学ぶ場合でも非常に有益であり、防衛問題のさまざまな問題を具体的に考える能力を養うためです。

KT

2014年9月19日金曜日

アダム・スミスの経済戦争論


経済学の古典で知られる18世紀の経済学者アダム・スミスの『国富論』は軍事的観点から見ても興味深い分析を多く含んでいます。
今回は、特に経済制裁に関する記述を紹介したいと思います。

「神の見えざる手」という表現でよく知られているように、スミスは市場における自由な取引の有効性を擁護しており、貿易に関しても輸入を制限することによってさまざまな弊害が生じることを指摘しています。

しかし、それだけではなく、スミスは輸入を制限するべき場合があるということも主張しています。すなわち、国防上の必要を満たす場合です。

17世紀、イギリスでは航海条例に基づいて、船主、船長、船員のうち4分の3がイギリス国民ではない場合、イギリスの沿岸貿易に従事することはできず、違反すれば船舶と積荷は没収することにしていました。

この航海条例によって外国、特に当時の経済大国だったオランダは大きな損失を強いられることになります。

というのも、この条例はイギリスに商品を輸入する外国船舶の運行を規制していましたが、イギリスの商品を輸出する外国船舶だけは運行を許可していました。
言い換えれば、この条例は最初から、輸出型産業を中心としたオランダ経済に打撃を与えることを目的とした経済制裁だったと言えます。

第二次英蘭戦争における1666年の四日海戦
エイブラハム・ストーク画
この経済制裁はその後に英蘭戦争の引き金になったことはよく知られています。
興味深いことに、スミスはこの経済制裁の究極的な目的とは、オランダの海軍力を減退させることにあったと論じています。
「この規則は、すべてもっとも思慮深い知識人によって指図されたもののごとく賢明なものである。あの時点における国民的反感はもっとも思慮深い知識人が勧告するに違いないこととまさに同一の目的を、つまり、イングランドの安全を危うくする可能性のある唯一の海軍力であるオランダの海軍力の減殺を目指していたのである」
戦わずして、貿易収支の悪化を通じ、オランダの海上戦力の消耗を加速させることができるというのがスミスの考えでした。

当時、オランダ海軍はイギリスの海上交通路に対する重大な脅威であり、イギリス海軍はオランダ海軍に対する絶対的海上優勢を確立することはできていませんでした。
直接的な方法で海上戦闘を挑む場合の勝算は有利とは言えませんが、このような間接的な方法であれば貿易立国であるオランダの財政を悪化させ、引いては戦力を漸減できるということになります。

もちろん、純粋な経済分析を行うならば、オランダ商人をイギリスの市場から締め出すことによって、イギリス人の生産した商品の需要が減少し、結果的に商品の価格は下落することが予想されます。
それにもかかわらず「国防は富裕よりもはるかに重要なことである」とスミスは断言しています。

この著述を取り上げてみても、スミスは優れた経済学者であっただけでなく、国際関係におけるイギリスの地政学的な特性、そしてオランダとの勢力関係について広い視野を持ち合わせた戦略家でもあったことが分かるのではないでしょうか。

安全保障とは必ずしも戦争に関する事柄だけを取り扱えば済む問題ばかりではありません。平和もまた次の戦争を準備しつつある重要な段階であることを認識しなければならないのです。

KT

2014年9月16日火曜日

業務連絡 投稿時期の見直しについて

平素は格別のご愛顧をいたただき、厚くお礼申し上げます。

さて、これまで投稿時期は一週間に三度と設定して参りましたが、当方の就職活動の進展が不調つき、9月22日以降の投稿について検討した結果、一週間に二度(水曜日と金曜日)と再設定させて頂くこととなりました。

ご愛読を頂いております読者の皆様には誠に申し訳なく存じておりますが、引き続き本ブログを維持しながら、就職活動を継続するために、さらなる時間と労力の効率化が必要であり、記事の執筆に費やす時間を削減せざるを得ないと判断いたしました。

もし引き続き就職活動に失敗した場合、以後の研究活動をあきらめ、本ブログも閉鎖せざるを得ません。読者の皆様におかれましては、何卒ご理解を賜りますように、お願いを申し上げます。

KT

2014年9月15日月曜日

論文紹介 兵站は戦略を制約する


今回は、安全保障学で(残念ながら)特に知名度が低い研究領域、兵站学に関する議論を紹介します。
兵站学の論文は特に第二次世界大戦が終結してから数多く書かれるようになりましたが、その中でも特にアメリカ軍の兵站に関する優れた事例研究があります。

論文情報
Sykes, H. F., Jr. 1947. "Logistics and World War II Army Strategy," Military Review, 35(2): 47-54.

この論文の著者である米陸軍大佐H. F. Sykes, Jr.の貢献は、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の大戦略の決定を決定した要因として兵站が決定的だったことを実証的に明らかにしたことです。

日本海軍による真珠湾攻撃を受けてから間もない1942年1月の議会演説で、ルーズベルト大統領は「この圧倒的な優勢を獲得する目的から、合衆国はその国力のほぼ限界まで航空機、戦車、火器、艦船を生産しなければならない」と発言しました(Sykes 1947: 47)。

この発言から示される通り、アメリカにおける戦略と兵站の関係は「父と子の関係」ではなく、全く逆の関係でした。
つまり、アメリカは戦略を策定するよりも先に、その戦略に必要な武器や装備を生産するところから戦争指導を着手し、その後に当面の戦略を策定したのです。

著者は、このような結果として、戦略と兵站のどちらの領域においても長期的な指針が確立されていなかったと指摘しています(Sykes 1947: 47)。

この主張を裏付けるために、著者は1939年以後のアメリカ軍の兵站がどのように指導されていたかを動員という観点から検討しています。

ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した1939年、アメリカ軍の勢力は最初21万名でしたが、9月には22万7000名に増勢されます。当初の計画によれば1941年10月1日までに100万名、1942年4月までに400万名に増勢するつもりでした。

この戦力を整備するために必要な費用はおよそ73億ドルと見積もられましたが、予算の総額はルーズベルト大統領の要求によって30%程度ほど削減されてしまいます(Sykes 1947: 48)。
この予算削減の決定から間もなくして、武器や装備を生産する防衛産業の能力が不足し、今の予算では動員計画の目標に達する見込みがないことが判明しました。

ルーズベルト大統領に与えられた選択肢としては、(1)計画の目標を縮小して200万名だけの戦力を計画の期日までに速やかに動員する、(2)計画の目標を維持して400万名の戦力の動員完了を予定よりも遅らせる、という二者択一でした。

結果的にルーズベルトは議会の抵抗を考慮に入れた上で、政治的な実現可能性を優先し、計画の目標を縮小し、40億ドルで議会に予算案を提出しています。

しかし、部隊の動員が完了する時期に関する決定は戦略にも極めて重要な影響を及ぼす決定ですが、当時の政府内部での意思決定を検討すると、まずは戦争に必要な資源をいかに確保するかが最優先とされていたのが実態だったのです。

著者はこの分析から「兵站は大戦略の最初の決定を制約する」という見解を主張しています(Sykes 1947: 49)。

兵站が戦略に及ぼす影響は極めて重要であることは誰もが口にすることですが、この研究はさらに議論を進め、兵站に関する意思決定が戦略を規定した様相を浮き彫りにしました。
現在の観点から見ても兵站学の研究成果として優れた分析が多く含まれており、未だに価値を失っていない優れた研究です。

KT

2014年9月10日水曜日

バックパスとは何か


国際関係論において、バックパス(Buck-Pass)とは「侵略者に対して自らは静観しながら別の大国に阻止させる」国家戦略のことをいいます(Mearsheimer 2001: Ch. 5)。

バランス(均衡)やバンドワゴン(追従)のように、現状維持を企図した大戦略の一種ですが、第三国を巻き込むことで自国の利益を図るところが特徴的な部分と言えます。

バックパスを行う国は自国の代わりに別の国に潜在的な侵略者を阻止させるために、四種類の手段を駆使します。

第一に、侵略者と良好な外交関係を構築する方法があります。一見すると、バンドワゴンと同じようにも見えますが、バンドワゴンと異なるのは第三者の対外行動に影響を及ぼすことが狙いである点です。

1930年代のヨーロッパでドイツの軍事的台頭が危ぶまれた際に、フランスは安全保障上の脅威を感じていたのですが、フランスはドイツとの関係を改善させるようとしていました。
これは潜在的な侵略者であるドイツとの外交関係を改善することで、ドイツの軍事力がフランスに向けられることなく、東側にあるソ連の方向へ指向することを期待していたためです。

第二に、バックパスを行う国は自国の代わりに侵略者と戦う国との外交関係を疎遠に保つ必要もあります。
これは一見すると不可解に思われるかもしれませんが、その最大の理由は侵略者と防衛者の両方に対して中立的な立場をとらなければ戦争それ自体に巻き込まれる危険があるためです。
自国に対する脅威を別の国に肩代わりさせながら、自国は何の犠牲を払うこともないことが転嫁においては重要です。

第三に、バックパスを行う場合には自国の余剰の資源を動員する方法も考えられます。
一般にバックパスは直接的な連合作戦への参加を回避することを意図していますが、それゆえ攻撃の対象とならないように、自衛のための防衛力を保有している必要が出てきます。
その意味において、転嫁という大戦略においても抑止という軍事戦略の基礎が不可欠と言えます。

第四に、バックパスを行う国は自国の代わりに戦う大国の成長を助けることも求められます。
侵略者と戦うことが可能なだけの能力を付与する必要があるため、バックパスのような戦略を遂行するためには相応の援助を行うことが欠かせません。

以上がバックパスに必要な処置となりますが、成功すれば非常に強力な大戦略である一方で、諸外国の対外関係を見極める困難を常に伴う戦略でもあります。

最近の研究には日本の安全保障を支配していたのは平和主義ではなく、バックパスだったことを指摘するものもあります(Lind 2004)。
つまり、日本が意図しているのは、日米安保に依拠しながらも、自国が率先して防衛者となることはせず、侵略者を米国によって阻止してもらい、かつ中国とも「戦略的互恵関係」を維持して攻撃の対象となることを回避しているという判断です。

バックパスを通じて単純な敵と味方という構図から国際関係を把握することができないということが理解できるのではないでしょうか。

KT

関連記事
均衡について
追従について

参考文献
Lind, J. M. 2004. "Pacifism or Passing the Buck? Testing Theories of Japanese Security Policy," International Security, 29(1): 92-121.
Mearsheimer, J. J. 2001. The Tragedy of Great Power Politics, New York: W. W. Norton. (奥山真司訳『大国政治の悲劇』五月書房、2007年)

2014年9月8日月曜日

演習問題 地形判断を応用した敵情判断


今回は、第一次世界大戦の事例に基づいた戦術学の演習問題を紹介したいと思います。状況はそのまま利用していますが、問題の内容や答案は私が改めて作成しました。

1918年8月3日、アメリカ軍の第4師団の任務は退却中のドイツ軍を追撃することでした。
第4師団隷下の第7旅団第39歩兵連隊はその前衛として追撃を行っていたのですが、ドイツ軍の砲撃による激しい抵抗を受け、日中にほとんど前進することができませんでした。

8月4日早朝、第39歩兵連隊はVesle川に向けて前進するためにChery-ChartreuveとSt. Thibautの間の約2000キロの経路を前進しなければなりません。この経路には200メートル程度の幅しかない隘路が1000メートル続いており、これを迂回して前進することが困難です。

次の目標であるSt. Thibautに前進するためにはこの隘路を通過する必要があります。(地図を参照)
XX4は第4師団、X7は第7旅団の作戦地区の意味。
第39歩兵連隊はSt. Thibautまでの経路上にある隘路の南方に展開している。
連隊が前方の敵情を偵察したところ、隘路に敵の存在は確認できていません。
さて、追撃を進める上で敵情をどのように判断するべきでしょうか。以下の選択肢に正しい判断が一つだけ含まれています。

1.敵はChery Charteuve-St. Thibaut間の隘路の出口で前進を阻止する。
2.敵はこちらの意表をついて反撃するための準備を行っている。
3.敵はSt. Thibautへの侵入に抵抗するための準備を行っている。
4.敵はVelse川以北の地形を活用した遅滞戦闘に出る。

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以下は原案です。

一見すると、この問題は隘路に関する問題のように見えますが、実際には違うというところがポイントです。
作戦地区の地形を分析していくと、隘路のよりもVesle川に架橋された橋梁の重要性のほうが大きいことが分かるためです。

この敵情判断で考えなければならないのは、前日のドイツ軍の作戦です。
退却中のドイツ軍の立場で考えると、遅滞戦闘のためにどこに陣地を築城するべきかを選択しなければなりません。

直観的には隘路の出口に200メートル程度の抵抗線を設けて防御陣地を構築する方針が思いつきますが、実はこの方針を採用すると後退行動の際にVesle川に架橋された橋を部隊が渡るための時間的猶予が必要になります。

しかしながら、St. Thibautの南方にはアメリカ軍が展開するだけの面積があるため、ドイツ軍の主力が背後と側面から捕捉されて攻撃を受ける危険が大きいと判断することができます。

この危険を防ぐ処置として、St. Thibautまでの退却路に防御陣地を何重にも構築する方針も考えられるのですが、状況によるとドイツ軍が戦闘の準備に与えられた時間は8月3日日没から8月4日早朝まででしたので、それだけの規模の築城工事を完了させることは極めて困難です。

したがって、ドイツ軍が確実に退却するには、予め部隊をVesle川以北まで下げる作戦案が適当だと判断できます。以上の判断から原案は4となります。

1.誤り。偵察の結果と立てられた判断が矛盾しており、また隘路の出口に陣地を設定した場合にはドイツ軍は事後の後退行動のための動作に困難が生じるため。

2.誤り。ドイツ軍は退却の途中であるため、攻撃に転じるとしても、隘路が前方にある場合に攻撃しても戦力を発揮する十分な地積が望めず、双方ともに消耗戦になる見込みが大きい。しかも、隘路で戦闘を開始すれば、戦闘から離脱することは容易ではないことから、不適当である。

3.誤り。St. Thibautに立てこもって防御する案は、ドイツ軍が退却中であり、後から増援が来る見込みがない以上、適当ではない。アメリカ軍に対して損害を強いることはできるが、部隊が離脱する時期を失えば、ドイツ軍も壊滅的な損害を被る危険がある。

4.正しい。後退の任務を第一と考える場合、隘路を前方にして河川を背後に遅滞戦闘を行うよりも、河川を前方にした方がドイツ軍の危険を最小限にし、かつアメリカ軍にも損害を与えることが可能であるため。

最後に史実を見ると、当時のドイツ軍が選択した防御陣地はVesle川以北にある高地の中腹でした。(地図上で見切れている高地のことです)ここに砲兵陣地と機関銃陣地を設定することで、Vesle川に近づくアメリカ軍を射撃することが可能でした。

実際にアメリカ軍がVesle川にまで前進すると、直ちにドイツ軍は射撃を開始し、第39歩兵連隊の主力である2個大隊に甚大な被害を与えたことが報告されています。


KT

2014年9月5日金曜日

東アジア地域での安全保障環境の現状


実際、東アジア地域の安全保障環境が厳しさを増しているのでしょうか。日本の安全保障の現状としてどのような情勢判断を下すことができるのでしょうか。
今回は、いくつかの報告書や先行研究から、こうした論点に関する部分を紹介したいと思います。

まず東アジア地域に権益を持つ主要な国家の勢力は次の通りです。

アメリカ 陸上勢力59万名、海上勢力613.9万トン(1030隻)、航空勢力3498機
中国 陸上勢力160万名、海上勢力142.3万トン(892隻)、航空勢力2582機
ロシア 陸上勢力29万名、海上勢力207万トン(976隻)、航空勢力1555機
日本 陸上勢力14万名、海上勢力45.3万トン(139隻)、航空勢力420機 (防衛省2014: 375)

東アジア地域ではこれら以外にも102万名の陸上勢力を有する北朝鮮、52万名の陸上勢力を有する韓国などがあり、各国が展開する軍事要員を合算した規模だけで評価すれば、世界でも特に高い密度で部隊が展開されていると言えます。

このような地域の特性は東アジア情勢で緊張が緩和されない場合の地政学的な危険を示唆していますが、それと同時に各国が大規模な軍事力で相互に抑止し合うために、戦略的安定性は高いことも意味しています。

ある研究報告で東アジアで武力衝突が発生する公算は少なくとも2030年までは低いレベルとして判断されたことも、各国が保有する軍事力の規模が戦略的安定性を促進する因果関係が認められているためです(Swaine et al. 2013)。

もし中国が領土や勢力圏の拡張を企図するとしても確実な勝利が得られるだけの局地的な軍事的優勢を準備することが必要です。現状の勢力関係で中国がそれだけの水準に達しているとは言えません。
したがって、東アジア地域で直ちに武力紛争の危険を考慮する必要はそれほど高くないと考えられます。

しかしながら、東アジア地域で緊張がやや高まる傾向性があることは確かです。
最近の防衛研究所の報告書では安全保障のジレンマが顕在化していることや、北朝鮮での政権交代、中国の勢力拡大と民族主義の高揚などが危険な要因として指摘されています(防衛省防衛研究所2014: 26-29)。

中国の台頭以上に重大な影響を及ぼす可能性がある要因として考えられるのが、東アジア地域におけるアメリカの勢力後退です。

第二次オバマ政権は声明の中ではアジアへの回帰として「リバランス」を掲げていますが、実際の動向を見たところ、東アジア地域においてアメリカの具体的な勢力の増勢を行うというわけではありません。

(Berteau and Green 2012: 14)
この地図は東アジア地域の安全保障環境で特に紛争が進行中の地域×で表し、また領土紛争が進行中の地域を緑色の記号、災害地域を黄色の記号で表現したものです。

この地図で明確に示されているのは、中国は南シナ海と東シナ海での局地的優勢を確立することを許せば、西太平洋におけるアメリカの領土であるグアムも脅威に晒されることです。

しかし、アメリカでは国防予算の削減が進められています。
2011年に成立した予算管理法に基づき、議会は2013年会計年度で国防省の人件費を除く予算科目の全てで予算を強制的に削減しました。

その影響は多方面に及びましたが、海軍艦艇の海外展開への影響に限ると、中東に向かうハリー・S・トルーマン空母打撃群の出航が2月から7月に延期され、それ以外に海外展開する海軍の艦艇の数は105隻から95隻に減少しています(防衛省防衛研究所 2014: 237)。

このような軍事情勢が今後変わらないなら、アメリカは宥和を通じて中国の勢力拡大を容認する路線を選択する公算は大きくなります。
台頭する中国と敵対せずアメリカの地域的権益を確保し続けるためには米中関係の戦略的安定性が欠かせません。これは日本の安全保障にとって重大な意味を持つ可能性です。

KT

参考文献
防衛省『日本の防衛』防衛省、2014年
防衛省防衛研究所編『東アジア戦略概観2014』防衛省防衛研究所、2014年
Swaine, M. D., Mochizuki, M. M., Brown, M. L., Giarra, P. S., Paal, D. H., Odell, R. E., Lu, R., Palmer, O., and Ren, X. 2013. China's Military and the U.S.-Japan Alliance in 2030: A Strategic Net Assessment, Washington, DC: Carnegie Endowment for International Peace.
Berteau, D. J., and Green, M. J., eds. 2013. U.S. Force Posture Strategy in the Asia Pacific Region: An Independent Assessment, Washington, DC: Center for Strategic and International Studies.
Swaine, M. D., Tellis, A. J. 2000. Interpreting China's Grand Strategy: Past, Present, and Future, Santa Monica: RAND.

2014年9月3日水曜日

文献紹介 不足する弾薬と工廠の役割

兵站において補給を優先しなければならない最も基本的な物資が三つあります。それは、糧食、燃料、そして弾薬です。
戦場において軍事力を発揮するためには、大量に消費される弾薬を適切に補給することが兵站の最も重要な仕事の一部と言えます。
今回はこうした関心から、第一次世界大戦のアメリカにおける弾薬の供給についての著作を紹介したいと思います。

文献情報
Crowell, B. 1919. America's Munitions, 1917-1918, Washington, DC: U.S. Government Printing Office.

第一次世界大戦では火力戦闘の重要性が高まったため、戦場での弾薬の消費が飛躍的に増加した事情があります。
そのためアメリカでも工廠(軍隊内部の軍需工場)で大規模な弾薬の増産に乗り出さなければならなくなりました。

ワシントンDCに建設された工廠の写真。
事実関係を確認しておくと、アメリカが第一次世界大戦に参戦するのは1917年4月からのことです。
この参戦によってアメリカは第一次世界大戦でのドイツの敗北を決定的なものにしたと研究では一般に言われています。
しかし、この報告書で指摘されているのは、アメリカが兵站の側面で数々の問題を抱えており、特に弾薬の補給に関しては他の連合国に大きく依存していたことです。

あまり知られていないことだと思いますが、報告書によるとアメリカの防衛産業で砲兵の弾薬の増産が本格的に開始されたのは、1918年の夏以降になってからでした。
つまり1917年4月に参戦を決定したことを考慮すれば、弾薬の増産への移行に1年以上の時間を費やさなければならなかったことが分かります。

1914年からドイツと戦っていたフランスやイギリスの産業が供給する一か月あたりの弾薬量と比べると、1918年10月上旬の段階でさえその供給力は半分程度だったことが指摘されています(Ibid: 33)。
したがって、1918年11月に戦争が終結することを考えればアメリカが弾薬の補給に関して連合国の供給に依存していた関係が分かります。


この資料の下の図によると1917年4月1日から1918年11月11日までにイギリスが生産した弾薬を基準にすると、フランスの供給した薬莢が固定された弾薬(完全弾薬)はおよそ123%、アメリカは14%です。
また薬莢が固定されていない弾頭のみの生産に関してはイギリスを基準にするとフランスは113%、アメリカは28%の供給量にすぎません。

第一次世界大戦の経験からアメリカでは防衛産業の重要性が強く認識されるようになり、その後の産業動員に関する立法が審議されています。
この報告書では軍隊が消費する弾薬を供給する産業の生産体制を直ちに拡充することは技術的に困難であったことを裏付ける数多くの資料が示されており、いずれも優れた著述です。

アメリカの防衛産業の能力不足は大戦の経験から指摘されるようになったわけですが、現在の日本の安全保障を考える場合においても、こうした弾薬の生産と備蓄という兵站の問題は重要な意味を持っています。

KT

2014年8月29日金曜日

ドゥーエが考える航空作戦の原理とその応用


今回は現代の航空戦略の基礎を築いたイタリアの軍人、ドゥーエの著作『制空』の一部を紹介したいと思います。

ちょうど第一次世界大戦の経験から航空機の軍事的価値が認められ始めた時期において提出されたドゥーエの航空戦略の理論は画期的なものでした。

それは陸軍や海軍の一部隊として航空戦力を置くだけではなく、航空戦力それ自体の長所を発揮するためには、独立した空軍が必要であることを主張するものだったためです。

ドゥーエの説によれば、空軍を運用する際の戦略上の基本原理は次のように定められています。
「攻撃による物理的、精神的な効果は攻撃の場所と時期とを集中させたときに最大となる」
ここから、ドゥーエは航空戦力を陸海軍に分離して運用するのではなく、独立した空軍として集合して運用するべきという原則を導いています。

なぜ、空軍は集中して運用されなければならないのか、という疑問について答えるためにはドゥーエの考える航空作戦の仕組みを理解しておく必要があります。

ドゥーエは航空作戦の計画方法について次のように説明しています。
「直径500メートルの地域を破壊することができる爆撃部隊を50個保有する空軍は1回の飛行で居住地域、倉庫、鉄道センター、工場、その他の50個の敵の目標を完全に破壊することができる。 
空軍が集中して行動できる範囲が決定すれば、この領域にある目標を分析する。最大効果を得る原則に従って、この地域をそれぞれに50の目標を含む破壊地域に分割する。 
例えば10個の破壊地域に分割することができたとすれば、それは敵の領域にある全ての目標の破壊に10日間の作戦が必要であることを意味する。次に破壊地域の攻撃順序を決定する」
ここでも説明されている通り、ドゥーエは航空作戦の最も重要な部分は我の航空優勢を確保することを通じて、敵地の重要な施設を爆撃部隊で攻撃することであると考えていました。

彼我の爆撃部隊が敵の地上目標に投下できる爆弾の総量が等しく、また彼我の軍事拠点を破壊するために同程度の爆撃効果が必要であるならば、その航空作戦の成否を分けるのは、どちらが先んじて敵の軍事施設や重要拠点を破壊するかどうかということになります。

ドゥーエは一刻を争う航空作戦において航空戦力が分割されていると、敵地を攻撃するための運用で致命的な遅れが生じることを懸念していたということです。

こうしたドゥーエの航空戦略の理論は現代においても重要な参照点となっています。
特に現代でも確実な防御手段が確立されていない弾道ミサイルの運用に関しては、ドゥーエの理論には未だに有効な部分が少なくありません。

ただし、防空に関する技術革新により、空軍においても防御者が優位に立つことが可能な局面が見られるようになりましたので、最近の研究ではドゥーエの理論の全てが現在でも通用するというわけではないということも指摘されるようになっています。

KT